大人の日帰りウォーキング 街道沿いの史跡は歴史の教科書 お金を使わず歴史を楽しむ1日20km歩く旅
もう少し、頑張ろうか。
何気ない道を歩いているような感じになる時もあるけれど、今、私が歩いているのは中山道。江戸時代に整備された五街道の1つであり、江戸東京日本橋より京都三条大橋まで続く約533kmもある当時の主要幹線道路。
五街道を歩く旅をしていますと話すと、当時の道は残っているの?と聞かれることが良くある。江戸時代が終わった1867年より157年も経過しているが、旧街道は峠越えである山道も含めて残っている。もちろん、完全な形で当時の旧街道は残っていないので、所々途切れている場所は新しく造られた道路も歩き、地図を見ながら当時の旧街道を探して歩き繋いでいる。
江戸時代の人々は歩いて旅をしていたので、人間が歩いて移動する事を最優先に街道が整備されている。恐らく最短距離で旧街道が造られていると実感しているが、江戸から明治大正へと時代が進むにつれて鉄道や車が走れる道路が整備されてきた。
当初は、当時の人々が住んでいる集落であった宿場を縫うように道路や鉄道が整備されてきているが、交通量の増加に伴い新しく造られた広い道路や高速道路、新幹線などは、当時の集落より離れて造られていると実感している。
江戸東京日本橋より旧中山道を日帰りで歩き繋いで8回目。今回は群馬県安中市にあるJR信越本線安中駅より出発し、日本橋より15番目の安中宿、16番目の松井田宿を経てJR信越本線終点の駅である横川駅を目指している。
距離は約20kmあるが、1日かけて歩くには頑張れる距離でもあり、途中にある江戸時代の建物を見学できる五科(ごりょう)の茶屋本陣を過ぎ、残りは4kmもない。1時間あれば横川駅に到着できそうだ。
国道18号と上信越道の間にある五科集落を通り抜けると旧中山道は里山へと登っていく。ここまで歩いてきて上り坂だと、心がへこみそうになるけれど仕方がない。街道脇にある石塔の前を通り過ぎるとお地蔵さまと大きな石があった。
大きな石には茶釜石と説明版にあり、たたくと茶釜のような音がするのでその名があると。せっかくだから叩いてみようか。
そう思いながら、リュックを背負った1人のおばさんが石をたたいている姿は他人にはどう映るのかと少し気になる。街道を歩いて旅をする少々大胆な行動をしている私でも、小心者になる時はある。
私の他に人はいないかと辺りを見回す。この場所は現在の幹線道路である国道18号から離れた小高い里山を抜ける道の途中であり、私の他に人はいない。
もしかしたら、地元の人が軽トラで走ってくるかもしれないけれど、旅の恥はかき捨てでもある。大きな茶釜石の上には叩いてくださいと言わんばかりに手に持つにはちょうど良い大きさの石が置かれている。
叩いてみた。鈍い音はしない。確かに高い音で金属音に近いような音がした。不思議な石は江戸時代からの名所であり、これまでどれだけ多くの人がこの石をたたいたのだろうか。
そして説明版には、たまたま通った蜀山人(しょくさんじん)が狂歌を作ったと。蜀山人って誰?狂歌?とこの文だけでも?が2か所もある。仕方ない、調べようか。
蜀山人(しょくさんじん)とは大田南畝と言う天明期の人物で、幕府官僚であり文人とある。中学校の歴史の教科書にも名前が載っているとあったが、もちろん私は覚えていない。
当時は江戸時代でも商人文化が花開いている時代であり、大田南畝は次の大河ドラマの主人公のモデルである蔦谷重三郎を版元として出版もしていると。文筆で高い名声を持つ中で、特に狂歌で知られているとある。
狂歌とは社会風刺や皮肉、滑稽(ユーモア)を盛り込み、5・7・5・7・7の音で構成した短歌。江戸の天明狂歌の時代のきっかけになったのが、この場所で狂歌を残した蜀山人こと大田南畝とあった。
そんな、凄い人物がここを通ったのかと思ったけれど、当時の中山道は主要幹線道路なので特別な事ではないと思い直す。
五科(五両)では、あんまり高い(位置が高い)茶釜石 音打(値うち:価値や特別性)聞いて通る旅人。
大田南畝がこの場所を通った際に、茶釜石をたたいて珍しい音色に作った狂歌が書かれていた。
気が済むまで石を叩いた後は、後ろに並ぶお地蔵様にお参りをする。このお地蔵様は夜泣き地蔵と呼ばれており、ちょっとした有名人?いや、人じゃないから有名お地蔵であり、なんとテレビ出演歴もある。
お地蔵様にまつわる話。
昔、1人の馬子(馬の背中に荷物や他人を乗せて運ぶ職業)がお地蔵様の前を通りかかった。馬子は馬に乗せている荷物のバランスが悪くて困っており、荷物のバランスをとるためにお地蔵様の首を乗せて行ってしまった。馬子は中山道を進んだ深谷(埼玉県)で用が済むと、お地蔵様の頭を捨ててしまった。お地蔵様の頭は、夜になると五科に帰りたいと泣き、深谷の人が五科に運び元に戻した。
いくら荷物のバランスが悪くても、お地蔵様の頭は石なので重すぎはしないかと、石のお地蔵様の頭まで背負わされた馬も大変だなと余計な心配をしながら、深谷までは遠いよねと思う。横着して地図アプリを開き、五科より深谷までの距離を調べると約54kmもある。馬を連れて歩くと2日程かかるのではないか。
そして、勝手に深谷まで連れていかれてほったらかしにされたお地蔵様が帰りたくなる気持ちも良くわかるし、お地蔵様にとっては散々な話でもある。しかし、このお地蔵様を調べていると、子供の頃の良く観た、まんが日本昔話に登場しているとあった。
テレビ出演したお地蔵様は、かなり珍しいよね。
五科の地蔵さんと言うタイトルで、1977年(昭和52年)6月4日に放送されており、小学生だった私はこの話を観ていたかもしれない。
テレビ放送では、お地蔵様は頭だけでなく胴体も含めて連れていかれていたり、お地蔵様を連れ去った馬子自身がお地蔵様を戻していたりと内容は少し違うけれど、子供向けの内容にしたのだろう。頭だけ持っていくのはちょっと怖いよね。
しかし、まさかこの歳になってこの場所に来るとは思わないし、お地蔵様に合えるとは、当時の私には想像すら出来ない。人生、何が起こるか解らないと実感しながら、お地蔵様にお参りをする。
何だか、楽しい。解らない事が解ったり、知らなかったことを知ったりするのは楽しいじゃないか。インターネットを使って検索できる便利な世の中になったと、しみじみと感じる。そして、ネット環境さえあればお金を使わずに調べられるのは、ケチな性分の私にぴったりでもある。
旧中山道を歩き進み、信越本線と国道18号で抜けられない旧街道を回り道し、碓井神社の前を通り再び旧街道を歩き進むと、ようやく今回のゴールである横川駅に無事に到着した。
1日20kmの距離を歩くと、当然のことながら疲れるし足もいたい。そして、明日、明後日にはお約束の筋肉痛がやってくる。それでも、ほとぼりが過ぎればまた歩きたくなってくる。
横川駅と有名な看板を眺める。そう、横川駅と言えば峠の釜めしである。
次回は横川駅をスタートして碓氷峠へと挑むので、釜めしを買って帰るなら今しかない。こういうチャンスを逃がすと、何だか損をしたような気分になるのは私だけではないと思っている。峠の釜めしは食べても美味しいし、食べた後の釜も何気に可愛い。我が家では愛犬の食器に活躍しているので、釜めしも良いけれど、釜が欲しいのもある。
峠の釜めし、お土産に買って帰ろうか。
今回歩いているコース(1日約20km)
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