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【来日直前インタビュー第2回】ジンジャー・ワイルドハート、さらに音楽を語る

山崎智之音楽ライター
Ginger Wildheart photo by NAOKI TAMURA

2018年7月に来日公演を行うワイルドハーツのジンジャー・ワイルドハートへのインタビュー。全3回の第2回は、第1回に引き続き、彼の音楽人生の原点や地元の音楽シーン、そして家族との絆などについて、より深く語ってもらおう。

<「ペイイング・イット・フォワード」ビデオ撮影はエモーショナルな経験だった>

●『ゴースト・イン・ザ・タングルウッド』の収録曲「ペイイング・イット・フォワード」のミュージック・ビデオについて教えて下さい。

『Ghost In The Tanglewood』ジャケット/現在発売中
『Ghost In The Tanglewood』ジャケット/現在発売中

アルバムを作ったのはウィガンにあるクリエイティヴなユニットの集合施設みたいな所だった。レコーディング・スタジオやリハーサル・ルーム、音楽教室、それから特殊児童向けの音楽学校もあった。俺はたまたまリハーサルでその集合施設を使っていて、子供たちと出くわしたんだ。彼らは俺を怖がることなく、親しげに話しかけてくれた。それで俺は先生に、“親切・寛大”についての歌に参加してくれないか頼んでみた。子供たちは全員がメロディを歌えるわけじゃないし、言葉を出せない子もいたけど、それ以上にこみ上げるエモーションがあった。マジックな瞬間だった。「ペイイング・イット・フォワード」のビデオでは、レコーディングの時の美しい経験を再現したかったんだ。ビデオのシューティングには、レコーディングに参加した子供たちの多くが集まってくれたよ。レコーディングから2年近くが経っていたし、卒業したり引っ越したりでいない子もいたけど、俺が覚えている顔もあった。基本的に俺はビデオを作るのが好きじゃないんだ。魂を抜かれるようでね。でも、あのビデオは特別だ。本当にエモーショナルな経験だったよ。

●ビデオはウィガンの『ホープ・スクール』で撮影したそうですが、ウィガンといえばザ・ヴァーヴとノーザン・ソウル、そしてプロレスの“蛇の穴”ことビリー・ライリー・ジムで有名ですね。

ウィガンは俺が住んでいたセントへレンズの近くなんだよ。何もない町だけど、セントへレンズよりはマシなんで、ウィガンのパブまで飲みに行くんだ。ノーザン・ソウルのムーヴメントがロンドンでなくウィガンから発生したというのは興味深いことだよね。ロンドンの音楽ファンがわざわざ『ウィガン・カジノ』まで足を運んで、ソウルで踊ったんだ。地方都市が大都市に勝るという、“ウサギと亀”みたいな物語だよな。俺はノーザン・ソウル世代ではなく、パンク・ロックを聴いて育ったから、当時のことは知らないけどね。

●イギリスでプロレスは国民的TV番組『ワールド・オブ・スポーツ』で放映されていましたが、あなたは見ていましたか?

もちろん!俺の世代のイギリス国民はほぼ全員が『ワールド・オブ・スポーツ』を見ていたよ。毎週土曜日、一家で見るのが普通だった。ひとつの番組であらゆるスポーツを扱うんだ。競馬コーナーは退屈だったけど、プロレスは面白かった。ビッグ・ダディやジャイアント・ヘイスタックス、ミック・マクマナスとか、最高のキャラクターだった。当時のレスラーはスポーツ選手とは思えない体型をしていた。最近のレスラーみたいなマッチョなボディビルダー・タイプではなく、お腹がポコンとしていた。それが面白かったよ。

●1980年から1981年にイギリスでプロレスをしていた日本人レスラー、サミー・リーは知っていますか(注:佐山聡は初代タイガーマスクとなる以前、イギリスでサミー・リーとして人気を博していた)?

いや、その頃もう頭の中には音楽と女の子しかなかったから、プロレスは見ていなかったな。

Ginger Wildheart photo by NAOKI TAMURA
Ginger Wildheart photo by NAOKI TAMURA

<レイヴンのライヴは宗教的体験だった>

●あなたが音楽に目覚めた頃、地元にはどんなバンドがいましたか?

1970年代の後半、俺が育ったニューカッスル郊外のサウスシールズではエンジェリック・アップスターツがカリスマ的存在だった。彼らは警察の暴力を批判したり、刑務所でライヴをやるなど、大胆なステートメントで知られていた。凶悪犯が多いアクリングトン刑務所でライヴをやったんだ。地元出身で、妥協することなくロンドン、そして世界に打って出たのはエンジェリック・アップスターツとヴェノムだった。ヴェノムは滅多にライヴをやらなかったし、サウスシールズに来ることはなかったけど、エンジェリック・アップスターツはしょっちゅうサウスシールズでライヴをやっていたよ。それからフィストやヘランバックみたいなハード・ロック・バンドもサウスシールズ出身だった。ヘランバックは最高のバンドだった!

●そんなハード・ロック・バンドの多くはニューカッスルの『ニート・レコーズ』から作品を発表していましたね。

ニューカッスル近辺でハード・ロックやヘヴィ・メタルのレコードを出すインディーズ・レーベルは『ニート』ぐらいしかいなかったんだ。若手バンド達は契約や条件など考えず、レコードを出してくれるんだったら何でも良かった。『ニート』が良いレーベルだったと言うつもりはないけど、とにかくレコードを出してくれたんだ。

●『ニート』というとヴェノム、レイヴン、タイガーズ・オブ・パンタン...

レイヴンは俺にとって重要なグループだった。「ドント・ニード・ユア・マネー」は名曲だよ。デビュー当時はとにかく速いロックンロールで、パンクのエネルギーがあって、超高速版スレイドといった感じだった。初期レイヴンは頭がおかしくなるほど凄いライヴ・バンドで、彼らのショーを見ることは宗教的体験ですらあった。徐々にヘヴィ・メタル化してしまったけどね。ジョン・ギャラガーとはfacebookで繋がっているんだ。お互いの書き込みにコメントしたり、メッセージを送ったり、1週間に1回ぐらいは何らかの形でコンタクトしているよ。

●あなた自身、『ニート』レーベルと関わりがあったと聞きました。

うん、短期間だけど、アヴェンジャーというバンドにいたんだ。イアン・スウィフトというシンガーがいて、ギタリストのレス・チーサムと仲が良かったよ。俺にとって初めてのツアーがアヴェンジャーとだった。ヨーロッパを回ったんだ。ウォーフェアのようなバンドとよく一緒にショーをやったよ。それからアトムクラフトも同時期に『ニート』にいた。あまり良いバンドじゃなかったけどね。彼らがやろうとしていたことは好きだったけど、ちょっとヘヴィ・メタル過ぎたかな。アトムクラフトはアイアン・メイデンみたいになろうとしていたんだ。正直、俺はアイアン・メイデンが好きだったことはない。それだったらタンクの方が好きだったよ。彼らはモーターヘッドの弟バンドみたいな感じだった。

<娘がハッピーなら、それが一番だ>

●2018年4月のソロ来日でセカンド・ギタリストとして参加したジェイス・エドワーズはウルフズベインのギタリストでもありますね。

ウルフズベインはモーターヘッドとアイアン・メイデンとダムドを合体させたようなバンドだった。俺がワイルドハーツ結成前にいたクワイアボーイズとほぼ同期だったから、ワイルドハーツは彼らより若干後発だった。彼らは結成当初のワイルドハーツにさまざまなことを教えてくれた。お客さんに敬意を持つこととかね。彼らはギャグを飛ばすことはあったけど、決してお客さんを見下したりしなかった。それと彼らは、前座バンドを見下してはならないということを教えてくれた。数年後には、自分たちがそのバンドの前座を務めることになるかも知れないからね。ジェイスは凄い速弾きプレイも弾けるんだよ。まるでキツツキのようなスピードで指が動くんだ。もちろんスピードで音楽の優劣が決まるわけではないけど、ジェイスは多彩な能力を持つギタリストだよ。

●ウルフズベインのシンガーだったブレイズ・ベイリーがアイアン・メイデンに加入したとき、どう思いましたか?

ブレイズは裏切り者だと思った!しかも彼はアイアン・メイデンのシンガーとしては全くフィットしなかったんだ。スティーヴ・ハリスはラリっていたのか?...と思ったよ。彼はドラッグはやらないらしいけどね。ハッキリ言ってウルフズベインはアイアン・メイデンよりずっと良いバンドだった。スティーヴ・ハリスはハロウィンの奴(マイケル・キスク)を入れた方が絶対に良かったよ!別にハロウィンが解散したって俺は気にしないし!

●ハロウィンの音楽はあまり好きでないですか?

ああいうのは大嫌いなんだ。もちろん音楽には絶対的な“良い音楽”“悪い音楽”はない。単に俺がああいう音楽に対するアレルギーがあるだけだよ。

●ディオは?

ディオもジューダス・プリーストも嫌いだ。プリーストは『運命の翼』の頃までは良かったけどね。

●『運命の翼』は2枚目のアルバムで、その後に15枚ぐらいアルバムを出していますが...。

あと「テイク・オン・ザ・ワールド」はけっこう好きだった。ロブ・ハルフォードはカリスマ的なフロントマンだったし、もの凄い声をしていた。ただ、K.K.ダウニングが脱退した時点でストップしても良かったんじゃないかな。今ではグレン・ティプトンも病気だそうだし...好き嫌いは別として、 これ以上身体を悪くしてしまう前にゆっくり休んでもらいたい。あと、ディオの音楽は好きじゃないけど、ロニー・ジェイムズ・ディオは本当に信じられない声をしていた。『バタフライ・ボール』は好きだったよ。それにロニーは多くの若手ミュージシャンを育ててきた。その点ではとても敬意を持っているよ。

●あなたの15歳のお嬢さんとのコミュニケーションが取れていないとステージ上で語っていましたが、父娘の関係というのは難しいものですか?

まあね(苦笑)。娘というのは父親に反発する時期があるものなんだよ。自立精神の強い娘だから、父親とあまりべったりしていたくないみたいだね。十代になると、女の子たちの中で親の占めるウェイトは急激に減ってくる。親元から巣立っていくんだ。自分だって十代の頃には親に反発していたし、その繰り返しだよ。寂しいけど、それが成長というものだ(ちょっと悲しそう)。でもボーイフレンドが出来ると、父親と較べてみて、父親もそれほど最低ではないことに気付くんだ。

●お嬢さんはあなたがロック・スターのジンジャー・ワイルドハートだということを判っているのですか?彼女も音楽ファンですか?

何かのショーを見たいとき、ゲスト・リストに載せて欲しいって連絡してくるから、俺がエンタテインメント業界の関係者であることは判っているみたいだな。彼女が普段どんな音楽を聴いているのか、そもそも音楽を聴いているのか...会話がないから判らない。こないだはル・ポールの女装イベントだか何だかのゲスト・リストに載せて欲しいとか言っていたよ。うちの娘の性的志向も知らないけど、いつもドラッグ・クイーンみたいな格好をしている。まあ彼女がハッピーならば、それが一番だけどね。ちょっと前にはメラニー・マルティネスが好きだと言っていて、彼女と友達のぶんのチケットを取ってあげたんだ。それから24時間ぐらい、パパはクールだということになったよ。

まだ続くジンジャーへのインタビュー。次回の完結編では2018年7月のワイルドハーツ来日公演やブリットロック、日本映画などについて語りまくる!

【THE WiLDHEARTS - TOKYO 2018 (CLASSIC LINEUP)】

東京 2018/7/4(水) 渋谷TSUTAYA O-EAST  OPEN 18:30 / START 19:30

東京 2018/7/5(木) 渋谷WOMB  OPEN 18:30 / START 19:30

公演オフィシャルサイト  https://www.creativeman.co.jp/event/the-wildhearts-2018/

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【THE WiLDHEARTS ACOUSTIC - TOKYO 2018 EXTRA】

東京 2018/7/6(金) 四谷 Outbreak!

東京 2018/7/7(土) 大塚 Hearts+

Act:THE WiLDHEARTS (Ginger & CJ)

Guest:THE MAGIC NUMBERS (Acoustic Set)

公演/レーベル オフィシャルサイト  http://vinyl-junkie.com/label/wildhearts/

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音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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