NPBデビューの前にMLBでプレーした日本人選手たち。「田澤ルール」撤廃で田澤純一も…
来シーズン、田澤純一(埼玉武蔵ヒートベアーズ)は、日本プロ野球(NPB)の選手としてマウンドに上がるかもしれない。俗に言う「田澤ルール」の撤廃が決まった。
このルールとそれができた経緯については、田澤が7月にルートインBCリーグの埼玉武蔵へ入団した際に「日本の独立リーグでプレーした日本人メジャーリーガーたち。田澤純一の前にも10人以上いるが…」で書いた。
これまでに、NPBとメジャーリーグ(MLB)の両方でプレーした日本人選手のうち、マック鈴木/鈴木誠、マイケル中村/MICHEAL/M.中村、多田野数人、村田透(現・北海道日本ハムファイターズ)の4人は、NPBの一軍初出場よりもメジャーデビューが早かった。
最初の日本人メジャーリーガー、マッシー村上/村上雅則は、1964~65年にサンフランシスコ・ジャイアンツで投げる前に、1963年の南海ホークスで3試合に登板している。
4人目の村田は、2007年のドラフトで読売ジャイアンツに指名され、大阪体育大からプロ入りしたが、一軍で投げることなく、2010年のオフに戦力外通告を受けた。そこから、クリーブランド・インディアンズに入団。2015年6月のダブルヘッダー2試合目に、先発投手としてMLBの試合に初出場した(現時点では最初で最後)。
他の3人は、新日本石油ENEOSからボストン・レッドソックスに入団した田澤と同じく、NPBの球団を経ずにMLBの球団と契約した。滝川第二高を退学した鈴木は、渡米から数年後にシアトル・マリナーズへ。中村はサウス・アラバマ大→ミネソタ・ツインズ、多田野は立教大→インディアンズだ。いずれも、NPBでプレーした最初の球団には、ドラフトで指名された。鈴木は2002年の2巡目(オリックス・ブルーウェーブ)、中村は2004年の4巡目(北海道日本ハム)。多田野は村田と同じ、2007年の大学生・社会人1巡目(北海道日本ハム)だ。
多田野も村田も、1巡目の重複指名で抽選に2度外れた球団から、指名を受けた。北海道日本ハムは大場翔太→服部泰卓→多田野、読売は大場→篠田純平→村田。大場は福岡ソフトバンクホークス、服部は千葉ロッテマリーンズ、篠田は広島東洋カープに入団した。
4人のNPBデビュー(一軍初出場)は、鈴木が27歳、中村と多田野は28歳、村田は31歳の時だ。田澤の年齢は、すでに彼らを上回っている。6月に34歳の誕生日を迎えた。ただ、MLBの記事でしばしば目にする言い回しを使うなら、「タンクにはまだ燃料が残っている」と信じたい。MLBの実績は、田澤が群を抜く。MLBのポストシーズンで投げたのも、この5人のなかでは田澤しかいない。