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大人の日帰りウォーキング お金を使わず楽しめる!街道沿いに残る史跡で歴史を学ぶ1日20kmを歩く旅

わか子森山わか子:ライター
旧中山道松井田宿(群馬県安中市松井田町)

江戸時代に栄えた宿場内の街道を歩き進む。現在残ってい建物は江戸時代の物ではないだろうけれど、明治か大正かと思われる旅籠風の木造建築が残っている中で、昭和の雰囲気を感じるお店が立ち並んでいる。
今では閉店している店の方が多い街並みを眺めていると、昭和の時代に生まれ育った私の子供の頃にタイムスリップしたような懐かしさを感じる。

江戸東京日本橋を出発し、江戸幕府が造った五街道の1つである中山道を日帰りで歩き繋げて今回で8回目。群馬県安中市にあるJR信越本線安中駅を出発し、約20km先にある横川駅に向かって歩いている。
何故、歩く旅なの?とよく聞かれる。世の中にはいろいろな楽しみがあり、美味しい物を食べたり、欲しい物を買う事は誰もが思う楽しみかもしれない。
子育てを卒業するお年頃のおばさんになってしまった私は学費に子育てにと、お金を使い果たしたので、自慢では無いけれどお金は無い。しかし、私にも楽しみが欲しいと思っていると、出かけるのが好きで偶然始めた歩く旅が交通費以外にほとんどお金がかからずに、お財布に優しい趣味だと気が付いた。

この辺りは今も昔も上野国群馬県から信濃国長野県へと抜ける交通の要所。江戸から明治へと時代が変わり、日本の近代化に伴って鉄道や道路が整備されてきている。
この先には江戸時代から難所と呼ばれている碓氷峠があるが、1997年(平成9年)に長野(上越)新幹線、1999年(平成11年)に上信越自動車道が開通し、高速道路や新幹線の開通で人や物の流れが大きく変わった地域なのだろう。

旧中山道の上を上信越道が走り抜ける(坂本宿:群馬県安中市松井田町)
旧中山道の上を上信越道が走り抜ける(坂本宿:群馬県安中市松井田町)

日本橋より16番目になる松井田宿。宿場の外れまで歩き進むと、街道脇にあるお寺に目が留まった。お寺の名前は補陀寺(ふだじ)とある。
このお寺が気になり調べてみると、参勤交代で加賀藩前田家が通ると、墓は悔し汗をかいたと言われているとあった。

学生時代に歴史が苦手で勉強しなかったので、お墓が悔し汗をかく理由が解らず脳内が消化不良になっている自分に気付く。
加賀藩は現在の石川県と富山県だから、参勤交代で中山道を通るよねと思いながらもう少し調べてみると、お墓の主は松井田城主であった大道寺政繁という戦国時代の武将であり、北条氏の重臣とあった。

天下統一を目指す豊臣秀吉が関東で勢力を伸ばしていた北条氏を攻めた小田原征伐。北条氏に仕えていた松井田城主の大道寺政繁は、豊臣秀吉に仕えていた前田利家に落城させられ降伏する。
その後、豊臣秀吉と北条氏の戦いは豊臣秀吉が勝利し小田原城は落城。北条氏が滅亡すると、大道寺政繁は切腹を命じられたとあった。
そう言う事か。悔し汗が流れる理由に納得する。

補陀寺(群馬県安中市松井田町)
補陀寺(群馬県安中市松井田町)

旧街道は県道から脇道にそれると、江戸から33里目になる新堀の一里塚の前を通り、左側にギザギザの特有な山容である妙義山を眺めながら信越本線の線路脇を歩き進む。

五街道を歩く旅をしていると、江戸時代の建物や宿場の多くは火災で焼失している場所が多く、当時の建物が残っている場所や見学できる場所はかなり貴重だと解る。
そんな貴重な建物の1つがこの先にある五科(ごりょう)の茶屋本陣。江戸末期に建てられたお西とお東の2軒の江戸末期の建物が現存している。
せっかくだから、茶屋本陣の見学(入館料:大人1人210円)に行こうか。

旧中山道から少し外れてJR信越本線の線路を越えて茶屋本陣へ向かう。立派な門をくぐり中に入ると、目の前の建物を呆然と見つめた。江戸時代の建物だよね。

五科の茶屋本陣お東(群馬県安中市松井田町)
五科の茶屋本陣お東(群馬県安中市松井田町)

茶屋本陣とは、江戸時代に参勤交代などで中山道を通行する大名や公家などが休憩した建物であり、宿泊の施設ではなく昼食や休憩、時間調整等に利用された地元名主の個人宅。
お西とお東の二つの建物があるのは茶屋本陣の役割を本家と分家が交代で務めており、両建物の構造もほぼ同じとある。
建物には大名などの休憩所となる上段の間や次の間、籠で付けられる玄関である寄り付き等があり、家族の生活の間である茶の間や村役所としても使われる広い座敷もある。立派と言う言葉しか出てこない。
私と同年代であろう施設の職員さんの小柄な女性が親切でいろいろ説明をしてくれた。

建物の座敷から枯山水の庭を眺めると正面には妙義山。その妙義山の景色も含めて一枚の絵になるように建物とお庭が造られているとのこと。なるほどと、日本三大奇景や日本百景にも選定されている妙義山。険しい岩峰が天に向かって伸びる荒々しい山容を眺めながら、この景色がこの場所の最高のもてなしなのだろうと感じる。

五科の茶屋本陣お東
五科の茶屋本陣お東

お西を見学した後、お東へと向かう。お東の庭には葉が3本ある珍しい松があると。
葉が三本ある松は三鈷の松と呼ばれて縁起が良く、三本の葉は智慧、慈悲、真心と言われている。そして、特別な品種ではなく変異によって葉が3本になったそうで、お守りとして持ち帰る人もいると言う。

お東の建物内も見学させて頂き、建物の裏に行くとコンクリートの壁が聳え立っているのに驚いた。コンクリートは上信越道の橋脚の一部。
五科の茶屋本陣のすぐ裏山を通っている上信越道は、当初の建築計画では建物の場所を通る事になっており、本陣建物は取り壊される予定だったと。しかし、歴知的に価値がある茶屋本陣建物を残そうと高速道路の方が計画を変更することになり、建物は取り壊されずに済んだとの話だった。高速道路も動かした歴史ある建物なのか。

二軒の建物は江戸末期に近い1806年の大火で焼失し同年中に再建されているので、2024年では築218年にもなる。
見所満載の見学をして少し疲れた。敷地内にある東屋で休憩しサービスのお茶を頂く。
江戸時代のお殿様も休憩した場所だと思えば、庶民ではとても経験できない場所だと気が付く。とても贅沢な時間を過ごせた。

参考)五科の茶屋本陣:安中市ホームページ

森山わか子:ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く楽しさをお伝えしたいと思っています。

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