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森を守る墓を!墓埋法の改正を

田中淳夫森林ジャーナリスト
衆議院議員会館前で坐禅する黙雷和尚

 衆議院議員会館前、というよりバックに国会議事堂が見える位置に、網代笠を被り、黒衣の袈裟、手甲脚絆……姿の行脚僧が坐禅を組む。

 自然宗佛國寺の黙雷和尚である。10月11日に鹿児島を発って、船で大阪に着いてから、京都を経て東海道を行脚し続け、12月7日に東京に入った。そして10日から坐禅を始め、16日まで続けるという(11時~13時)。御年84歳だが、驚異的な体力だ。

 訴えるのは墓埋法(墓地、埋葬等に関する法律)の改正である。

 と言っても、ピンと来ないかもしれない。墓埋法は、墓地や遺骨の埋葬に関する法律である。現在は99%火葬にされるが、その遺骨や遺灰を葬るルールを定めている。ただ制定されたのが1948年で、近年増えている散骨や樹木葬、さらには墓じまいに関しては触れられていない。

荒らされた森のお墓

 黙雷和尚は、三重県大台町で8年前から「森林自然葬・いのちの森」と呼ぶ散骨を行っている。森の中に木の骨壺に入れた遺骨を置き、歳月とともに自然に還るものだ。同時に森を守り農山村の振興をめざしている。

 ところが昨年、森に置かれた骨壺が荒らされたうえに町が「墓地の許可がないところに埋葬している」と問題視し撤去を要求している。もともと自然保護団体の告発などがきっかけとなっているが、行政を巻き込んでの騒動になりつつある。

 この問題の根底にあるのが墓埋法の不備だと感じた和尚は、その改正を訴えて600キロを超える行脚と、坐禅(黙念大坐)を行っているのだ。

 私はこの「森林自然葬」の墓を立ち上げる際にも取材している。もともとは、荒廃する森をなんとかしたいという思いと、墓じまいを希望する人が増えてきたことから、自然に還るお墓をつくり「森をまもり、森にねむり、自然にかえる」発想でスタートしたものだった。

 実際、お墓の契約や喜捨による金で山林を購入して原生林を保護したり、荒れた人工林の整備を進めていた。お墓にしている山林は、そのごく一部である。

森林自然葬を行っている「いのちの森」(三重県大台町)にて
森林自然葬を行っている「いのちの森」(三重県大台町)にて

 だから立ち上げの際は、文科省や厚労省、そして三重県、大台町も加わって計画を練った。地目を墓地として認可を受けようとしたが、県から「遺骨を森の地表に置くのなら散骨に当たり、許可がいらない」という確約を得て始めている。その点は、私も当時の交渉経緯の記録を見せてもらっているが、関わった役人、官僚の名前も並ぶ。

 だから、今回の町、そして同調した厚労省の言い分は、かつての見解を引っくり返したことになる。

自然葬と樹木葬の違い

 ここで、言葉の問題を整理しておきたい。

 まず自然葬とは、一般的に散骨をさす。これは「葬送の自由をすすめる会」が1991年に初めて散骨した際にそう名付けたかためだ。主に海に散骨を行うので海洋葬などとも呼ぶが、陸上、とくに森に散骨するケースや、ときには空中葬(ヘリコプターなどで海上の空に撒くもの)もある。

 この散骨に関しては、厚労省の見解として「(墓埋法は)遺灰を海や山に撒くといった自然葬は想定しておらず対象外である。だからこの法律は自然葬を禁じる規定はない」とする。法務省も「節度を持って行われる限り問題はない」とう回答している。ある意味、消極的に認可していると言えるだろう。

 一方で樹木葬と呼ぶのは、1999年に岩手県一関市の知勝院が始めた。墓石の代わりに樹木の苗を植えて森をつくるとともに荒れた森を整備していく発想だ。里山を守る運動の一環として誕生した。

 こちらは地目を墓地とする。ようするに法的には通常の石墓と同じだ。ただ墓標とする樹木は成長するから、幾歳月を経て墓地は森に還るわけだ。

 なお方式にはいくつかあって、埋葬した側に木の苗を植えるものと、すでに生えている木々の根元に埋葬する場合がある。

 もっとも、全国に増えている現在の樹木葬墓地は、多くが単に墓石をなくしただけの墓が多く、1本の樹木の周りに埋葬するだけの形態が増えている。私が訪れたら木が一本もない「樹木葬墓地」もあった。
 遺骨も、コンクリートのカロート内に納める場合もあり、これでは森も守れないし遺骨が自然に還ることにもならないだろう。

世界に広がる森を守るお墓

 佛國寺の森林自然葬は、自然葬と樹木葬を合わせ、原点に帰って森を守りつつ、故人の魂を自然に還すことをめざすものだ。

 このような散骨・樹木葬は世界的に広がっており、とくに欧米や東アジアで盛んに行われている。とくに韓国では国の施策として進めているし、アメリカには樹木葬地が自然保護区に指定されたケースもある。もはや世界の趨勢となっていると言えるだろう。

 実際、日本でも墓地業者のアンケートによると新規に墓地をつくる人の約5割が樹木葬を希望したという。海洋への散骨も年間千数百件が行われている。

 さらに合祀墓への改葬を希望したり、墓じまいを求める動きも増えている。墓じまいは昨年15万件を超えた。人口減少の波は、墓の継承を不可能にするほか、地方の過疎化の進行も影響している。

多発する墓じまいトラブル

 ところが墓じまいに際して、遺族と寺院などの間でトラブルとなることも多発している。あげくに無縁墓も爆発的に増えた。墓じまいもせず、放置してしまうからである。

 その点、散骨や樹木葬では、遺骨が自然に還るわけだから墓の継承を心配する必要がないわけだ。

 ただ、ここで問題なのは、自然葬、樹木葬の法的位置づけがあいまいであることだ。そのために本来の理念とはかけ離れた方式を取るケースが増えている。

 加えて住民の理解も進んでいない。自然葬と樹木葬の区別のつかない人は少なくないし、理屈抜きに遺骨(の粉など)を撒く行為を毛嫌いする人、墓石がないことを嫌がる人、そして従来の墓の形式にこだわって、埋葬される当人の希望(遺言)を遺族が無視するケースもあるのだ。

 先に紹介した大台町のトラブルのように、墓を荒らす事態まで起きてしまった。

和尚は、野宿しつつ1日8里を歩き、東京までたどり着いた
和尚は、野宿しつつ1日8里を歩き、東京までたどり着いた

 そこで墓埋法を改正して、自然葬、樹木葬などの定義を明確にし、また墓じまいなどの手続なども定めるべきというのが、黙雷和尚の請願内容である。

 墓埋法の改正というと地味なテーマのように聞こえるが、人は誰もが死に、その後をどうするのかは必須の問題だ。しっかり法律を定めておかないと、自らが望まざる墓になりかねないだろう。

 それに私が思うに、森を墓地とするのは、もっとも確実な森の保全方法ではなかろうか。また自然に還りたいという思いも、日本人の感性によく合っているように思うのだが、いかがだろうか。

※写真はすべて筆者撮影

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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