飲食店での『#マスク着用義務』のありかた〜ホリエモンSNS騒動から〜
KNNポール神田です。
ホリエモンこと堀江貴文氏の自身のフェイスブックへポストした記事によって、飲食店でのマスク入店について議論が起こった。そして飲食店の店主がブログで応戦。それによって飲食店が確定される。さらにバトルは当事者間だけではなく、twitterへも移行し、SNSの外野陣との論戦となった。今度は店舗側への無言電話の営業妨害などの責任問題が発生したという。それをまたメディアが取り上げることによって、議論がさらに膨張する。被害とされる飲食店側の反論も削除され、もはや論戦の元は検証すらできなくなっている。
当の発言は、すでに堀江さんのフェイスブックからも削除されて確認できないが、YouTubeでのコメントは確認できる。
そして、飲食店店主からも収束の報告がアップされ沈静化を迎えようとしている。
■有名税として、店名を推測できる書き方はまずかった
「尾道の数字から始まる餃子店」という書き込みは、ネット警察の興味を完全に煽ってしまう。堀江氏としてはカチンとした対応への報復かもしれないが、有名人であるところの『有名税』として収めておくべきだった。また『マスク着用義務』の論議をするならば、尾道のとある飲食店でボカせば何の問題も起きなかったことだろう。いや、広島県のとある飲食店であれば問題がなかったはずだ。そして、飲食店の店主が画像なども用いて反論したことによってさらに議論が拡大。
■形骸化している『マスク着用義務』には異論を唱えたくなる
2020年、コロナ禍で『三密』『検温』『アルコール消毒』『マスク着用義務』というニューノーマルへの対応は慣れてはいるが、飲食店で食事をする時にはマスクをはずさないと飲食ができないのに、入店時と退店時とオーダー時は『マスク着用義務』というのも日々、筆者も疑問に感じている。
自分が感染しないようにというよりも、自分が他者に感染させない為の『マスク着用義務』だが、何日も前のマスクや洗ってもいないマスクをポケットに入れたままで、店舗にはいるための、まるで『セキュリティーカード』を見せるように顔を覆うだけのニューノーマルでは、本当に意味がない。そのマスク着用を義務づけるのであれば、24時間以上のマスクは不可とか数値で定義づけをしなければ意味がない。
いや、飲食店が感染者を出さないように細心の注意を払い、営業を持続するためには、アクリル版の設置や空客席を空けないとまともに営業ができないというご時世だから堀江氏が店舗側にその理由を求めても、それはまったく無意味だった。
堀江氏が『マスク着用義務』に異議を唱えるためには、この入店拒否の事例をきっかけに、それらの飲食店への指導をおこなう立場や関係省庁と激しく、理詰めでガチの対戦をするべきだったと思う。
■炎上に加担し、いたずら電話をする輩たち
いや、一番タチが悪いのは、店名がわかったことで、無言の電話やいたずら電話をかける輩たちだろう。SNSなどでのDisる行為は見なければ済むというのもあるが、電話はその点、非常に悪質だ。営業時間に本来の電話かと思って何度もいたずら電話だと、もはやそれはいたずらではなく『犯罪』である。ネット上で『死ね』と書いた時点で脅迫罪や自殺教唆罪となる時代だからこそ、電話などでも『営業妨害』同様の措置が必要だろう。
何よりも、炎上に加担する輩、いたずら電話に加担する輩は、無意識もしくは気軽なストレス発散程度でしかないが、実際に受ける立場の人のストレスは想像できない輩であることは確かだ。芸能人が炎上を苦にして自殺をするなどの事件もあるが、当事者の立場を考えてみると相当きつい。堀江氏が自分あてのdisりに対して、言葉は悪いが、丁寧にひとつひとつ切り返していくのはメンタルの強さではなく、弱さの裏返しのような気がする。メンタルの強い人は何を言われてもそんなことに自分の時間を消費したくないからスルーだ。もしくはdisったことに対してフィードバックがあるとさらに増長させる確率さえ上げてしまう。
日本人は他者に優しい国民性でもあるが、クルマに乗ったり、酒を飲むと性格が極端に変わる人も多い。何よりもアノニマスとなると凶暴性を一番発揮する。さらに、古くからの農耕民族としての、順序やルール、役割分担のルールを乱す掟や秩序に順じない輩に対しても『村八分』などのいじめで対抗してきたから、『マスク着用』が法律でも義務でもないが『マナー違反』として非常に激しくバッシングを受けることとなった。そう、日本では、その『マスク着用』がたとえ、1ヶ月でも1年前の古い洗ってもいないマスクでもしていれば、本質的に問題にならない。『感染防止』の側面よりも『マスク着用義務』のマナーを重視しているのだ。
■まるで17世紀の『ペスト医師』を見ているような光景
17世紀の『ペスト医師』は、カラスの口のようなマスクをつけ、ペスト感染に対する防護服を覆っていた。当時の最新の科学では、くちばしの部分に香料をいれ、ハーブの香りを空気と一緒に吸い込み治療にあたった。当時は患者の視線にも触れないようにし、赤いアイピースをマスクにもはめ、『悪霊』を追い払おうとしたそうだ。
現在の科学や医学で『新型コロナ』に対しての対策も、何世紀か後に眺めてみると、きっとこのような17世紀のペスト医師を見ているような光景に見えるのかもしれない。『ソーシャルディスタンス』や『アクリル版』などの、いろんなコロナ禍対策が笑える日が一日も早く訪れてほしいと願う。
同時にペストの流行で、ユダヤ教徒がスケープゴートとして迫害されたりしたこともあった。パンデミックの時代には常に、そんな間違った情報に人類はさらされてきた歴史がある。そう、何度も度重なる伝染病を克服したように、克服すべきは、感情から起因するような『差別化意識』のような気がする。
『マスク着用義務』を徹底するならば、その『マスク』が科学的に機能しているのかどうかも検査できるしくみがほしい。そうでないと、単なる感情的な『マスク警察』対策でしかないからだ。