【仙台市若林区】明日の自慢案件! 区名の由来となった若林城。政宗公が晩年を過ごしたお城の現在は?
仙台市宮城野区・若林区を愛する号外NETライターの長谷川誠です。
仙台市若林区。過去に国分寺が建立され、その国分寺の薬師堂を伊達政宗公が再興したり、市内最大の前方後円墳である遠見塚古墳があったり、と悠久の歴史ロマンを感じさせてくれる区であります。
<参考過去記事リンク:【仙台市若林区】コフンにコーフン! 住宅街とバイパスに囲まれた「登れる前方後円墳」に悠久の時を感じる>
<参考リンク:仙台市公式HP~若林区のあゆみ>
日々何か面白い事はないか、美味しい物はないかとブラブラ街歩きをしているワタクシ。隙があればラーメンやらお蕎麦やら、そしてまたラーメンやらの記事ばかりアップロードしている「いい年して、そんなに外食でガッツリ食べてばかりで体は大丈夫なのかオジサン」のように思われるかもしれません。実際、こちらの記事を読んでいただいた知人から体の心配をされてしまいましたし…。
しかし、しかしなのです。ワタクシの街歩き、外食ばかりじゃあないんです。敬愛してやまないタモリさんこと森田一義さんのごとく「ブラ長谷川」気分で、歴史を、文化を、街の現在の空気を感じながら歩くことも大好きなわけでして。
身も蓋もない表現をするならば、ラーメンの記事の方が今流行りの「アクセス数」とやらがいいこともあり、その数がよろしい方が諸々のアレがアレしていい塩梅なこともあり、ついついラーメン記事が増えてしまっているだけなんですよ…。
…おおっと、そんな赤裸々なお話は置いておいて閑話休題。
今回はそんな街歩きで感じることができる「歴史」のお話。ひょっとすると、明日職場や学校で鼻高々に友人知人に自慢できるかもしれない若林区の区名の由来になっている、とあるお城のお話です。某タモリさんがブラブラする番組でも紹介されたことがあるお城ですよ。
そのお城があるのは若林区古城。若林区役所から南小泉を抜け、宮城刑務所方面に向かったエリアです。
そしてこちらがご紹介するお城。お城といいますか、正確に言うならばお城の「跡地」。はい、そうなんです。奥に「刑務所作業品展示場」とあるように、こちらは宮城刑務所。
実は現在の宮城刑務所は、お城の跡地に建てられた建物なんです。
そのお城の名は、若林区という区名の由来ともなった「若林城」。その跡地であることを示す石碑がひっそりと刑務所前にたっています。
若林城。歴史好き、伊達政宗公好きな方であればピンとくるかもしれません。そうなんです。若林城とは伊達政宗公ゆかりのお城。伊達政宗公が戦国時代に領主である国分氏のお城があった場所を活用する形で築城し、晩年を過ごしたお城なんです。
説明書によれば、当時の政治的・経済的な拠点であり、交通の要衝(ようしょう:大事な地点)であったことを考慮して、この地に建てられたと考えられるとのこと。晩年の政宗公が日常生活の大半を過ごしたお城なんですねぇ。
しかも、政宗公が朝鮮出兵の折に持ち帰ってきたとされている国指定天然記念物の「朝鮮ウメ(臥龍梅)」は、今もなお刑務所敷地内にあるんです。
見たい。物凄く見たい。某番組でタモリさんは特別な許可を得て見ていましたが、なんとか一般人の街歩きオジサンがその桜を愛でる方法がないものか…。いつの日か一般公開される日がくることを祈りつつ、今回のご紹介を終えたいと思います。
いかがだったでしょうか。現在は宮城刑務所となっている、伊達政宗公が晩年を過ごした「若林城」についてのご紹介でした。気になった方は是非そっと足を運んでみて下さいね。
●若林城跡地(現宮城刑務所)●
〒984-0825 宮城県仙台市若林区古城2丁目3