教育改革をして公共図書館予算を減らす政策の大矛盾 図書館予算増は税収増につながる
日本の公共図書館の数自体は微増傾向にあるが、1館あたりの予算は年々減額していっている。このことは図書館業界、出版業界ではよく知られている。
ところがこれが国力に関わる問題であり、教育に関わる問題でもあることは、それほど広く認識されていない。
公共図書館の予算減という現象は、文科省が約20年来にわたって実施してきた教育改革政策とも不整合であり、矛盾するものだ。
公共図書館の管轄官庁は文科省である。学校図書館改革をして予算措置を行う(といっても学校図書館予算も横ばいないし微減傾向にあり十分なものではないが)一方で、公共図書館予算を減らすことは、一貫していないばかりか、教育政策の一部を無意味に帰してしまう可能性を孕んでいる。
何が問題なのか?
前提:教育政策の変化
まず公共図書館について語っていく前に、その前提として教育政策の変化について認識する必要がある。
とくに見ておくべきは、子どもの読書推進政策、学校図書館改革だ。
代表的なものに下記がある。
1993年 学校図書館図書標準制定
1997年 学校図書館法一部改正(司書教諭原則配置化)
2000年 総合的学習の時間スタート
2001年 子どもの読書活動の推進に関する法律制定
PISA2000の結果発表(「フィンランド詣で」始まる)
2002年 子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画が閣議決定
2004年 PISA2003の結果発表、読解力スコア・順位低下。ゆとり教育見直し
「これからの時代に求められる国語力について」(文化審議会答申)
2005年 文字・活字文化振興法制定
2008年 学習指導要領に学校図書館を利用して「児童の主体的・意欲的な学習活動や読書活動を充実すること」と記載
2015年 学校図書館法改正(学校司書の存在の明文化、配置促進
背景を簡単に解説すると、日本では70~80年代にかけて子どもの本離れが加速し、これに危機意識を抱いた出版業界や国会議員を中心に、90年代に学校図書館の充実に向けて大きな変化が起こった。
2000年代に入ると、OECD加盟国の15歳を対象に3年おきに行う学力調査PISAの読解力のランキングが発表され、2000年調査でフィンランドに負け、2000年調査より2003年調査の順位が落ちたことで教育界が大騒ぎになった。結果、以下のことが起こる。
・知識偏重の「詰め込み教育」一辺倒から「問題解決」「探究」の採り入れへ
→総合的学習の時間、調べ学習推進(これは正確にはPISA以前からの流れ)
・PISA読解力スコアと日本の子どもの読書量の少なさが結びつけられる
→子ども読書推進法で朝読(自由読書)などを後押し
・PISAトップ(当時)のフィンランドでは教育で図書館を活用
→ゆとり見直しでも総合学習、調べ学習、探究学習は継続推進
徐々に自由読書(朝読)のみからアウトプット重視の読書推進活動に
(ビブリオバトル、ブックトークなど)
PISAの特徴は、今後の生活やビジネスで使う前提で学力を問うことにある。
そしてこれからの時代を生きるために必要なPISA型学力習得には図書館活用が重要だ、という話になった。
日本の教育改革はPISA対策に照準
文科省がこの間、進めてきた/進めようとした教育改革は非常に大きな反発、抵抗に遭ってきたが、PISAの結果を踏まえて日本の子どもの弱点を補うために策定してきたと考えると、その意図が一目瞭然となる。整理すると下記になる。
・学校図書館改革、読書推進政策
読解力の順位が下がり、子どもの読書冊数が少なかったため
・探究学習重視
PISA最上位の最上位であったフィンランド等が探究学習や問題解決重視の教育をしていたため
・「論理国語」導入
PISAでは小説、詩、論説文以外にも日常で遭遇する様々な文書を扱う、アウトプット重視の問題が出るため
・GIGAスクール
PISAにおいて日本の子どもがデジタル機器を使った回答に著しく弱く、正答率・回答率が低かったため
・大学入試への記述式導入
PISAにおいて日本の子どもの記述問題の回答率が著しく低いため
・大学入試への英語4技能導入
2025年の年のPISA外国語スキル調査で「読む」「聞く」「話す」の3技能が対象になるため
もちろん、PISAのスコアや順位だけを気にして決めたわけではなかろうが、少なからず影響があると目される。
そもそもPISA型学力を重視すべき根拠とは
しかし、なぜそこまでPISAの動向を気にしなければならないのか。
OECDは
・今後20年でOECD諸国のPISAスコアを25ポイント高められれば、GDP換算で100兆ドル以上の価値を生み出す可能性がある
・1964〜2003年の国際テストの推移とその国々の1960〜2000年の経済成長の関係からPISAとGDPにも正の相関がある
といったことを主張しており、おそらく文科省はこの理屈を呑んでPISA型学力を重視していると思われる。
つまりGDPを増やすために教育改革が行われ、結果、いま学校図書館は小中高において日本の教育史上かつてなく積極的に活用されるようになっている。
小学校では週に1回図書の時間がある。小中高いずれでも調べ学習、探究学習で図書館の資料が使われている。
子どもたちは司書と関わりながらデジタル資料も含めて必要な情報や知識の調べ方、まとめ方、アウトプットの仕方を学んでいる――知的労働を行う上での基礎、基盤を作っている。
公共図書館予算増こそ一貫性ある政策
ここでようやく公共図書館の話に戻ってくる。単純な話だが、
“PISA型学力のある若者増→GDP増”
が真ならば
“PISA型学力のある市民増→税収増”
も真にならないと、理屈が破綻する。
社会教育、公共図書館においても教育改革と同様の主旨の施策が税収増に資する――というスタンスで政策を決定しないと、矛盾が生じる。
社会人の公共図書館活用が経済活動に対して無意味ならば、学校図書館を使った学習も将来の経済活動に益なし、ということになり、教育の国際的潮流の否定になる。
これからを生きる子どもに必要な能力を、やはりこれからを生きる大人が持っておらず、身に付ける機会を公的機関が用意していないとなってしまっては、政策としてちぐはぐである。
PISA型学力向上のために予算を付けて公共図書館の予算を減らすのは、国や自治体の広義の教育政策として一貫性がない。
ところが現実には、公共図書館予算は削られている。
学校図書館、大学図書館を活用して育った若者が社会に出たあとに「公共図書館は役に立たない」となってしまって探究、ビジネスへの活用が阻害されてしまったら、教育改革をする/した意味が失われてしまう。
学校図書館には「読書センター」「学習センター」「情報センター」の3機能があるとよく言われるが、公共図書館も同様である。
「PISA型スキル向上のための図書館」言いかえれば
読書し、探究し、デジタルでも情報収集し、アウトプットする市民を育む機関
という側面も持たせ、予算を措置すべきだ。
「税収減で財政が厳しいから公共図書館予算を減らす」のではなく「税収増のために図書館の予算は増やす」という考えに切り替えるべきなのだ。
「PISA型スキル向上のための図書館」と言ってもイメージがわかないかもしれないが、具体的にはたとえば以下のようなことが考えられる。
・ビジネスユースを意識したレファレンススキル向上講座
・アウトプット重視の読書会,ブックトーク
・書く力やデジタルリテラシー習得の支援活動
・他の社会教育・生涯教育機関と連携
岡本真/森旭彦『未来の図書館、はじめませんか?』(青弓社)では(PISA型スキルという文脈ではないが)シェアオフィス、コワーキング型図書館やワークショップ、アイデアソン、ブレーンライティングイベントなどが提唱されている。「税収増につながるから」という訴えがされていなかっただけで、つまりこれらは図書館業界の一部からは従来より提言されてきたことだ。
こういった活動は、おそらく専門知識を持つ図書館員の活用でかなりの部分は対応できる――図書館員の待遇を非正規雇用を正規雇用にするなど人件費を十分に手当して人材を確保しさえすれば、だが。
予算の権限ある人に知ってほしい/知らせるべきこと
いまの学校教育の現場、ないし文科省が望む「学校図書館像」は、90年代までと比べて大きく変化している。
図書館は学んだことを応用する力、情報をまとめる力を育てる上で、あるいは個々人の興味関心を育てる場として重要であるという前提になり、活用されている。
このことを教育業界や図書館業界、出版業界の外にいる人はあまり知らない。
それは仕方ないにしても、問題なのは、図書館に予算を付けるポジションの人たちが旧態依然とした読書観、図書館観、利用者像を保持し続け、図書館を軽んじていることだ。
具体的に言えば、文科省に予算を付ける立場にある財務省であり、地方自治体の公共図書館予算策定に関わる首長や議員、あるいは図書館以外の行政(役所)の人たちに認識を刷新してもらえるといい。そのために教育界、図書館、出版業界からのみならず市民の側からも働きかけていくべきだろう。
読書=「小説を読む(だけ)」「たんなる娯楽」
図書館=無料の貸本屋
司書=本の貸借業務をしているだけ
……これらのイメージは図書館業界が口をすっぱくして何億回も「古い」「偏っている」と語り、更新を求めてきたものだが、なぜ図書館側がそんなことを強調しているのかが、お金を握っている側には残念ながらあまり伝わっていないように思われる。
図書館は
・仕事や人生に関わる探究、アウトプットに必要な場
・市民の課題解決に資する場所
・社会人の図書館活用促進は地域経済、国力の今後に関わる場
でもある。図書館のもつこれらの側面の促進は、個々人がより良く生きるために重要であるのみならず、経済活動において付加価値の高いアウトプットを生みだし、税収増につなげるためにも必要なことなのだ。
本稿と関連して筆者は「内野安彦×飯田一史トークイベント:行政マンとして図書館員が忘れていること」(ファシリテーター・広瀬容子)を2022年7月17日15時より行うが、本稿に限らず、公共図書館予算減の何がまずく、なぜ減らされてしまうのか、増やすために何ができるかについて、さまざまな業界・見地から議論が興隆し、予算の権限を持つ人たちに届くことを願っている。