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飲み会は仕事…“上司”はおごるべきなのか?  

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著者:David Blackwell.

上司との酒は仕事-

宝酒造(京都市)が、新社会人189人と5年以上働く上司の社員197新社会人を対象に実施した意識調査で、6割超が「上司との飲み会は仕事の延長」と答えた。

また、「なぜ上司の飲みの誘いに応じるか」「なぜ部下が誘いに応じると思うか」とそれぞれ質問(複数回答)したところ、新社会人では、「酒を飲みに行くのも仕事だから」がトップで61・9%。次いで、「上司の性格や考え方を知りたいから」(49・2%)、「目上の人の誘いだから」(43・4%)だった。

一方で上司の最多は「酒を飲む雰囲気が好きだから」の53・8%。「酒を飲みに行くのも仕事」は31・0%で新社会人と約2倍の開きがあった。

飲み会=仕事ってことは、残業代は出すべきなのだろうか? 

あるいは、上司と部下関係を越えた、人としてのつながりを築く場なのだから、むしろ積極的に参加すべきなのだろうか?

飲み会は上司のカウンセリングの場でもある。もちろん受けているのは“上司”。部下に、部下に説教や愚痴を散々言って、スッキリする。 部下は、「そうなんですか~」攻撃という傾聴をして、上司を癒す。だから「カウンセリング料」として上司はおごって当たり前?

が、最近は「借りは作りたくない」と、上司におごられることを拒否する部下も少なくない。

ってことは、やはり残業代が必要なのか? 

「宝酒造のアンケート結果について、意見を聞きたい」との連絡をいくつかいただいたので、私の考えを以前、書いたコラムに若干修正を加え、再掲するのでお読みください。

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「昨日の飲み会って、残業代でるんですよね?」

飲み会の翌日、部下が平然とした顔でこう詰め寄ってきた。

部下と親睦を深めようと上司が言いだしっぺとなり、全員参加の飲み会をやった。会費の一部は会社から出してもらったが、1人2000円の会費を取った。参加は強制ではなかった。ところが、部下がこれに噛みついたのだ。

「上司から言われてやることは、すべて業務ですよね? だって、部全員が参加すると言われたら、参加するしかない。なぜ、楽しくもない飲み会に参加させられ、会費まで払わなければならないんですか? 当然、残業代が出るんだと思っていました」

この部下の言い分に、上司は困惑。

「残業代なんて、出るわけがないだろう!」と、怒鳴りたい気持ちを抑え、部下を説得。

下手なことを言うと、今度はパワハラだなんだと大問題になる可能性もある。なので、彼には参加したくないときは断るようにと伝え、とりあえずその場は収まったそうだ。

上司は、「今どきの部下は……」と嘆いていたが、『飲みにケーション』なんて言葉ができた高度成長期には、あたかも会社の飲み会をすべての人が喜んでいたように語られるが、ホントにそうなのだろうか?

「残業代出してくれよ~。じゃなきゃ、やってられない!」と思う人だっていたはずだ。

高度成長期であろうと、バブル期だろうと、上司の「飲みに行くぞ!」の鶴の一声で、彼女とのデートの約束をドタキャンせざるをえなくなり、飲みたくもない酒を飲まされ、歌いたくもないカラオケを歌わされ、飲みにケ―ションどころか、飲みにハラスメント(ん? ゴロが悪いか)に、疲れ果てていた部下たちはいたに違いない。

私はCA(キャビンアテンダント)という、一般的な職場とはちょっとばかり違ったところにいたのだけれど、それでも、断る術もないままに “上司”に飲み会に連れ回されることがあった。上司の自慢話やら、人生訓みたいなものを散々聞かされ、「そうですね」攻撃に徹することで、なんとか乗り切った。

おまけに、「若い=よく食べる」という勝手な方程式のもと、半ば強制的に「若いんだから、食べなさいよ~」と、残った食事を食べさせられた。

「拷問だ……」。当時はそう思った。

バブル時代を闊歩した新人類たちが、『残業代って出ますよね?』と飲み会の翌日、上司に聞くことはなかったかもしれないけれども、心の中でそう思っていた人はいたと思う。

そもそもお酒が、上司と部下を“いい関係”にさせる潤滑油となっていた時代、会社は社員をまるで家族のように大切に扱っていた時代でもある。「安心して働きなさい」と終身雇用していたし、「経験」という数字に反映されにくい力を、ちゃんと評価する年功序列という制度もあった。

数年前、ある会合で「社員は“家族”です…」と、自分がどれだけ社員のことを考え、どれだけ大切にしているかを、“家族”という実に便利な言葉で表現したある大企業のトップの方と対談をしたことがある。

ところが、その対談の3カ月後。その会社で大規模なリストラがあった。表向きは希望退職を募ったものだった。だが、実際は生産ラインの従業員にターゲットを絞り、生産ラインの仕事を大幅に縮小し、希望退職者を募った。会社に行って、仕事もなければ居場所もない社員は、辞めるしかない。彼らは、半ば強制的に“希望退職”をさせられたのだ。

家族に、リストラはあるのだろうか?

家族のカタチが多様化している現代、家族のナニがリストラと呼べるのかを決めるのは難しい。

でも、少なくとも「大切な家族」を、理不尽に捨てることはしないはずだ。“今の”日本の企業の多くは、社員を家族などと思ってはいない。だいたい、ホントに家族のように社員を大切にしている会社なら、親睦を深める目的の飲み会など必要ない。

そういう会社では、わざわざ飲み会の場を設けなくとも、上司と部下という役職やヒエラルキーを越えた“人”としての、つながりがある。酒の力など借りなくとも、ちゃんと互いに通じ合い、寄り添える瞬間が存在する。

その先にたまたま、「じゃ、一杯やろうか」とか、「酒でも飲みながら、ちょっと話をするか」と、職場ではなかなか話すことができないことやら、就業内では持てなかった時間を補うための飲み会がある。プラスα(アルファ)を補うために酒場を利用するから、飲みにケーションが意味をもつ。

至極あたりまえの話なのだが、飲み会をやったからといって上司と部下の親睦が深まるわけじゃない。職場で互いを尊重した対話があって、初めて「仕事以外のことの話ができる場=飲み会」が心の距離感を縮めるのに役立つ。

もちろんときには、飲み会がきっかけとなり、職場でも話がしやすくなったり、コミュニケーションが上手く取れるようになるかもしれない。

でも、 “上司部下のいい関係”は、上司が部下と1人の人間として、正面から向き合う意識なくして築けるものではない。それは言い方を変えれば、部下と向き合う確固たる気持ちさえあれば、別に飲み会じゃなくてもいいということだ。

会議室であれ、食堂であれ、「部下と正面から向き合いたい」という気持ちさえあれば、どうにでもなる。「いやぁ、会議室じゃ、堅いっしょ」というのであれば、コンビニで買ったスナックを置くだけでも空気は変わる。

ただ、これが結構めんどくさい。1人の人間と正面から向き合うことほど、難しく、怖くもあり、めんどくさいことはないのである。

だって、人と正面から向き合うと、イヤでも自分と向き合うことになる。自分の言葉や話、ときには自分の存在そのものが、相手の表情、ちょっとした仕草を通じて、うんざりするほどわかってしまうのだ。

いずれにしても、部下と正面から向き合うことから逃げた人たちが、「コミュニケーションが足りない? だったら、飲み会でもやるか!」と、安易に飲みケーションに走る。

もちろん、飲みに行くのは悪いことじゃない。上司から意外なことを、部下が学べることもあるし、部下自身のストレス発散になることもある。

でも、もし、上司が「部下との距離感を縮める」ことが目的なら、お酒はいらない。必要なのは「部下と1人の人間として向き合う」覚悟だけ。

「でも、お酒が入ったほうがリラックスするし……」って? 酒を飲んでリラックスするのは、上司だけ。部下は緊張するだけだ。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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