古代から湯に親しんできた、日本人と温泉の歴史
日本は温泉大国として知られており、多くの人が温泉を訪れています。
温泉の利用していたのは何も最近に始まったことではなく、太古の昔から人々は温泉を利用してきました。
そこで今回は、古代の人々が温泉をどう利用してきたのかについて紹介していきます。
神聖でありながらも、実利的な側面も持ち合わせていた古代の温泉
むかしむかし、狩猟時代の人々は、鳥や獣が温泉に浸かって傷を癒している姿を見て、「これはなんだか良さそうだ」と感じたに違いないでしょう。
彼らが岩の隙間から湧き出る熱い水に触れ、その効果を試してみた結果、温泉というものが人間の手にもたらされたのです。
温泉でくつろぐ動物たち――伊東のイノシシ、鹿教湯のシカ、野沢のクマ、平湯のサル、湯田川のシラサギ――これらの伝説は、まさにそのことを物語っています。
「万座温泉風土記」の著者も、「温泉という天然の恩恵を、原始人が放っておく理由がない」と断言しています。
食事の調理や繊維の柔らかくするのはもちろん、治療や慰安にも使われたのだろうと想像するのは容易です。
当時の温泉は、所有者も支配者もなく、誰でも自由に利用できる「神の恵み」だったです。
時代が進み、農耕社会が形成されると、人々は自然の力に対して深い敬意を抱くようになります。
山の噴火を「御神火」と呼び、湧き出る温泉を「御神湯」と称えたのです。
温泉は、神聖な力の現れとして崇められ、その周りには神を祀る小さな祠が建てられるようになります。
この時期の温泉は、ただの癒しの場所ではなく、神聖な儀式や祈祷の場としての役割も果たしていたのです。
さらに、古代の天皇たちも温泉の力を信じていました。
『伊予風土記』によれば、景行天皇や仲哀天皇、さらには聖徳太子も道後温泉を訪れたという記録が残っています。
彼らが温泉を訪れた理由は「療養」が表向きだったものの、実際にはもっと深い目的があったのかもしれません。
一方、仏教の伝来とともに、温泉はさらに宗教的な意味を帯びるようになります。
仏教には、沐浴によって病を癒し、福を得るという教えがあり、奈良時代には多くの寺院に「大湯屋」や「浴堂」と呼ばれる施設が設けられました。
これらの場所は、庶民や病人に対する「施浴」という慈善活動の一環として利用されたのです。
また、修験道の修行者たちも、山岳信仰と密接に結びついた温泉を利用していたのです。
草津温泉では、修験者たちが12世紀にはすでに修行を行い、その噴火を山神の苦悩として祈祷を捧げたという記録が残っています。
彼らは温泉を発見し、薬師仏の功徳としてそれを広め、温泉の霊力を信仰の一部として取り入れていたのです。
こうして、古代の温泉は神聖でありながらも、実利的な側面も持ち合わせていました。
そして、時代を経るごとに、聖なる場所としての意味を保ちながら、庶民にとっての癒しの場へと発展していったのです。
しかし、古代の人々が温泉で遊びや快楽を楽しんだのかどうか、その記録は残されていません。
もしかすると、彼らにとっては聖と俗、そして遊びの境界が曖昧で、すべてが一つに溶け合っていたのかもしれないのです。
参考文献
茨城大学教養部紀要24号p. 295-314 「ゆ」と日本人に関する文化社会学的研究--聖・俗・遊のパースペクティブから