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承久の乱の捕虜を死罪から遠流にした北条泰時の決断の訳

濱田浩一郎歴史家・作家

承久の乱(1221年)に勝利した鎌倉幕府軍は、官軍に加勢した者を次々に捕縛していました(6月16日)。その捕虜のなかには、清水寺の住職・敬月法師もありました。敬月法師は「勇士」ではありませんでしたが、宮方の公卿・藤原範茂に従って、宇治に行ったので、幕府方は許し難しとして、敬月を捕えたのです。

その時、敬月は、一首の和歌を、幕府軍の総大将・北条泰時に贈ったといいます。その和歌は「勅ナレハ身ヲハ捨テキ武士ノヤソ宇治河ノ瀬ニタタネト」(天皇からの命令であるので、我が身を捨てて戦うべきでしょう、武士ならば。しかし私は、宇治までは行きましたが、川での戦には出ておりません)というものでした。

要は、私(敬月)は、参戦していませんよと、泰時に伝えたのです。和歌を見た泰時は、感心し「死罪」ではなく「遠流」にするよう命じました。参戦していないのならば、死罪にする必要はないと判断したのでしょう。同日、泰時は、鎌倉に使者を派遣。

それは、戦(承久の乱)が無事に終結したことを伝える使者でした。幕府軍の犠牲もありましたが、承久の乱はここに終結したのです。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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