読書推進を語る前に知っておきたいこと
読書推進の議論は「健康診断を受けずに健康増進策を語る」ようなかたちになりがちだ。
本当は内臓脂肪を減らすための食事制限にまず取り組むべきなのに、高脂血症であるという自覚すらなく「筋トレをするべきだ」と言っていたりするようなものだ。
まず重要なのは現状の把握である。
■なぜ読書を推進したいのか?
そもそもなぜ読書推進をしたいのか? その目的によって
・達成したい状態
・どこが課題と認識するか
・なぜそれが問題だと思うのか
・どんな打ち手が良いのか
が変わってくる。
自らのゴール設定が重要であり、また、他の立場の人との相互理解も重要になる。
たとえば、非常に戯画化・単純化していえば、本を読む量が増えると何が嬉しいのかに関して
教師や保護者は「受験科目の成績UPにつながるから」
司書や貸出率/冊数が「自分たちの評価指標だから」
出版業界は「売上UPにつながるから」
文科省は「PISA(OECD加盟国の15歳を対象にした学力到達度調査。詳しくは後述)の読解リテラシーのスコア、順位UPにつながるから」
経産省は「GDP増大につながるから」
といった具合に、立場によって、読書量増加によって達成した状態が異なる(実際にはもっと複雑で、個人による考えの違いも大きいが)。
立場によって目的が異なり、その人にとっての評価基準も違う。
また、目的が違えば取るべき手段も変わってくる。別にその目的は「読書」で達成しなくてもいいのである。
たとえば読書の経済的価値の分析に関して韓国の「2021年読書振興に関する年次報告」では、
国民の読書率が1%増加すると →総要素生産性が0.046%増加し →GDPが0.2%増加する
と試算している。
しかし、読書を増やすことによってGDPを増やす、とは、あまりに遠回りすぎないか、もっと効率的・効果的な施策があるのではないか、という疑問が当然ながら生じるだろう。
教師や保護者からしても、受験につながる科目の成績が上がれば子どもが費やす時間の使い方が読書以外の手段でもいい。というか、勉強時間を増やす方がより直接的に重要だ。
出版業界にしても、出版物の売上UPが目的ならば「読む量」を増やすよりも、「買う量」を増やすほうにフォーカスしたほうがいいかもしれない。
このように「読書推進」と一口に言っても、各々の立場によって「何のために増やしたいのか?」は異なるし、その目的はそもそも本当に「読書」で達成すべきなのかについての重要度も異なる。
さまざまなステークホルダーとあるべき読書推進の姿についてを議論していくには、
それぞれの組織やポジションごとに、はたして読書を通じて
・学力を向上させたいのか、
・教養を身につけさせたいのか
・自社の本を買ってほしいのか
・ライバル(自分の子と他人の子、自校と他校、自分の自治体と近隣自治体など)と差を付けるためか
・子を望む将来像に近づけるためか
といったお互いの前提の違いを認識して、すり合わせておく必要がある。
そうしない限り、話はかみあわず、妥協点を見つけることも難しくなる。
ところが、いわゆる本好きは読書が「手段」ではなく「目的」化していることが多い。「何か役に立つから読んでいるわけではない」とか「自分にとっては何より有意義な時間だから読む」「ただおもしろいから読んでる」とよく言う。
ほとんど無自覚に他の行為よりも読書を優位に置き、無前提に「読者はすばらしい」と認識しているのだが、無自覚・無前提であるがゆえに、同じ感覚の人間以外への説得力を持たない。
筆者も読書は好きなのでその感覚はよくわかるが、しかし、なぜ読書がよいのか、ほかの行為と比べてどうよいのか、なぜ政策的に取り組むべきなのか、といったことを言語化し、定性的・定量的な根拠を示して初めて「読書推進ってやるべきなんですね」と理解して動いてくれる人たちもいる。そして組織的に、または社会全体として読書推進に取り組んでいくためには、こういった読書に特別重きを置かない人たちの理解や説得も必要になってくる。
文化庁「国語に関する世論調査」平成30年度によれば、16歳以上の日本人の1か月に読む本の冊数は
目的が違うと望む「読書」の姿が違う
読まない47%
1、2冊 38%
3、4冊 9%
5、6冊 3%
7冊以上 3%
である。
ところが往々にして、全人口の3%の少数派である多読者が残り97%の読書推進について考えている。
多読者にとっては「本を読む」ことはあまりに当たり前のことだ。
これは、どうして読まないのか、何がつまずきになっているのか、といった書籍の読書量が月2冊以下の人が9割の人の気持ちや認知について、相当以上、意識的になる必要があることを示している。
しかし現実には、9割以上の圧倒的マジョリティの現実を無視した、3%のラウドマイノリティ同士のエコーチェンバーに終わりがちである。
また、本好きが本好きに向けて語る場では、ファクトや先行研究を無視した「読書のすばらしさ」語りに終始し、それがためにデータや事例を重視するセクターの説得に失敗していることも少なくない。
本好きの実感に寄りかかった語りで読書推進について云々するのは、かなり注意したほうがいいと言える。
■知っておきたい 読書推進の常識 1.マクロのデータ編
・書籍の不読率(月に1冊も読まない人の割合)は小・中・高で2000年代以降減っている
全国学校図書館協議会「学校読書調査」を経年で見ていくと、近年の「本を読まない子ども」の割合は歴史的に見て低水準にある。
・書籍の月間平均読書冊数は、小中学生は過去最高水準にあり、高校生や大人は長らく横ばいである
小学生は月に約13冊、中学生は約5冊。
高校生以上になると月2冊未満になるが、これは高校進学が大衆化した70年代以降ほとんど変わっていない。過去と比較して減っているわけではないので「本離れした」とは言えない。
大人のほうが子どもよりも読書率・読書量ともに低水準にあることは今に始まったことではない。つまり大人が「最近の子どもは本を読まない」などと言うのは事実ではなく、そもそも言う資格もない
・雑誌に関しては2000年代以降も小中高、大人いずれも平均読書冊数は激減し、不読率も上昇し続けている
「雑誌離れ」は子どもに限らず起こっていても、子ども・若者の「書籍離れ」は起こっていない。
・「ネットやスマホ普及で活字離れ」としばしば言われるが
「図書館雑誌」2019年11月号の濱島幸司氏の論考によれば、大学生を対象にした「学生生活調査」をデータ分析しても、読書習慣の有無とスマホ利用時間にほぼ相関は見られないという。
また、文化庁「国語に関する世論調査」でも スマホが普及する前の調査と普及した後の調査で成人の不読率に大きな変化は見られない。
各種読書調査を見る限り、雑誌の読書量への影響は考えられても、書籍の読書量への影響は日本においては軽微だと推察される。
・ではなぜ書籍の市場規模も減少しているのか
人々が雑誌を買わなくなった
→書店への来週・毎月の定期的な来店が減る
→店に来ないから書籍が目に入ることもなくなり、売上も減った
という推論が成り立つ。
しかし書籍読書量が変化がないのに購買量が減ったのだとすれば、取り組むべきは「読書」推進よりも 「来店」推進、「購買」推進だろう
つまり読書推進を考えるにあたっては
「雑誌」と「書籍」は別の話
「読む」と「買う」も別の話
「小中」と「高大・大人」も別の話
であり、それぞれ分けて認識し、議論すべきである。
■書籍読書のV字回復の背景
小中の読書冊数が増え、小中高の不読率が低下したのは、90年代以降、官民挙げて読書推進施策に取り組んできたためである。たとえば代表的なものに
1997年学校図書館法改正→司書教諭の原則配置
1999年講談社全国訪問おはなし隊開始
2000年ブックスタート開始
2001年子どもの読書活動の推進に関する法律 制定 →自治体に読書推進計画を義務付け
2005年文字・活字文化振興法
2014年学校図書館法改正→学校司書の配置が進む
などがある。
「朝の読書」(いわゆる朝読)実施校の推移を見ると、読書推進政策の効果の大きさがよくわかる。
朝読は90年代後半にまず「学級崩壊」対策として、読書すると子どもたちが落ち着き、授業がスムーズに運営できるという学級経営のための方策として注目されて実施校が増えた。
その後、2000年に実施され、2001年に結果が発表されたPISAで日本の子どもがフィンランドなどに読解リテラシーの順位が後塵を拝し、2003年にはさらに順位が下がったこと、アンケートで「趣味で読書することはない」 に対して2001年には日本の子どもは55%、OECD平均が32%だったことから、政界・教育界による読書推進が本格化し、目に見えて朝読実施校が増えた。
結果として、2018年調査では
「趣味で読書することはない」に対して
日本45%、OECD平均43%と改善し、
「読書は大好きな趣味のひとつだ」 に対して
日本43%、OECD平均34%
読む本の種類についても
フィクション 日本42% 平均29%
コミック 日本55% 平均15%
雑誌 日本31% 平均19%
と多くの項目で日本は平均以上になっている。
「他国と比べて日本の子どもは本を読まない」は過去のものになったのである。
読書推進施策が功を奏して、少子化でも児童書市場は堅調だ。
どのくらい影響があるのか、簡単な試算をしてみよう。
1日10分の読書を全国で行うとどうなるだろうか。
朝読は小学校の83%で実施されている(「朝の読書」全国都道府県別実施校数2023.5.31)。
文科省の令和5年度「学校基本調査」によると、児童数は605万人だから、×0.83=502万人が朝読に取り組んでいる。
これらの子どもたちが仮に2か月に1冊、1年に6冊読むとすれば502万人×6冊= 年間3013万冊の朝読需要が発生することになる。
韓国でも朝読は行われているが、「2017国民読書実態調査」によると、年間の平均読書冊数が参加者46.9冊に対し、非参加者は15.6冊と読書量が3倍も違った。これが数百万人単位に影響するのだから、マクロに読書環境を変え、読書量を変えるには、政治、役所、教育界との連携が重要だと言える。
読書推進と言うと、図書館や書店、学校等における現場の工夫の話や、物書きや著名人が自身の読書体験語りに終始することが多い。もちろん、目の前の一人一人の読書を充実させていくための施策は重要だ。
しかし同時に、業界団体などを通じて政治家や官僚、自治体や教育現場に働きかけて予算を獲得し、読書を充実させる法整備をし、政策を実現していくことも重要なのである。
マクロの政策とミクロの現場の知見は、両輪になってこそ最大の効果を発揮する。
■読書推進の常識 2.読書に関するファクト、先行研究
「幼少期の読書習慣が大人になってからも重要」とよく言われるが、これは本当だろうか。
行動遺伝学によると、読書に限らず様々な能力がおおよそ
遺伝5割
持って生まれた家庭等の「共有環境」3割
学校や図書館等の後天的な「非共有環境」2割
の掛け合わせで能力が決まるという。
つまり、もちろん「社会経済的な理由で本が読めない」という状況はなくすように環境整備していくべきだが、いくら読書推進をしても遺伝的に読字が苦手、読書に無関心な人は必ずいる、ということだ。
(したがって、ではどの層の読書推進を特に重視するのか? という資源配分も議論になる)
また、小→中→高と読書冊数は減り、不読率が増えることが長年にわたって確認されている。
2023年に発表された文科省「21世紀出生時横断 調査」でも21歳時点の不読率は6割だった。この調査のもっとも重要なポイントは、読書推進政策強化後の2001年生まれを追った調査であったにもかかわらず、大人になってからの不読率が上の世代と大差なかったことだ。
ほかにもたとえば「学校図書館」2013年11月号38pでも、幼少期の読みきかせ頻度と読書量の関係を調べているが、小学生まではよく読みきかせをしてもらっていた家庭の子どもの方が読書冊数が多いが、高校生になると関係がなくなっている。
つまり、子どもへの読書推進施策は短期的な効果はあるが、長期的な読書量向上の効果は期待できないのである。
(では、何のために「子ども」の読書を推進するのか? という議論につながる)
もし大人の読書/購買量を増やしたいのであれば、大人向けの施策が必要だ。
また、「本を読むと頭が良くなる」としばしば言われるが、読書の効果で確認されているのは
・語彙が増えること
であり、
・語彙は自分のレベルと合った本を読むと増える。難しすぎでも易しすぎでもダメ
ということがわかっている(猪原敬介『読書と言語能力』京都大学学術出版会2016年)。
語彙が増えると講義や参考書の理解が進みやすくなり、その結果として成績が向上すると塾・予備校業界では経験的に言われている。これが「本を読むと頭が良くなる」のメカニズムだろう。
さらに、「くだらない本より良書を読んだ方がよい」ということも信じられているが、これは根拠がない。
PISAの読解リテラシーでは、マンガや雑誌しか読まない層よりも、文字の本を読む層の方がスコアが高い傾向にあるが、しかし、ジム・トレリース『The Read-Aloud Handbook』はしばしばそのように「何を読むか」にフォーカスされがちだが、むしろ目を向けるべきは本人が「夢中になって読む」経験と読解リテラシースコアとの相関だ、と指摘している。
読解リテラシーは家庭の社会経済的地位との相関があり、低所得者層の子どもは高所得者層の子どもよりも優位に読解リテラシーが低い傾向にあるが、低所得者層だが夢中になって本を読んだ経験がある子どもは、高所得者層でその経験がない子どもよりも読解リテラシーが高いのである。生まれの差をカバーするくらいに興味関心に基づいた読書体験は重要なのである。
逆に言うと、興味関心がないものを無理やり読ませてもこのような効果は期待できない。
むしろ、本人が好きなものに熱中して読めばそれでいいのである。
スティーブン・クラッシェン『読書はパワー』は、北米での読書研究を総括して、コミックや軽いロマンスが好きな子どもの読書を追っていくと、永久にそれしか読まないわけではなく、軽読書はその後の読書への呼び水になっていることを示した。
つまり「くだらない本より良書の方がよい」と保護者や教師、本好きが押しつけ的な選書をしても、語彙のレベルや興味関心に合わないものでは意味がない。
むしろ、その人が興味・関心を抱いた好きなものを好きに読める環境や機会の提供が重要であり、その人がどのレベルの本なら読めるかを第三者が把握して推薦できるとよい、ということになる。
読書体験が豊富な人間であれば、自分の好みや読書レベルを把握し、どんなところにどんな本があるのかのアタリが付くだろうが、そうでない人にとっては自分に合った本を見つけるのが大変だ。だから司書が重要なのであり、司書の予算・人員の充実が必要なのである。
■日本の読書推進政策・施策の問題点
ここでは筆者が考える日本の読書推進政策・施策の問題点を3つ挙げておきたい。
1.定型発達、言語優位者視点に偏重
2.書籍読書に偏重
3.紙の本に偏重
まとめると「読書=文字で書かれた紙の本を読むこと」という価値観が問題だ。
1.定型発達、言語優位者の視点に偏重
文科省の第五次「子どもの読書活動の 推進に関する基本的な計画」(2023年)では、読書バリアフリーへの取り組みが示され、その点は大きな前進だったが、そこで想定されているのは主に視覚障害者(だけ)である点に課題がある。
たとえば
ディスレクシア(生まれつき読字が苦手)等の学習障害、
ADHD等の発達障害
境界知能(知的障害まではいかないが、平均よりもIQが低く、場合によっては言語処理能力に困難がある人たち)
視覚優位の認知特性の保有者(物事を視覚的に捉え、理解するタイプ。読書好きは言語優位者が多いと考えられる)
など何らかの理由で 「目は見えるが読字が苦手」「落ち着いて 座って長時間ひとつの文字もの書籍を読むのが苦手」な子などへの施策が書かれていない。
2.書籍読書に偏重している
雑誌の読書推進は近年になってやっと注目されてきた。
しかし書籍の読書推進に偏重していることの何が問題なのか。
2022年の書籍不読率は小6.4% 中18.6% 高51.1%だが、
雑誌の平均読書数が最多だった1986年の雑誌不読率は小10.0%、中9.1%、高6.9%だった。
つまりかつて雑誌読者は9割だったのである。
言いかえると「書籍は不読だが雑誌は読む中高生」 が減り、「書籍も雑誌も読まない」層の割合が増えたと言える。そしてその割合は高校生では全体の4割以上なのだ。
雑誌+書籍の合計平均読書冊数を(学校読書調査を元に作成すると、小学生は波がありつつもおおむね横ばいだが、中高生に関してはトータルで見ると減少傾向にある。書籍の読書量が増えても、それよりも雑誌の読書量が減ったからだ。
たとえば生まれつき読字が苦手な人たちも、ビジュアル重視の雑誌やマンガなら読めるはずだ。
にもかかわらず朝読では 雑誌やマンガ(学習漫画を除く)、写真集などを読むのは基本的に禁止されていることが多い。
実は朝読の理論的根拠となったマッケラン夫妻による自由読書のすすめ(ジム・トレリース『The Read-Aloud Handbook』で紹介されていた)では、新聞や雑誌、漫画でも何を読んでもいいとある。
つまり日本の朝読は原典を無視した恣意的な運用が30年以上横行しているのである。
3.紙の本に偏重している
韓国「国民読書実態調査」では「読書」 にウェブ小説(2017年~)やオーディオ ブック(2019年~)を含み、「電子書籍」とも分けて調査している。
「出版月報」2021年9月号によれば、日本の文芸単行本市場の約4割をウェブ発小説が占めている。
にもかかわらず、ウェブ小説を読むことを統計上「読書」とみなさない状態を続けているのはまったく不自然である。実態に即した読書観を採用すべきだ。
また、OECD編著『PISA2018年調査評価の枠組み OECD生徒の学習到達度調査』明石書店,2023によれば、
PISA2018の「読解リテラシー」の試験では、そもそも読解すべきtextとして
・書き言葉のある図表、写真、地図、表、グラフ、コマ割り漫画を含む
・ハイパーリンクを通じてtextの異なる部分や別のtextを結びつけたダイナ ミックなtext(web,電子書籍等)も扱う
のであり、これらを用いて
・情報を探して推論を立てる
・複数textの統合
・Web検索結果の評価,
・複数textにまたがる情報の裏付け
といった課題が課される。つまり現在のOECDの「読解」観は、「紙の本を黙読して内容を理解する」に留まらないものになっている。
これが文科省が推進するGIGAスクール構想の前提になっており、学校図書館現場はこのような力を付けるための探究学習の支援などに取り組んでいる。しかし、いまだ日本の読書推進界隈では従来型の「読書」観に偏っており、読書/読解観の拡張が必要だ。
■これからの読書推進の方向性
まず、紙の本をよく読む層に対しても、広い意味での出版物・資料・物語、多様なフォーマットのデータの利用や読み解きの促進が必要であり、ウェブサイトなどを用いたインタラクティブな読書のリテラシーを高め、アウトプットにつながるような読書・読解推進施策が必要だ。
また、かつて雑誌の読書率は9割、今の書籍読書率は高校生以上になると5割であることを考えると、この「出版物」の不読者は、 「文字」だけの「紙」の「書籍」の読書推進ではおそらく取り戻せない。多様な不読者の視点を包摂して取り組むべきだろう。
雑誌、マンガ、絵本、写真集、ウェブ小説、オーディオブックなどを読む/見る/聴く/デザインや紙質を味わうことなども「読書」として認めて推進すべきだ。
そして個々人の関心や味わい方に合わせ、好きなメディア、好きなタイトルにアクセスでき、鑑賞できるための環境作りを現場と政策で推進すべきだ。
この実現には、各々の立場や好みによる限界を乗り越えた行動が必要になる。
というのも、たとえばウェブ小説をたくさん読まれたところで
・自社の売上に関係ない(出版社)
・図書館の評価に関係ない(司書)
・そんなことより勉強しろ(教師、親)
などとなりがちであり、
電書やオーディオブックをもっと充実させようというかけ声に対して
・予算的に無理(図書館,自治体)
・もっと紙の本を買え/読め(本好き)
などとなりがちだからである。
各人の目的や趣味嗜好を超えた理解と協力があってこそ、97%を包摂した読書環境が実現できる。
本記事では「なぜ読書を推進したいのか?」とまず問うた。
・達成したい状態は?
・どこが課題と認識するか?
・なぜそれが問題だと思うのか?
・どんな打ち手が良いのか?
これらの再考に役立ち、問題解決の前提となる現状認識について整理が進んだなら幸いだ。