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中学受験と無料塾を描いた『二月の勝者』作者の本人がリアルな無料塾で中学生に直接語った「生き方」とは?

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
中野よもぎ塾で行われた『二月の勝者』作者による授業(撮影:おおたとしまさ)

リアル「スターフィッシュ」が実現

2024年8月11日、中学受験漫画の金字塔『二月の勝者−絶対合格の教室−』(小学館)の作者・高瀬志帆さんが、東京都中野区で活動する無料塾「中野よもぎ塾」(代表:大西桃子)で中学生を対象に授業を行った。

『二月の勝者』は中学受験塾「桜花ゼミナール」を舞台にした物語だが、主人公のカリスマ塾講師・黒木蔵人には裏の顔があった。家庭の事情で一般的な進学塾に通えない子どもたちに勉強を教える無料塾「スターフィッシュ」の運営者でもあったのだ。

「一般的には中学受験ものと思われていると思いますが、同時に描きたかったのは教育格差の問題です。中学受験塾と無料塾は別世界の話ではなくて、ぜんぶ地続きの問題なんだということです」と高瀬さん。

無料塾「スターフィッシュ」のディテールを描くため、高瀬さんは「中野よもぎ塾」を取材した。コミック最終巻第21集巻末の「取材協力リスト」には中野よもぎ塾の名前もある。

「漫画で描くだけではなくて、私も何らかの形で無料塾に関わりたい。寄付ならできるけど、勉強は教えられないし……」と高瀬さんは思っていたが、漫画に関してなら教えられる。そこで今回の「マンガ講座!?」を開催することとなった。

中野よもぎ塾の授業は、毎週日曜日の18:00〜21:00の3時間。最初の2時間が、マンツーマン指導による勉強で、最後の1時間は毎回リクリエーション的な時間になる。お題を決めて俳句を詠んだり、みんなでゲームをしたり、「サポーター」と呼ばれるボランティアスタッフが自分の仕事について話したりする。その枠で、高瀬さんの授業も行われた。

まず、母子家庭で育ち、経済的な理由から四年制大学にはいかせてもらえず短大卒であり、一般企業にOLとして就職してからも奨学金の返済が大変だったことを自己紹介。奨学金の返済のめどがついた27歳に漫画家デビュー。売れっ子漫画家のアシスタントをしながら自分の漫画も描き、キャリアアップしていった。

いまは漫画もデジタルで書くのが一般的だし、高瀬さんもフルデジタルで作画しているが、この日、高瀬さんはプロが使う、本物の漫画原稿用紙とペンを持参していた。

「もともとマンガはアナログで描くものだったわけです。デジタル機器がないと漫画が描けないなんてことはありません。画用紙に普通の150円のペンで描いても漫画雑誌の新人賞に応募できますから、お金がないこと理由にあきらめないでください」

高瀬さんが実際にインクをつけたペン先を原稿用紙上に走らせると、生徒たちは身を乗り出してのぞき込んだ。なかには本気で漫画家になりたいと考えている生徒もいて、ペンと原稿用紙を借りると離さず、すっと自分の絵を描いていた。

漫画家志望の生徒は漫画用の本物のペンで絵を描き続けていた(撮影:おおたとしまさ)
漫画家志望の生徒は漫画用の本物のペンで絵を描き続けていた(撮影:おおたとしまさ)

「職業として漫画家をすすめますか?」

「OLを辞めて転職したいと思って、漫画家の道を選びました。転職しようと思って資格を取るにしても学校に通ったりお金がかかりますが、漫画を描いて応募するのはほとんどお金がかからないので。それで賞を取るといくらか賞金ももらえますし、ただで作品を添削してもらえます。直接持ち込みなんかすると、直接編集者さんが指導してくれることもあります」

そこからは授業というより勝手に質疑応答タイム。生徒からもサポーターからも質問が相次ぐ。やりとりの一部を紹介する。

サポーター:リサーチの部分はどうしていますか?

高瀬:滅茶苦茶大事で、何をしても無駄になりません。町で嫌な目に遭ってもぜんぶネタになります。いろんなひとと会って、自分の中にインプットしておくといいです。漫画家さんはすごく勉強してます。だからといって、勉強ができればいいという問題でもありません。勉強っていま、テストでしか測らないから、あれって頭の良さじゃなくて、テクニックだったりするんで、そこができるかできないかじゃなくて、いろんなものに興味があって、好きになれるかどうかが大事かな。

サポーター:読者の年齢層とかも考えてから描くんですか?

高瀬:すごく大事です。ちゃんと決めておかないと主題がボケちゃうんで。究極、サービス業です。読者さんに喜んでもらう気持ちで描かないと、商業誌では伝わらないんで。究極的には、読者さんの人生を変えるぞ、くらいの気持ちでやってる方が多いですよね。

サポーター:『二月の勝者』のターゲットは?

高瀬:大人向けです。社会構造のおかしさも伝えたいと思って描きました。子ども向けという意識ははまったくありません。でも、自分の子どものやる気を引き出すためにこの作品を読ませるみたいな事例が若干あることを知り、そのときは正直ものすごくショックを受け、落ち込みました。漫画ってほんとに難しくって、どう読むかは読者さんの自由なんです。

生徒:職業として漫画家をすすめますか?

高瀬:すごく好きだったらすすめるけど、就職だと思っていたら、ちょっとやめたほうがいいかもしれない。仕事としてやろうとすると、ちょっとつらいかな。なんか、ひとを喜ばせたいなって。お笑い芸人か漫画家かって言ってるひともいました。自分が表現したいことと受け手が喜んでくれることが一致するのが楽しいみたいな。

生徒:絵はいつくらいから描いていましたか?

高瀬:絵は子どものころから描いていましたけど、それで食べていこうという発想をもてるような家庭環境ではありませんでした。だから本当にペンを持って漫画を初めて描いたのは24歳でした。私、デビュー遅いんです。漫画の勉強するのも大事だけど、いっぱい経験しておくといいかも。ここにいるだけでいろんなひとと出会えるでしょ。私が中学生のときにはこんなにいろんな大人と知り合えなかったので。

生徒:こういう感じのところ知ってるといいのかな?

高瀬:うん、いいと思う。私だって普段、こんないろんなタイプの大人と会ってないから。一歩リードだと思います。やったね!

サポーター:将来やりたいことわからない子どもが大半だと思うんですけれど、そういう子どもたちに何かアドバイスはありますか?

高瀬:いまの子って、「有名大学を目指せ!」みたいな追い込まれかたしてるじゃないですか。私たちの時代はもっとぼーっとする時間がありました。そんななかでだんだん自分の好きなものがわかってきたじゃないですか。いまの子は時間がなさすぎると思います。いろんな大人と会う機会も少ないし。好きなことが仕事に結びつくとは限らないけれど、たとえば演劇が好きだったら、俳優になるだけじゃなくて演劇に関わる仕事っていろいろあるじゃないですか。好きなことってなんだろう、それを職業にする方法はないかなって考える時間がもっと必要だと思います。

生徒:何歳まで漫画を描きたいですか?

高瀬:連載中は何度もやめたいと思いました。体がきついの。だけどやっぱり、できれば死ぬまでやりたい。

大西代表:最後にみんなにメッセージをいただけますか?

高瀬:さっきの話と重なるけど、好きなことを大事にしてほしいと思います。それが仕事にならなくても、生きていくうえで支えになるから。あと、「自分、そのままで大丈夫」って思う気持ちが大事かなって。いっぱい失敗もするかもしれないけど、それが最後じゃないし、いろんな道があるから、「失敗してもいっかなー」くらいのテンションで生きていくといいと思います。

授業終了後、高瀬さんから生徒とサポーター全員に、特製クリアファイルと絵はがきのプレゼントがあり、そこにサインを書いてもらうための行列ができていた。生徒の一人は「高瀬さんの実体験にもとづいた具体的な話が聞けたのがすごくよかった」と感激していた。

「今回は中野よもぎ塾さんにお邪魔しましたが、ほかの無料塾からも希望があれば、喜んで授業をさせてもらいます!」とのこと。まるで「スターフィッシュ」の出前授業だ。高瀬さんへの授業依頼は、中野よもぎ塾までご連絡を(nakanoyomogi@gmail.com)。

勉強を教えるのは得意でなくても自分の好きなことの魅力を語ったり、これといった特技はなくてもいろんな生き方があることを背中で伝えたり、子どもたちの人生のために大人にできることは、案外いろいろある。あなたのなかの黒木蔵人が何かを感じているのなら、近くの無料塾を訪ねてみるのはいかがだろう。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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