「古き良き柔道」で五輪連覇の大野将平が、次に求める闘いとは──。<もう一つの山>に挑むのか?
恐怖の中での闘い
「子どもの頃に好きで始めた柔道がリオ・デ・ジャネイロ大会以降、嫌いになりました。5年間、稽古が苦しくて辛かった。今日は、自分が何者なのかを証明するための闘いでした」
金メダルを獲得した後、表情に笑みを浮かべることもなく大野将平は、そう話した。
五輪連覇の重圧は、私たちの想像を大きく上回っていたようだ。
柔道競技初日に60キロ級で高藤直寿、2日目には66キロ級の阿部一二三が連続して金メダルを獲得した。
(次は大野将平だから大丈夫。3日連続金メダルは固い)
多くのファン、関係者が、そう思っていた。
実際、大野は余裕を持って闘っているように見えた。準決勝までの4試合は対戦相手を圧倒。決勝のラシャ・シャフダトゥアシビリ(ジョージア)戦では、延長戦で「指導2」と追い込まれはしたが、それでも闘いの主導権は握り続けていたからである。
だが、大野は振り返って言った。
「感じたことのない恐怖の中で闘っていた。以前の自分だったら心が折れていたかもしれない」と。
「頑な」と「柔軟」
「古き良き柔道」。
大野の闘い方は、そう形容される。
近年、競技化が進む中で柔道の闘い方は大きく変わった。
相手に、襟や袖を持たせない。組み手争いの中で、瞬時に道着を掴み技を仕掛けることが多くなっている。
だが、大野の闘い方は違う。
しっかりと相手の襟と袖を持って組む。相手にも組ませ、そのうえで技を競うことを求める。もちろん相手は組まれるのを嫌がり抵抗する。それでも組み、相手を投げ切り、大野は勝ち続けてきたのだ。今大会でも彼は、そのスタイルを崩さなかった。
テレビ中継を観ていて気づかれた方も多いかと思う。
大野は常に試合場の真ん中に立ち、相手がその周囲をまわっていた。
この闘い方は、「美しき柔道」を体現したいとの想いの表われであり、格上の証しだ。
また、大野の柔道スタイルは、実に柔軟である。自分が得意な技、形に固執することなく、臨機応変に闘い方を変えている。技のバリエーションも多彩だ。
そのことは、今大会の闘いぶりを振り返るとよくわかる。
緒戦(2回戦)のアレクサンドル・ライク(ルーマニア)には、「内股」で一本勝ち。3回戦、投げ技のデフェンスに専念するビラル・チルオール(トルコ)に対しては互いに倒れ込んだ際に隙を突き、「横四方固め」で抑え込んだ。
準々決勝、ルスタム・オルジョフ(アゼルバイジャン)戦は、内股で技有りを奪った後、得意の「大外刈り」で合わせ一本に。準決勝ではパワーファイター、ツォグトバータル(モンゴル)に「小外掛け」で勝利。
9分26秒の死闘となった決勝戦では、互いにスタミナを消耗する中、瞬時の判断で「支え釣り込み足」を仕掛け決着をつけた。
「内股」「横四方固め」「大外刈り」「小外掛け」「支え釣り込み足」。
5試合で5種類の技を決めたのだ。
相手の出方を見て、展開に応じて試合を組み立てる。大野は、高度な適応能力を有しており、これが彼の最大の強みだろう。
見かけは「頑な」。しかし、闘い方は実に「柔軟」なのである。
<もう一つの山>
今回の金メダル獲得で、大野は柔道日本勢として史上7人目となる五輪連覇を果たした。これまでに五輪連覇を果たしている柔道家は、次の6人だ。
斉藤仁/男子95キロ超級、84ロサンゼルス→88ソウル
野村忠宏/男子60キロ級、96アトランタ→00シドニー→04アテネ
田村(谷)亮子/女子48キロ級、00年シドニー→04アテネ
内柴正人/男子66キロ級、04アテネ→08北京
谷本歩実/女子63キロ級、04アテネ→08北京
上野雅恵/女子70キロ級、04アテネ→08北京
この中で野村が唯一人、3連覇を果たしている。
「私の柔道人生は、これからも続いていく。さらなる完成形を目指したい」
そう話すにとどめ明言は避けたが、大野は3年後にパリで天理大学の先輩に肩を並べる五輪3連覇に挑むつもりだ。
さらに、その前に<もう一つの山>も越えようとするのではないか。<もう一つの山>とは、体重無差別で争われる『全日本柔道選手権』。
過去にも大野は、この大会に出場しているが上位に勝ち上がれていない。
31年前、71キロ級で闘っていた「平成の三四郎」古賀稔彦は、巨漢選手相手に勝利を重ね決勝に進出した。だが、ここで小川直也の足車を喰らって敗れ『全日本柔道選手権』では準優勝に終わっている。
講道学舎の偉大な先輩・古賀稔彦が果たせなかった偉業に挑む──。
「さらなる完成形」を目指す大野にとって、これは必然だろう。「古き良き柔道」で<もう一つの山>を越える姿が見たい。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】