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【その後の鎌倉殿の13人】鎌倉時代にもあった早期退職!辞めたいという人に北条泰時が言い放った一言とは

濱田浩一郎歴史家・作家

文暦2年(1235)閏6月3日。結城朝光(上野入道)が突如、鎌倉幕府の評定衆を辞職したいと申出てきました。朝光は小山政光の子として下野国に生まれた武将です。源頼朝に仕え、武功により下総国結城郡を賜っていました。ちなみに大河ドラマ「鎌倉殿の13人」においても、朝光は少しだけ登場しています(俳優の高橋侃さんが朝光を演じました)。『吾妻鏡』(鎌倉時代後期に編纂された歴史書)によると、朝光は「容貌美好」(建久6年=1195年3月12日条)と記されていますので、美男子だったようです。ドラマでも容姿端麗な琵琶の名手として描かれていました。朝光と言えば、頼朝死後に「忠臣は二君に仕えずというが、あの時に出家するべきだった。今の世は、なにやら薄氷を踏むような思いがする」(『吾妻鏡』正治元年=1199年10月25日条)と周囲に語ったことにより、騒動が巻き起こったことで有名です(巡りめぐって、有力御家人・梶原景時が没落する契機となった)。

さて話を戻しますと、そんな朝光が突然、評定衆を辞めたいと申し出てきたのです。その理由は、自分(朝光)は「短慮」で迷い易く、是非を弁えない性質なので、意見を言上しようと思ってもできないということでした。それに対し、鎌倉幕府の執権・北条泰時は「5月に初めて評定衆として登庁したばかり。そして今月に辞めたいとは。落ち着きがなさ過ぎませんか」と答えます。すると朝光は「初めての登庁の際に辞職するべきでした。しかし、評定衆になったという名誉を子孫に残したいがために、評定衆の名を頂戴し、1・2ヶ月が過ぎてしまいました。今は評定衆として勤めることが難しいと思っております」と言上したのです。こう言われては止めようがありません。泰時も辞職を許容するほかありませんでした。内心は(勝手にしろ)と怒っていたかもしれませんが。

昨今、就職したにもかかわらず、数日や1ヶ月ほどで早期退職する若者がいるとニュースになっていますが(朝光は若者ではありませんが)、朝光の行動を見て、その事が頭に浮かびました。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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