名物司会者ラリー・キング氏が語るフェイクニュースとジャーナリズム/ノルウェー
米国の有名な番組ホストであるラリー・キング氏は、北欧ノルウェーの報道関係者と、ジャーナリズムやフェイクニュースについて語った。
6月、キング氏は都市トロンハイムを訪問。科学技術大学NTNUが主催する「科学と音楽の祭典STARMUS」で注目を集めていたスピーカーの一人だった。
会場の裏では20分間の記者会見が行われ、現地記者が詰めかけた。
人口520万人のノルウェーでは、トランプ大統領のニュースが連日大きく報道されている。大国の影響を受けやすい結果、トランプ大統領のフェイクニュース発言はノルウェーでの世論にも大きな影響を与えた。自分たちのニュースがフェイクニュースだと呼ばれる傾向に、ノルウェー報道陣たちが動揺・困惑している感は以前から否めない。
ラリー・キング氏との記者会見は、まるで報道を学ぶ学生と教授が話しているかのような不思議な空間となっていた。
ジャーナリズムへの信頼感が薄れていると心配する記者たちにキング氏は答えた。「ニュースが少ない時代のほうがよかったかもしれない。私が仕事を始めた頃は、ニュースは2~4チャンネルと限られていた。今は情報が溢れ、“フェイクニュース”や”リアルニュース”というものがあるようだ。フェイクニュースという言葉がうまれた今の流れを説明することは難しい」。
「しかし、私が知る限り、ニュースでないニュースをニュースとして作り上げたり、嘘をつくジャーナリストはいなかった。25年間CNNで過去働いたが、その間はフェイクニュースを作ったジャーナリストを私は知らない」。
「多くの人がメディアを信じなくなってきているが?」と、とある記者は疑問を投げかけた。
トランプ大統領のように大勢の前で「あいつやメディアは悪い奴だ、嘘をついている」と、フェイクだと名指しするような人は信じられないとキング氏は語る。
「良いリポーターというのは、良いストーリーを作る。メディアに懐疑的になるのはいいが、メディアというのは邪悪な存在ではない」。
「全てのジャーナリズムは主観的だ。ニューヨーク・タイムズは毎晩ミーティングをして、何が翌朝の見出しになるかを決める。それは主観的な決定だ。編集部やテレビ局が、何がヘッドラインになるかを決める。しかし、それは私が願わくば、長い間、経験で培ってきたジャーナリストの勘によるものだ。ジャーナリストとしての経験が、これは重要だと決める」。
トロンハイム現地の記者はこう問うた。「ノルウェーでは、今人々はなにがフェイクニュースなのか混乱しています。自分が気に入らない、聞きたくないニュースなのか、それとも間違ったニュースなのかと」。
キング氏「私もよくわからない。アメリカで始まった言葉ですね。嘘をつくニュースが、フェイクニュースなのか?しかし、私は自ら嘘をつくニュースの作り手を知らない。私が古い人間なのかもしれないが。良いニュースマンが嘘をつくような現場に居合わせたことがない」。
別の記者「今のジャーナリズムはつまらないと思いますか?」
キング氏「それはどういう意味でしょう?あなたがつまらないと思うのなら、つまらないのでしょうね。それは個人的な判断です。私にとっては、つまらなくはありませんよ。ただ、タブロイド・ジャーナリズムのファンではありません。でも、あなたはそれが好きかもしれない。誰と誰がベッドで寝たかどうかは、あなたにとってはニュースかもしれないが、私にとってはニュースではない。その判断は主観的なものですね」。
「私はニューヨーク・タイムズが大好きです。毎日読みます。彼らが与える情報は素晴らしい。私にとっては、この新聞を読むことは喜びです。私が好きだからといって、あなたが好きだとは限らない。そして、私たちが違うものを好むことは、世界を面白くさせます」。
ラリー氏は最後に記者たちに言った。「毎日ベストを尽くしなさい。公平でありなさい。何が公平かは、全てのジャーナリストが知っています。ベストを尽くしなさい。できるだけ客観的にあれるように努力しなさい。それには責任がともないます」。
記者たちからの拍手の中で、「うん、いい記者会見だったな」とつぶやきながら、キング氏は立ち去った。会場に残った記者の間には小さく微笑んでいる者もおり、まるで大学でのジャーナリズム講義のような、変わった記者会見だったなと感じた。
Photo&Text: Asaki Abumi