乗り替わりの危機から有馬記念制覇を果たした騎手と、レジェンド武豊との関係とは?
ジャパンCを回避し有馬記念へ
今週末、中山競馬場で有馬記念(GⅠ)が行われる。
2015年にこのレースを勝利したのがゴールドアクター。手綱を取った吉田隼人騎手にとって、これが騎手デビュー12年目での嬉しいGⅠ初制覇となった。
話は同年11月8日まで、遡る。この日、吉田隼人とゴールドアクターのコンビはアルゼンチン共和国杯(GⅡ)を勝っていた。これがゴールドアクターにとっての重賞初制覇。その晩、勝ち祝いをすると、その席で吉田は言った。
「僕はGⅠを勝った事がないからハッキリとは言えないけど、ゴールドアクターはGⅠで通用する力が充分にあると思うんですよね……。スクリーンヒーローの子供だし、ジャパンCへ行ってほしいです」
07年にはアグネスアークで天皇賞・秋(GⅠ)2着、09年にはフォゲッタブルで菊花賞(GⅠ)をやはり2着。あと一歩のところで戴冠を逃していた吉田は、お手馬のゴールドアクターに、ジャパンCでの父子制覇を夢見た。
しかし、陣営が選んだのはジャパンCではなく、有馬記念だった。唇を噛んだ吉田だが、結果的にこれが思わぬ運を呼ぶ。
この年のジャパンC当日。東京競馬場で騎乗していた吉田は、第5Rの馬場入場の際、なんと他馬に蹴られてしまった。
「もの凄い激痛が走ったので、ただ事じゃないとすぐに分かりました」
診断の結果は右膝蓋骨の亀裂骨折。完治するまで2カ月は必要と言われた。
「その時点で有馬記念まで1カ月を切っていたので焦りました。ただ、骨超音波を充てれば2~3割は早く治ると言われたので『毎日やってください』と答えました」
ちなみにこの時点での有馬記念におけるゴールドアクターは除外対象で、必ずしも出走できる保証はなかった。だが、それでももし出られるようになったら、自分が乗るのだと、リハビリに励んだのだ。
懸命にリハビリに努めた結果、順調に回復した。そして、ギリギリだが有馬記念に間に合いそうと目処が経った。そんな吉田に対し、ゴールドアクターを管理する中川公成調教師が思わぬ言葉を告げた。吉田が述懐する。
「『ギリギリ間に合うのではなく、有馬の週より前にはもう乗っているようになっていなくてはこちらとしても心配です』と言われました」
もっともな意見だった。
しかし、だからといってすぐに首を縦には振れなかった。
「『ゴールドアクターを1番分かっているのは僕です』と伝えました。中川先生からは『ここで乗り代わっても次はまた戻します』と言われたけど、ここまで一緒に築いてきた過程を途切れさせたくはありませんでした」
最終的には中川が折れてくれた。
しかし、吉田は「だからこそ期待に応えられるように少しでも早く復帰しよう」と、更にリハビリに励んだ。そして、ゴールドアクターの追い切りにも間に合うように復帰を果たすと、それが自身の初GⅠ勝利となるグランプリ制覇に繋がったのだった。
レジェンド・武豊との関係
「祝福してくれる人の多さがいつもとは段違いで、GⅠを勝った事が実感出来ました」
レース後、暫くして話を聞いた際、そう答えた吉田。祝福してくれた人の中には武豊もいたという。
吉田隼人とレジェンドの関係は、実はあまり広く知られていないかもしれない。
デビュー後、右肩上がりで順調に勝ち鞍を伸ばした吉田。4年目には73勝をあげ、全国リーディング11位まで躍進した。
しかし、5年目となった翌08年、思ったほど成績が伸びなかった。6月の半ばになっても勝利数は27。前年を大幅に下回るペースに、藁をも掴む思いで、レジェンドに相談した。すると……。
「『少し環境を変えてみては?』と言われ、武さんのいる小倉競馬に誘ってもらえました」
こうして08年の夏から、吉田は小倉で乗るようになった。そして、関西の関係者とのパイプも増えると、軌道修正に成功。終わってみればこの年の勝ち星は66。前年には僅かに及ばなかったが、ほぼ同数まで盛り返し、その後の活躍にも繋がっていった。
「有馬記念を勝った後、その武さんに祝福してもらえたのは凄く嬉しかったです」
さて、冒頭で記したように今週末に迫った有馬記念。今年は、武豊が天皇賞・秋(GⅠ)の日に馬に蹴られて負傷をし、1週前に復帰を果たしたばかり。グランプリではドウデュースの手綱を取る。レース後、吉田隼人から祝福が届く結果となるだろうか。注目したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)