ユーヴェ&インテルに挑む第三極に? 好調ラツィオに優勝経験OBが「スクデット目指せ」
目標は、欧州最高峰の舞台への挑戦権だ。だが、そのステージで頂点を目指し、国内で絶対的な支配力を誇示してきた王者を沈めたとあれば、さらに大きな夢を見てもおかしくない。
12月7日のセリエA第16節、ラツィオはユヴェントスにホームで3-1と勝利した。ロベルト・マンチーニが指揮を執っていた2003年12月以来となる、16年ぶりの本拠地オリンピコでのユーヴェ戦勝利だ。
これでラツィオは7連勝。10試合黒星がなく、首位インテルに勝ち点5差、2位ユーヴェに同3差の3位と好調を維持している。36得点はアタランタに1点差のリーグ2位、15失点はユーヴェ、ローマと並び、インテルに2点差のリーグ2位タイ。得失点差プラス21はリーグ最多の数字だ。
◆攻守堅調
チームを引っ張るのは、エースのチーロ・インモービレ。ユーヴェ戦ではPKの絶好機を決められず、連続得点記録こそ9試合でストップしたが、15試合で17ゴールと得点ランク首位を独走中だ。2005-06シーズンのフランチェスコ・トッティ以来となる欧州得点王のタイトルも期待されている。
そのインモービレに好機を演出するルイス・アルベルトの活躍も目覚ましい。11アシストでランキングのトップを快走。20チーム制になった2004-05シーズン以降のセリエAで初となる、年明け前の二桁アシスト達成という偉業を成し遂げた。
ただ、今季のラツィオは攻撃だけでなく、失点の少なさが示すように守備も堅い。
シモーネ・インザーギ体制の1年目(74得点)と2年目(89得点)も、攻撃は好調だった。一方、失点は毎年減ってはいるが、51→49→46と、上位勢では少なくない数字。3年目は攻撃も56得点とペースダウンした。それが、今季は上記のように攻守ともに堅調だ。
勝負強さも光る。『コッリエレ・デッロ・スポルト』は、今季のラツィオが後半に喫した失点は、逆転負けしたスパル戦(3節)と、3点リードから終盤に1点返されたレッチェ戦(12節)の2試合のみと指摘した。後半3失点はリーグ最少だ(後半19得点は3位、得失点差プラス16は最多)。
◆先輩たちからは「やれる」
当然、周囲の期待は膨らむ一方だ。今季の優勝争いは、アントニオ・コンテの指揮下で復権を狙うインテルが、絶対王者から覇権を奪えるかの一騎打ちとみられている。だが、そこにラツィオが割って入る三つ巴になるかもしれない。
ターゲットは、あくまでもチャンピオンズリーグ(CL)出場権だ。しかし、首位と5ポイント差となれば、巷には「スクデット(優勝)」を意識する声が増えていく。『ガゼッタ・デッロ・スポルト』でも、クラブのOBたちが後輩に檄を飛ばした。
ロベルト・ランバウディは「スクデットを狙える。ユーヴェを上回っていると示した。だから、CL出場以上を目指すのが正しい」と主張する。
1974年の優勝経験者ヴィンチェンツォ・ダミーコは「今のラツィオならやれる。ユーヴェも含めてどこが相手でも倒せる。インテルと比べても上だ」と述べた。
2000年の優勝経験者ジュゼッペ・パンカロも、「ユーヴェと比べて情熱や飢えがあり、インテルよりもスタメンの力は上だ」と続いている。
ランバウディやパンカロは、選手層に厚みがないという弱点があることも認めた。そのうえで、前者はスクデットへの意識が「選手の成長につながる」とコメント。パンカロは情熱で層の薄さを埋められると主張した。
また、パンカロは2000年の優勝チームになかったアドバンテージが今のチームにあるとも述べた。スクデットを目標につくられたチームでないだけに、プレッシャーがないことだ。
◆優勝を狙う5つの理由
ステーファノ・アグレスティ記者も、『Calciomercato.com』で同様の指摘をした。同記者はラツィオ優勝を除外できない理由を5つ挙げ、クラブからスクデットを求められていなかったチームが、落ち着いて戦えることをそのひとつとしている。
そのほかの理由のうち、最初に挙げられたのが、純粋にタレントを擁している点だ。例として、技術に優れたL・アルベルト、セルゲイ・ミリンコビッチ=サビッチ、ホアキン・コレア、フィジカルが強いルーカス・レイバ、そして「ゴールを狙う野獣」インモービレの名前が並ぶ。
また、前述のように攻守のバランスが取れている点や、グループステージ突破が厳しい状況のヨーロッパリーグで敗退した場合、負担が軽減されることも理由に挙げられた。さらに、ミランを敵地で30年ぶり、ユーヴェをホームで16年ぶりに倒したことが示すように、ビッグクラブ相手の“タブー”を打ち破ってきたことが、以前のラツィオになかった精神力の強さを示すと記している。
もちろん、シーズンはまだ折り返し点にも達しておらず、現時点で優勝を論じるのは時期尚早だ。ただ、ラツィオのサッカーがイタリア随一の成熟度を誇るのも事実。ならば、夢を見るのも許されるのではないだろうか。