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豊かに生きるために必要なたった1つのこと「ある哲学者の視点」

ひとみしょうおちこぼれの哲学者・心理コーチ・作家

明るく元気に、なんなら金持ちっぽく「映える」生活をしたい。そう思っている人が多いように見受けられます。私のもとにカウンセリングに来る人は、当たり前ですが、なんらか悩みがあるからお越しになるわけですが、「悩みがなくなった後、どのような生活をしたのですか?」とお尋ねするとたいてい「明るく元気に『映える』生活をしたい」という主旨の答えが返ってきます。「映え」ないまでも、ある程度お金のある生活をしたいとも言います。

そんなものを目指すから、どんどん病んでいくのです。

事実、SNSに「映える」写真を載せている女性の何人かが私のもとにカウンセリングを受けにやってきましたが、彼女たちは病んでいました。ほら、たまに「映えている人」の投稿が途切れるときがあるでしょう? それは彼女たちが病んでいるから途切れているのです。あるいは「彼氏」を切らせたか。あるいはその両方か。というのが私が聞き知ったことです。

心の残り半分

ここ何十年も、明るく元気に映える生活をするというのが、国民的な目標のようになっています。最初はテレビがその目標を全国民に周知していたはずです。

例えば、「高額納税者に名を連ねる芸能人の〇〇さんは△△という車に乗っている。私も乗りたい」などと感じる人が出てきました。SNSが盛んになると、「インスタ映え」という言葉に代表されるように、他人の明るく元気な映える生活を、多くの人が毎日目にするようになりました。その結果、「明るく元気に映える生活」が、みなさんが気づかないうちに日常生活の隅々にまで「人生の目標」として浸透するようになりました。

しかしそれは、私たちの心の半分しかもの物語っていません。心の残り半分は暗くてじめっとしてエグいもので満たされています。「そんなこと改めて言われなくても当然のことだろう」と感じる方もいらっしゃるでしょう。

「ある」ものは「ない」ことにはできない

例えば、インスタに「映える写真」を載せているビキニ姿の女性に対して嫉妬する気持ちというのは、心の中のエグイ部分が生み出しています。あるいは、自分の親のことを毒親と言う人はたいてい、親とうまくやっていきたいと願いつつも、同時にもう片方の心で親のことを憎んでいます。憎むというのはエグイ感情であるはずです。

さらに人によっては、「親なんて早く死んでくれたらいいのに」と思っていたりするのです! そしてそんな気持ちに蓋をしては「明るく元気に映える生活をば!」と言っているのです。ブレーキとアクセルを同時に踏むと病んで当然でしょう。

私たちはテレビやSNS、あるいは政治家や文化人、タレントなどの著名人から「明るく元気に暮らしなさい」というメッセージを、無意識のうちに受けつつ暮らしています。CMにまで「70歳をすぎても元気に若々しく!」なんて言われる始末です。膝関節と「明るく元気に」がなぜ結びつくのか私にはわかりませんが、しかしCMはそういう「ストーリー」をうたい、おそらく多くの人がそれに共感するからそのメーカーは潰れないのでしょう。好むと好まざるとにかかわらず、今はそういう時代です。

しかし、他方には歴然として、暗くじめっとしたエグイ心が存在しています。その心に蓋をするかのごとく、あるいは最初からなかったことにするかのごとく、自分自身を明るく元気に「矯正」する人も多い時代です。

しかし、暗くてじめっとしたエグイ気持ちはそこに存在する以上、なかったことにはできないわけですから、それをじっと見つめ、それが何なのか、あるていど理解できるまで、己の心と対話をする必要があります。なかったことにして蓋をするのか、対話をするのか? 選択肢はこの2つしかないからです。

豊かな人生の築き方

心の暗い部分に蓋をするのではなく、そことこそ対話をする。そのことによって、できるだけ自分の心の隅々まで知ろうと努めること。そうすることによってのみ、私たちは自分の頭で物を考えることができます。「明るく元気に」というのを信じるのはただの宗教です。

歴代の哲学者たちは自分の心の暗い部分こそをじっと見つめ、「なぜ心はそうなっているのか?」を考えてきました。それを真似しろとは言いません。先人たちが残した考え方を手がかりに、自分の心の暗い部分に分け入るだけでも救われますので、ぜひやってみてはいかがでしょうか。

「明るく元気に」という宗教にはまってしまえば、「なぜ」を考えることのできない浅薄な人生しか待っていません。そこは絶えず「もっと幸せになりたい」と渇望する乾いた世界です。なぜなら、私たちの心は「明るく元気に」がデフォルトではないからです。

付言するなら、「幸せになる方法」など、みなさんじつは知っているのです。自分が隠しているエグイ心と対話すればいいのだ、と――。

しかし、「それは見たくない」「そんな自分を思い出したくない」「トラウマと向き合え? ひとみしょうは鬼か」などと言って蓋をし続ける。だから幸せになれないのです。

高校生の「勉強法」と同じです。私は大人向けのカウンセリングとは別に、オンライン家庭教師をしており、毎日のように複数の高校生の勉強を見ていますが、ここのところ特に、「勉強法を教えてください」という注文が多い。

しかし勉強法を、高校生は既に知っています。現代文であれば、まず問題文を読むこと。英語であれば、まずは英文を和訳することです。そういったことが苦痛だから、その苦痛を避ける方法を教えてください、と高校生たちは言っているのです。

しかし、当たり前ですが、まずは読むしかありません。それだけのことでしょう。

人生はとてもシンプルにできています。

おちこぼれの哲学者・心理コーチ・作家

8歳から「なぜ努力が報われないのか」を考えはじめる。高3で不登校に。大学受験の失敗を機に家出。転職10回。文学賞26回連続落選。42歳、大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なぜ努力が報われないのか」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道主宰「哲学塾カント」に入塾。キルケゴール哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミー主宰。

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