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犯人がようやくわかった、奇病「バク」と人々の戦い

華盛頓Webライター
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人類の歴史は病気との戦いの歴史と言っても過言ではありません。

日本でも八丈小島ではバクと呼ばれている奇病が蔓延しており、多くの島民を苦しめてきました。

この記事ではバクとの戦いの軌跡について紹介していきます。

熱の正体

1950年、フィラリア症治療に効果が期待されるスパトニンの発見を受け、佐々は大阪の田辺製薬と連携し、投与量の確立と高熱の原因究明を主要課題として進めました。

同年12月、佐々らは八丈小島を訪れ、2か月にわたり住民と一緒に暮らしながらスパトニンの研究をしました。

これで3度目の調査となったが、島民たちの歓迎は変わらなかったのです。伝研メンバーは各家を訪問し、詳細な病歴や症状を調査しました。

林は積極的に調査を進め、島の方言も習得するほどです。

獣医学出身の佐藤は、乳牛の出産を手伝うなど、島民との信頼関係を築くことを大切にしました。

この調査で、スパトニンを投与した結果、ミクロフィラリアが急激に減少し、発熱はフィラリアが死滅する際に生じるアレルギー反応であることが明らかになりました。

高熱が治療の成功を示す証拠であり、数日で熱が治まることも確認されたのです。

一方、スパトニンは当初の目的であった回虫駆除には効果があるものの、大量投与が必要で副作用が発生するため、回虫駆除剤としては不適格とされました。

また、犬のフィラリアに対しては、効果がなくショック死の危険があるため使用が禁じられたのです。

人間のフィラリア症に対する効果が認められたスパトニンは、1951年4月に田辺製薬から治療薬として販売されることが決定されたものの、大量製造に伴い合成過程で有害ガスが発生する問題が生じました。

これに対し、田辺製薬は実験室の通気性改善や合成方法の見直しを行い、フィラリア撲滅という目標に向けて製造を継続したのです。

その結果、スパトニンはフィラリア症の治療薬として確立され、治療の可能性が大きく広がりました。

犯人はトウゴウヤブカ

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佐々と伝研メンバーが次に取り組んだ課題は、八丈小島におけるフィラリア感染源の特定と対策でした。

フィラリア症の伝播は蚊によって行われることは常識であり、特にマレー糸状虫の媒介蚊を特定することが重要だったのです。

八丈小島のような急峻な火山島には通常、フィラリア症が流行する環境は整っていないが、伝研メンバーは島中を巡り、ボウフラと蚊の調査を進めました。

調査の結果、ボウフラの発生源として各家庭の天水タンクや、鳥打村の溶岩の岩場にあるロックプールが確認されたのです

さらに、蚊を島中から採集した結果、八丈小島には6種類の蚊が生息しており、特にアカイエカ、ヒトスジシマカ、トウゴウヤブカの3種が多く見られました。

採集した蚊78匹を解剖したところ、トウゴウヤブカの中からミクロフィラリアが発見されました。

これにより、トウゴウヤブカが媒介蚊である可能性が強まったが、佐々はさらに実験を行ったのです。

島民の協力を得て、実際に蚊を使った吸血実験を行い、ミクロフィラリアを保有する年配女性の血を吸った蚊を解剖しました。

その結果、トウゴウヤブカの体内でミクロフィラリアが成長していることが確認されたのです。

この発見は、1951年当時、東南アジアのマレー糸状虫流行地での媒介蚊には含まれていなかったトウゴウヤブカが、八丈小島で媒介蚊として特定されたという、世界初の重要な発見でした。

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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