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傷ついていてもいい、後悔が残っていてもいい。あれからもうすぐ3カ月……、中学受験のエピローグ

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
イメージ(写真:イメージマート)

明日からゴールデンウイークです。この春に中学受験を終えて、それぞれの進学先での数週間をすごした元中学受験生たちも、そろそろ新しい生活に慣れてきたころではないでしょうか。

でも、親にとっての中学受験って、まだ終わってなかったりしますよね。

同じ学校の同じ教室にいる生徒でも、心の中の色はさまざま。100%望んだとおりの結果としてそこにいる生徒、”ほろ苦さ”を経験しつつも笑顔でそこにいる生徒、そしてまだ“ほろ苦さ”を引きずっている生徒……。

ある私立中高一貫校の先生は、「中2の始業式が、親にとっての入学式だったりするんです」とおっしゃっていました。一年間通ってみて、ようやくほっとする親御さんも多いのだそうです。

小学校での遠足の最後には、校長先生が「遠足はここで終わりではありません。安全におうちに帰るまでが遠足です」と言っていましたよね。中学受験も同じです。

中学受験は、合格発表で終わりではありません。実は、合格発表が終わってから、中学受験のエピローグが始まります。

生きていれば、どんなに頑張っても思い通りの結果が得られないことはたくさんあります。思い通りの結果が得られなければ、傷つくのは当然です。でも人生において、傷つくことは、失敗ではありませんよね。

中学受験も同じです。不合格をもらえば傷つきます。でも、不合格をもらうことは、中学受験の失敗を意味しません。

望み通りの結果が得られなかったときには塞ぎ込んでしまいたくなるのもわかりますから、そのような状態にあるひとを、私は無理に励ましたりはしません。むしろせっかくだから、思い切りその泥沼にはまり込んでほしいと思います。

実は私自身、結構失敗を引きずるタイプなんです。気持ちの切り替えが苦手なんです。でもわりと最近こう思うようになったんです。気持ちの切り替えが苦手なのは、自分の強みなのかもしれないと。

過去の苦々しい経験をいつまでも抱えていることができて、それを自分の糧にできるって、実はすごいことなんじゃないかと思うようになりました。その糧が新しい自分をつくり、それが味わいになっていくなら、もっと素敵だなと思います。

でも、どんなにしんどい気持ちを引きずっていたとしても、なんとか踏ん張って、やってほしいことがあります。

中学受験の日々を駆け抜けたわが子がいまどんな表情をしているか、何をするのかを、しっかり見ていてあげてください。いまこのときのわが子の姿を、いまいちどよーく観察して、目に焼き付けてください。

そこに成長が感じられて、「100%思い通りの結果ではなかったけれど、中学受験をして良かったな」と思えるなら、その中学受験は大成功なんです。

「いろいろあったけど、そのおかげで成長できた、いまの自分がある、やってよかった」と親子そろって思えるようなハッピーエンドを描ききるまでが、中学受験における親の大事な役割です。

数週間で書き上がるエピローグもあれば、数カ月かかることもあるし、場合によっては数年かかることもあります。焦らずに、自分たちらしいエピローグを紡いでいってください。

そのエピローグが、また新たな冒険のプロローグになります。

人生においてはときどき、一応の「結果」が出ることがあります。でもその結果は、人生の一瞬の状態を写した一枚の写真にすぎません。そこにどんな解釈を付け加えるかは、常にそのあとの生き方が決めます。

中学受験は、12歳にしてそんなことを学ぶ絶好の機会でもあるのです。

「あぁ、あのときああしていれば……」と後悔することの一つや二つ、あるかもしれません。

では、SF映画のように過去にさかのぼってあのときをやり直せたら、完璧な中学受験になるのでしょうか。

たぶん違います。おそらく別のところで別の悔いが生じるだけです。つまり、やり直したいところがいっぱいある中学受験の経験の中にも実は、自分たちが気づかないうちにとてもうまく乗り越えていた落とし穴や回り道があったはずなんです。客観的に見れば、案外いい中学受験だったのかもしれないわけです。

私はよく、中学受験を『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』や『西遊記』のような冒険物語に例えます。テレビゲームの中でバーチャルな冒険をするのとはわけが違います。

よほどやり方を間違えない限り命を奪われる危険こそないけれど、現代社会においては数少ない、リアルにスリリングな冒険です。だから中学受験は、小説や漫画の題材にもなりやすい。

子どもにとっては文字通り果てしなく感じられる壮大な行程を、目的が本当に達成できるのかもわからない不安の中で、それでも一歩一歩着実に進まなければならない苦難の旅です。

どこに落とし穴があるかもわからない。怪物が現れ、回り道を余儀なくされるかもしれない。そのたびに感情が揺さぶられる。本当の恐怖も感じる。中学受験をしていると、誰もがそういう状況を必ず経験します。必ず、です。

不測の事態や不本意な状況に際したとき、それをどう意味づけし、どうやって成長の糧にすべきかを示すのが親の腕の見せどころ。それはそのまま人生を生き抜くための指針にもなります。

生まれて初めての本気の大冒険を、子どもは何年経っても忘れません。そのとき感じた恐怖、悲しみ、悔しさ、喜び、そしていつもそばにいてくれた母親や父親の存在感の大きさを、映画の回想シーンのように思い出すことができます。

極上の冒険物語を読み終えたときに残るほろ苦さが物語の余韻を増幅するように、中学受験の日々の最後に残ったほろ苦さも、いずれ家族にとっての宝物になります。壮大な冒険物語を共有した家族がそれぞれの立場で、今後の人生の味わいの一部として生かしていってほしいと思います。

心に刺さったままで抜くことのできなかったトゲが、いつの間にか真珠になっているってことが、人生にはときどきありますよね。

負けられない試合での負け、大切なひとを傷つけてしまった思い出、叶わなかった恋……。しばらくは思い出すだけで吐き気をもよおすほどつらいことですが、それもいつか”ほろ苦さ”という人生の味わいに変わっていることに気づきます。いわゆる“大人の階段”ってやつです。

「中学受験はゴールじゃない。スタートだ」とはよく言われますが、それは6年後の大学受験へのスタートなんていうちっぽけな意味ではありません。この先何十年と続く“大人の階段”へ向けてのスタートです。

12歳にしてほろ苦さを経験し、それでも堂々と前を向いて新しい一歩を踏み出せたのなら、すでに“大人の階段”を一段上がったところからのスタートです。

死力を尽くして手を伸ばしたのに、するっと指の間からこぼれ落ちるものが、人生にはときどきある。空虚な手のひらを、しばらく呆然と眺めるでしょう。でもいつか、その空虚にすら、意味を見出すことができる。それが人生。

そんなことを親子で学べるのも、中学受験で得られる価値なのです。これから中学受験に挑む親子には、そこまでを見据えて取り組んでほしいと思います。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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