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大相撲が100年後も「当たり前」に存続するために──高崎親方が語る伝統継承への挑戦

飯塚さきスポーツライター/相撲ライター
協会事務所で机に向かう高崎親方(写真:日本相撲協会提供)

日本相撲協会に所属する105人の親方衆。彼らの仕事は、各部屋における力士たちの指導だけではない。いつも取材にご対応いただく高崎親方(元幕内・金開山)も、広報部の業務の一環でご協力いただいている。大相撲の親方衆は、日々どのような業務をこなしているのだろうか。無論、個々によって大きく異なるが、高崎親方の場合について話を聞いてみた。

「親方仕事は楽」は嘘だった

出羽海部屋の部屋付き親方である高崎親方。部屋では、稽古指導よりも後援会のフォローといった細々した仕事のほうが多く、親方としての業務を「何でも屋に近い」と表現する。

朝から部屋の業務をこなし、午後から夕方5時までは国技館に“出勤”し、協会の仕事をこなす日々。また、場所中は朝10時までには国技館に到着し、3日に一度は執行部の定例会議に出たり、各部署で集まって業務の進捗状況を確認し合ったり、収益を得るための商品開発やアイデア出しの場があったりと、日々協会のために奔走している。

「僕が入門したころは、親方なんて世界一楽な仕事だ、なんて思っていたんですよ。チケットのもぎりを1日1時間くらいするだけでしょって(笑)。そんな“楽な”親方になることに憧れていました。でも、実際は違った。勉強したくないから力士になったのに、まさかこうして毎日机に向かって、サラリーマンみたいな仕事をすることになるとは夢にも思っていませんでした」

それでも、「やってみたら楽しい」と、高崎親方は頬を緩ませて話す。

「細かい仕事はいろいろありますが、やっぱりもともと嫌いじゃないんですよね。ただ、楽しく仕事に取り組めているのも、広報部長の芝田山親方や理事長の八角親方たちが、僕らを信頼して、自由にやらせてくださるからであって、それにはとても感謝しています」

高崎親方の柔軟な発想から、レトルトの「国技館カレー」や「国技館ハヤシ」が誕生した。発想力に加え、それを具現化する親方の行動力の高さにも感銘を受けるが、その裏には、ほかの親方衆の後押しがある。まさに、さまざまな親方衆によって、新しいファンサービスが生まれ続けているといえる。

伝統と刷新の狭間での努力

日々、親方としての業務に取り組むなかで、やりがいはなんだろうか。

「ひとつは、部屋の力士が強くなっていくこと。もうひとつのやりがいは、理事長が『100年先にもこの形を残す』とおっしゃっているように、大切な伝統を僕らが継承して次につなげていくことです。そのためには何が必要か。絶対に守らなければいけない伝統や鉄則と、時代に合わせて柔軟に変えていくべきもの、両者のバランスです。伝統を守るといっても、時代に取り残されていてはいけません。それを真剣に考えていくことは大切ですし、その渦中にいることは、親方としての大きなやりがいでもあります」

いつの時代も考えねばならぬ大テーマといえる「伝統と刷新」のバランス。高崎親方は、両者を実現するために、一人の親方としてそれを支えていきたいと静かに語る。

「親方は105人いるので、それぞれ適材適所で取り組んでいいと思うんですよ。半分の親方が部屋を持って強い力士を育てて、もう半分の部屋付き親方が協会の運営に携わって支えていく。YouTubeやVRなど、新しいものを取り入れる僕ら広報部の努力が大切である一方で、髷を結って着物を着る力士だけではなく、びんつけ油や締め込み、明け荷を作る職人さんなど、この世界を支える全員を巻き込んで、伝統を残していくための努力もしないといけません。なんて言ったって、大相撲は世界にたった一つしかない伝統文化なんですから」

日本相撲協会というひとつの組織のなかで、一人一人の親方が、この世界の存続と伝統文化継承のために、日々奮闘している。いま、目の前にあるものは、当たり前に存在するわけではない。それを「当たり前の存在」にしている、誰かの努力の上に成り立っているのだ。大相撲の世界が、100年後も「当たり前」として存在し続けるために――。親方衆の奮闘と試行錯誤に終わりはない。

スポーツライター/相撲ライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライター・相撲ライターとして『相撲』(同社)、『Number Web』(文藝春秋)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書に『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』。

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