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【その後の鎌倉殿の13人】鎌倉幕府執権・北条泰時が連日のように早朝出勤した理由

濱田浩一郎歴史家・作家

天福元年(1233)11月10日。鎌倉の幕府御所において「評定」がありました。いつから評定が開始されたかは分かりませんが、会議は晩まで続いたようです。鎌倉幕府の執権・北条泰時は、評定を終え、自邸に帰った後、三善倫重・三善(太田)康連・佐藤業時らを招きます。彼らを招いて、お酒をご馳走したのです。その際、泰時から彼らに対し「公務を真面目にしっかりと行なってくれて、神妙(感心)である」との言葉がありました。三善らを自邸に招いたのも、評定衆の日頃の労を労うためだったのです。と言うのも、最近、訴訟の案件が積み重なり、連日のように評議が行われていました。

泰時は、評定に際して、毎回、早くから出勤していたとのこと。人々が衣服を逆さまに着て慌てて出勤しようとも、泰時の早い出勤には敵わなかったとされます。泰時は早くに出勤して、調べごとやその日の準備などをしていたのでしょう。その事を見た三善ら3人は相談し、夜中から評定所に出てきて、翌朝、泰時の出勤を待っていたのです。しかもそれは1度ではなく、5・6度に及んだと言います。それを知った泰時は、感心なことと、彼らを褒め称えたのでした(鎌倉時代後期の歴史書『吾妻鏡』)。他の社員より早く出勤することは、現代においては「迷惑」と評されることもあります。だが『吾妻鏡』は、泰時や三善らの早過ぎる出勤を職務に真面目に取り組んでいるとして好意的に評価する書き方となっています。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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