台風19号まもなく上陸 情報は変わるのが当たり前と考えて行動を
次に繋がらない「もっと情報を」という話
大災害が発生すると、「もっと情報があれば対応できた」とか、「今後は連携して情報を提供する」などの話しが、必ずといって出てきます。
しかし、この種の話しのほとんどは次に繋がりません。
そもそも、大災害が発生した時は、情報が少ないのが当たり前です。
利用者が平常時に情報を入手している手段は、その多くが災害時に使えなくなることに加え、多くの情報がどんどん変わってくるからです。
情報発表することで変わらない台風情報
大型で非常に強い台風19号は、12日夕方から夜にかけて東海地方または関東地方に上陸する見込みです(図1)。
東日本を中心に広い範囲で猛烈な風が吹き、猛烈なしけとなり、東日本では記録的な暴風や大雨、高潮のおそれがあります。暴風や高波、高潮、土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水や氾濫に厳重に警戒してください。
気象庁が発表する台風情報は、年々精度が増しています。
気が付いた方も多いと思いますが、令和になってからの台風進路予報の予報円が小さくなっています。
事実、千葉県を中心に大きな災害が発生した台風15号も、南鳥島近海で発生した時から、東京湾へ進んでくるという予報で、接近時刻もほぼ正確に予報していました。
あたりまえの話ですが、気象庁が台風情報を発表したことで、台風情報の内容が「事実ではない情報」に変わることはありません。
情報を発表したことで変わってしまう情報
災害時に発表される多くの情報は、災害によって実態把握が遅れがちで、不確かな要素を含んでいます。
そして、仮に正確であったとしても、その情報を発表したことによって後に「事実ではない情報」に変わってしまうことがあります。
情報によって、人々が行動を変えるからです。
台風19号にとって関東を中心に各交通機関の計画運休が行われていますが、約1か月前の9月9日、台風15号接近時にも計画運休が行われました。
首都圏の鉄道各社は始発から運転を見合わせる「計画運休」を行いました。
JR東日本は前日の時点で、「始発から午前8時頃までの計画運休」を発表していましたが、暴風による倒木や障害物の撤去、線路の安全点検に予想以上に時間がかかり、運転再開は遅れています。
加えて、「運転再開」という情報から、昼前には多くの人が駅に集まっています。
このため、入場規制で駅のホームにあがることができなかったり、電車が来ても満員で乗れなかったりしています。
つまり、「運転再開で移動することができる」という正しい情報が流れたことで、情報を聞いた人が行動をはじめ、「運転再開でも移動することができない」という「実態とは食い違った情報」に変わってしまあったのです。
知人の話です。東京都杉並区のJR高円寺駅に「運転再開の情報」でいったものの、運転間隔が非常に長く、まれにくる電車も遠方からの乗客で満員で、まったく乗れないという状況だったそうです。
SNSで情報を集め、丸ノ内線なら乗れそうということで、急遽、900メートルほど離れた新高円寺駅に移動し、なんとか、昼頃に出社できたそうです。
情報が発表になったことで、状況が変わり、その情報が実態とは違う情報に変わることを意識し、常にいろいろな手段で最新情報を入手し、臨機応変に行動を変える必要があります。
このようなことを、私が最初に経験したのは、平成7年(1995年)の阪神淡路大震災のときです。
以後、色々な災害を経験していますが、多くの情報は、発表した途端に変わるということを経験しました。
阪神淡路大震災での経験
阪神淡路大震災は、平成7年(1995年)1月17日に発生した地震による大災害です。
当時、神戸海洋気象台(現在の神戸地方気象台)の予報課長で、神戸海洋気象台の災害対策本部の副部長でした。
神戸海洋気象台は観測や予報、情報発表を通常通り継続できたのですが、職員の生活は滅茶滅茶でした。
何をするにも時間がかかり、通常なら1時間で移動できる距離を数時間かけて移動しましたし、生活必需品を集めるのも一苦労でした。
交通情報は全くあてになりませんでした。運行を始めるという情報で人々が殺到し、乗れない人があふれています。
また、神戸市中央区で唯一、大和湯という風呂屋が再開したという情報がながれたときは、人々が殺到し、男性の私で3時間待ちでした。女性はもっと待っていたと思いますし、入浴をあきらめた人も多かったと思います。
このときは、携帯電話が普及していませんので、壁新聞で情報交換を行いました。
どこどこの店は開いている、とか、何を利用すると短い時間で移動できるとか、各自が自分の経験した情報を壁新聞に書き出し、違ってきたら消すという事をやりました。
つまり、壁新聞に書かれている情報は、各自が情報を持ち寄って作った、現時点において役立つ生活情報ということだったのです。
現在は、携帯電話が普及し、便利なソフトがいろいろありますので、「多くの情報は発表した途端に変わる」ということを意識して情報を集めるのが大事と思います。
狩野川台風クラス
気象庁は、台風19号について、狩野川台風クラスの台風と警戒を呼びかけました。
狩野川台風は伊豆半島の狩野川周辺だけでなく、東京や横浜でも大災害を起こした台風です。
昭和33年9月21日にグアム島付近で発生した台風22号は、発生後から北へ進み続け、24日には中心気圧877ヘクトパスカルを観測するなど、大型で猛烈な台風となっています。
台風が北緯30度線を越えたあたりから急速に衰え、26日21時過ぎに静岡県伊豆半島の南端をかすめ、27日0時頃に神奈川県三浦半島に上陸し、1時頃に東京を通過しています。
台風22号の接近により、日本付近の前線活動が活発になり、静岡県から関東地方、東北地方南部では所により総降水量が700ミリを超える大雨となっています(図2)。
このため、伊豆半島の狩野川が氾濫し、流域で1000人以上が亡くなったことから、台風22号は、「狩野川台風」と命名されました。
狩野川台風というと伊豆半島で大雨をもたらした台風というイメージがありますが、関東地方でも記録的な大雨となり、中小河川の氾濫によって2日間も交通網が寸断しています。
がけ崩れなどの土砂災害が多発し、低地帯の江東地域では3メートルも浸水したところがあるなど、各地で浸水被害が出ています。
上野不忍池など各地の池の水があふれ出し、道路などで逃げ出した魚のつかみ取りができたと言われていますが、先輩の予報官から、「気象庁脇の皇居の堀の水があふれ、気象庁構内で鯉がつかみ取りできた」と聞いたことがあります。
狩野川台風の被害は、東日本を中心とする29都道府県におよび、死者・行方不明者1269名、住家被害4300棟、浸水家屋52万2000棟などです。死者が多かったのは伊豆半島の狩野川流域ですが、首都圏でも記録的な大雨により大きな被害が発生し、浸水家屋のほとんどが首都圏です。
日本の日降水量の最多記録を見ると、ほとんどが台風によるものです。日降水量ではなく、1時間降水量や10分間降水量といった短い時間の最多降水量となると、雷雨や低気圧によって台風以上に強い雨を降らせることがあります。
しかし、この場合は、狭い地域で、しかも限られた時間しか降らないということが多く、総降水量としてはそう多くなりません。
大きな被害をもたらす、広い地域に多量の雨ということになると、やはり台風による雨ということになります。
東京の日降水量の最多記録は、昭和33年9月26日の371.9ミリで、狩野川台風によるものです。それも、2位の278.3ミリを大きく離しての1位です(表)。
また、横浜の日降水量の最多記録は、昭和33年9月26日の287.2ミリですが、これも狩野川台風によるものです。
狩野川台風による東京や横浜の死傷者の多くは、戦後斜面を削って建てた住宅が密集していた所での崖崩れ、土砂崩れによる被害ですが、これは、その後に増加してきた新しい災害形態です。
狩野川台風以降、道路の舗装が進んで降雨から出水までの時間が短くなり、宅地開発が進んで遊水地が減り、崖下に多くの住宅が作られています。
つまり、狩野川台風時よりも、大雨災害を受けやすくなっていますので厳重な警戒が必要です。
タイトル画像、図1の出典:ウェザーマップ提供。
図2の出典:気象庁ホームページ。
表の出典:気象庁ホームページをもとに著者作成。