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鎌倉幕府の将軍御所に盗みに入った泥棒の意外な正体と末路

濱田浩一郎歴史家・作家

寛喜2年(1230)5月5日。雨が降る深夜。大胆にも、盗人が鎌倉幕府の御所に「推参」しました。泥棒は、剣や衣を御所から盗み、行方をくらましたのです。幕府の執権・北条泰時は「泥棒侵入」の件を聞いて、すぐに御所にやって来ます。そして、家人の金窪行親・平盛綱らに「大番衆(将軍御所を警固する武士)に命じて、四方を警固し、人の出入りを止めさせよ」と命じたのです。迅速な対応と言えましょう。

夜は明けますが(5月6日)、泰時は未だ御所から退出していません。それは『吾妻鏡』(鎌倉時代後期に編纂された歴史書)によると「昨夜の盗人侵入の件に、驚き憤って」いたからだと言います。侍所において、昨夜から来ている者の尋問が行われました。その中に、御所に務める男1人、「美女」(女官)1人がいて、この両人に疑いの目がかけられます。両人には「鶴岡八幡宮に参籠し、起請文(誓約書)を書くよう」伝達されます。自分達は犯罪行為をしていませんという誓約書を書くように迫ったのです。両人は無罪を主張していたのでしょう。ところが、この両人、誓約書を提出することはありませんでした。更には、美女(女官)が男をたらし込んで、盗みを働かせたことが露見。ついには、御所を追放となってしまうのです。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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