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95歳で逝った名バーテンダー、井山計一さんを偲ぶ。井山さんの楽しいおしゃべりと人生を通して考えたこと

水上賢治映画ライター

 山形県酒田市にある喫茶店「ケルン」のバーテンダー、井山計一さんは、いまから60年以上前にカクテル「雪国」を創作。その「雪国」は時代を超え愛され、いまやスタンダードな一杯として世界的に知られる。

 生きながら伝説のバーテンダーとなっていた井山さんが、去る5月10日、95歳で天寿をまっとうした。各メディアで報じられたので、ニュースで触れられた方も多いだろう。

 追悼の意味を込め、生前の井山さんの姿を収めたドキュメンタリー映画「YUKIGUNI」の製作者たちに話を訊くインタビュー特集。

 第一回では「YUKIGUNI」の撮影監督を務めるとともに自身の監督作「世界一と言われた映画館」でも井山さんとつながっていた佐藤広一監督のインタビュー(前編後編)をお届けした。

元スタッフに連れられて「ケルン」にいったのが井山さんとの出会い

 続いては、「YUKIGUNI」の渡辺サトシ監督に話を訊く。(全2回)

 はじめは井山さんとの出会いから。渡辺監督は2012年に初めてお店を訪れている。そのきっかけをこう明かす。

「僕はお酒は大好きなんですけど、井山さんとお会いするまでは日本酒党で、洋酒はほとんどの口にしていませんでした。

 なので、バーもほとんど行ったことがなかったんです。

 なぜ、そんな僕が『ケルン』を訪れたかというと、自分の配給会社の事務所で以前働いていてくれていた元スタッフが誘ってくれたんです。

 その元スタッフは東京にいたときにバーで働いていて、井山さんの存在を知っていた。それで『酒田にすごいバーテンダーがいるのでいってみませんか?』と誘われたんです。

 それで『ケルン』を訪れたんです。だから、元スタッフに声をかけてもらっていなかったら、一生知らなかったかもしれない。ほんとうに偶然いったんですよ」

井山さんの話をききたくて、わざわざ飛行機代や新幹線代を

払ってくる人がいるというのに納得

 そのとき、すぐに映画にという考えはなかった。ただ、強く印象に残ったという。

「そのときは、純粋にお酒を楽しみにいっただけですね。

 ただ、井山さんにはとても魅了されたといいますか。とにかく話が上手なんですよ。

 おそらく多くのバーテンダーの方は、もちろんお客さんと会話は交わすと思うんですけど、それでも基本的には多くは語らないようなイメージだと思うんですね。

 でも、井山さんは違う。お話が大好きなバーテンダーなんです(笑)。

 昨日今日の世間話みたいなことから始まるんですけど、もう戦前とか戦中とかの話をになると話が一気に盛り上がっていくんです。

 当時のことをまるで昨日みてきたように語る。

 おそらく何百回、いや何千回と自分の記憶や体験を語っているので、もう古典落語のようになっていて、話にぐいぐい引きこまれていく。

 ふと、気がつくとカウンターは井山さんの独演会のような状態になる時があるんです。

 その話を聞きながら、60年前に作られたカクテルを飲んでいると、陶酔してきて、当時のことなんて知る由もないのに、なんだか自分もその場に井山さんと居合わせたような錯覚になるんですよ。

 井山さんの話をききたくて、わざわざ飛行機代や新幹線代を払ってくる人がいるというのに納得しました。

 ほんとうにそういう価値がある時間を提供してくれる人で。最高のバーテンダーであり、僕は珠玉のエンターテイナーだとも思いました」

渡辺サトシ監督
渡辺サトシ監督

 井山さんを主人公にしたドキュメンタリーを意識したのは、その数年後。打診したときの井山さんの反応をこう明かす。

「最初は『映画って何?テレビと何が違うの?』みたいな感じでしたね。

 それまで井山さんはテレビの取材はいくつか受けていた。でも、テレビってまあ長くて2~3日、まあほとんどが1日撮影して終わるじゃないですか。

 だから、僕ら同じような機材なのに、何日も何日もやってくるから『また来るの?』みたいにはじめは不思議がっていました。

 それで4~5回いったあとに、映画なんでたぶん1年以上、下手すると2~3年ぐらいはおじゃますると思いますと伝えました。

 そうしたらやっと意味が飲み込めたみたいで、『酒田のため、町おこしになるんであれば一肌脱ぎますよ』と言われました。

 井山さんは昔から商店街のいろいろな役回りをしていたので、そういう気持ちが強かった。

 酒田市内の商店街って今、全国どこもそうですけど、ほんとにシャッター通りというか、寂しい状態になってるので、酒田の町を盛り上げられる映画になるのであれば、一肌脱ぐということだったんですけど…。

 僕らは『観光映画やご当地映画のようにするつもりはないです』と伝えたんですけどね。

 井山さんもそれはわかってくださったんですけど、それでも『町のために』っていう思いはずっとあったと思います」

シェーカーを振る姿がとても軽やかで、とても美しかった

 当時、井山さんを主人公にした映画を意識した理由をこう明かす。 

「まずは、お会いした時にシェーカーを振る姿がとても軽やかで、とても美しかった。

 撮影のお願いしたのが確か2015年の秋ぐらい。井山さんが90歳を迎える直前にお願いしました。

 なぜ、そう思い立ったかというと、まずシンプルに90歳になるという人でこんな元気にバーテンダーとしてカウンターに立っている人は、まずいないだろうと思いがありました。

 実際、その後1年近くして、その時点での日本最高齢のバーテンダーとなっていた。

 それから当時は、一億総活躍社会というスローガンを安倍政権がちょうど掲げたときで。

 老後も働かないといけないのかといった、多少なりとも老後への不安など、老いへのネガティブなイメージが増していったように当時の僕の目には映りました。

 ただ、それで年をとっても働くことを全否定するのも、年をとって働く人をネガティブにとらえらてしまうのも違うと思って。

 戦後は、今のようにサラリーマンが当たり前の時代になりましたが、かつては農家や個人商店のように生涯現役で働くことは珍しくはなかったと思います。

 今の井山さんのように生涯現役でいきいきと働いている人を伝えたら、勇気をもらったり、老いることを肯定的に受け止めてくれる人もいるんじゃないかなと。

 老いに対して、そういうポジティブなメッセージを発することもできるのではないかと思って、撮影取材をお願いしたところもありました」

現代の『おひとりさま社会』において、

バーは重要な役割を果たしているのではないか

 企画の初期段階はこういうことを考えていたが、撮影を進めていく中で、これまで見えていなかったいろいろな世界が見えてきたという。

「まず、バーという場所がひじょうに大切な場であることがわかりました。

 よく職場、自宅、もうひとつの居場所、サード・プレイスと言われますけど、まさにそうだなと。

 それで、いまやはりおひとりさま社会なんですよね。実際問題として、単身者世帯が増えている。リモートワークが普及して、1日誰にも会わないという人もいるわけです。

 そうした中で、ひとりで行けて、気心知れている常連さんがいるカウンターに座り、自分のために特別な一杯を目の前で作ってくれるバーテンダーがいることはものすごく贅沢なのではないかと思いました。

 さらに言うと、現代の『おひとりさま社会』において、バーはひじょうに重要な役割を果たしているのではないかなと。

 映画の中で、井山さんとも交流のあった著名な切り絵作家で、バー評論家の故・成田一徹さんの『BARは人なり』という言葉を紹介しています。井山さんの人生を通して、この言葉を体現したような映画にしたいと考えるようになりました」

 また、映画では、バーテンダーとしての井山さんだけでなく、昭和という時代の家族の肖像も描きたいという思いもあったという。

「人によっては、井山さんを天職と思える仕事に巡り合えた一握りの幸運な人間にみえるかもしれない。

 日本を代表するスタンダードカクテルとして知られるカクテルを作り上げた伝説のバーテンダーと、どうしても輝かしい部分にばかり目がいってしまう。

 でも映画でも触れていますけど、決してそう順風満帆な道を歩んでいるわけではない。

 もともと社交ダンスの教師をしてから、20代後半でバーテンダーになった。常に新しい物好きで、昼は自家焙煎の喫茶店をしながら、奥さんといっしょに夜はカクテルを提供をしてきた。戦後の混乱期と言うこともあり、息子さんと娘さんは井山さんのお母さんに預けっぱなしで朝から晩まで働き通しで、また夜の商売への偏見もあった時代なので、親子関係は多少なりともギクシャクしていたようです」

映画「YUKIGUNI」より
映画「YUKIGUNI」より

「雪国」のような酸味と甘味のバランスが取れた映画になったのではないか

 こうして作品は、井山さんの光ばかりではなく、影も浮かび上がらせる。カクテル『雪国』の味は、シュガーとキュラソーの甘味で口当たりはいいんが、アルコール度数が高くて、キリっとした後味。結果的に「雪国」のような酸味と甘味のバランスが取れた映画になったのではないかという。

「井山さんがカウンターで語るお話って少々、口当たりがいい甘美な記憶の話が多いんですが、 ただ、一方で自由奔放な井山さんに振り回された家族の話というのは、かなりドライな辛口のコメントも多かった。撮影当初、娘の菅原真理子さんは映画への出演をけんもほろろに断られ続けていました。

 結局、約2年半近く撮影したんですけど、撮影の終盤も終盤、2年過ぎたぐらいにようやく承諾いただきました。

 最後は『真理子さんに登場してもらわないと映画が完成しません』って直談判しまして(苦笑)。

 そうしたら真理子さんも、長期間かけて撮影しているの気にかけていて、『もう父もいつまで元気でいられるのかわからない。映画がいつ完成するかは心配しています』ということで、ご承諾してくださいました。

 それまでは頑なに拒まれていたんですけど、OKをいただいてからはもうなんでもお話してくださって、こちらに対しての協力も惜しまない。

 さすが、井山さんの血を引いているなと思うほど、父への秘めたる思いを饒舌に語ってくださいました」

 そこまで娘の真理子さんの出演にこだわったのは、これは映画で描かれれていることだが、真理子さんが実は父の作ったカクテル「雪国」をのんだことがないという点だった。

「もう井山さんは90歳を超えていますから、娘の真理子さんとしても今更父の生き方をどうこう批判するつもりはない。もう好きにすればいいと受け止めているところがある。

 でも、それでも子ども時代から引きずっている感情、商売中心の生活だった両親のことに感謝しつつも、子供時代に抱いた複雑な気持ちがいまだに拭えないでいるのではないかと感じました。

 なので、無理強いはしてはいけないんですけど、こういう映画を作っている機会だからこそ、親子の関係を見つめ直すきっかけにもなるのではないかということで、夜の営業時間に真理子さんが父親のお店を訪ねることを提案してみました。

 結果的に、井山さんにとっても真理子さんにとっても、忘れられない時間になったのではないかと今でも思っています。

 真理子さんからは、『映画を介してあのとき向き合わなかったら、両親への気持ちを整理できないまま、そのまま終わっちゃっかもしれない』と感謝の気持ちを伝えられました。」

 こうしたことを経て、撮影は無事終了。その直後から、井山さんが映画の完成を心待ちにしていたという。

「井山さんは、ほんとうに人と会って話をするのが大好きで。

 自分がもう遠出の旅行とかできないので、映画が完成したら全国のバーテンダーとかいろいろな人が知ってくれて、お店にやってきてくれるかもしれない。

 そこで新たな出会いがあるんじゃないかと、映画の完成をほんとうに楽しみにしていました」

(※第二回に続く)

映画「YUKIGUNI」より
映画「YUKIGUNI」より

映画「YUKIGUNI」

詳しい情報は、映画公式サイト https://yuki-guni.jp/ にて

写真はすべて(C)いでは堂

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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