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ゼレンスキーは和平交渉を志向したがそれを妨害する勢力があった

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(693)

如月某日

 ロシア軍のウクライナ侵攻から1年が経った。西側メディアは1年前と同じく「ロシアのプーチン大統領が悪、ウクライナのゼレンスキー大統領は善」という図式の解説を行っている。報道の通りなら1年経っても善は悪を倒すことができないことになる。だからメディアは「いずれロシアは敗北する」と希望的観測を言って読者や視聴者を安心させる。

 しかし21日に年次教書演説を行ったロシアのプーチン大統領は「西側がロシアを打ち負かすのは不可能だ」と断言した。するとウクライナを電撃訪問した後の米国のバイデン大統領も21日に、「決してロシアの勝利にはならない」と演説し、米露二大国のリーダーがこの戦争の事実上の主役であることを世界に印象づけた。停戦の予兆はなく戦争は長期化するというのが大方の見方である。

 フーテンは1年前の侵攻直後に「ウクライナ戦争は中国の存在感を高め第二次大戦後の国際秩序を一新するか?」というブログを書いた。第二次大戦後の国際秩序は、およそ40年間の米ソ対立と、その後およそ30年間の米国一極支配だった。ウクライナ戦争は米国一極支配を終わらせ、中国が影響力を持つ新秩序が生み出されると書いたのである。

 フーテンの見方は西側メディアと異なる。しかしロシアに偏った見方をしているわけではない。フーテンのこれまでの取材経験から、西側メディアの報道がおかしく見えるだけだ。そしてフーテンの見方は、フランスの人口学者エマニュエル・トッド氏と、米国の安全保障問題の大家ジョン・ミアシャイマー博士と驚くほど一致する。

 フーテンにとって西側メディアがおかしく見えるのは、まずロシア軍が国境を越えてウクライナ領に侵攻した時、判で押したように「プーチンの帝国主義的侵略」と一斉に報道したことである。それは米国が戦争を始める時に使う「嘘」のプロパガンダと同質のものを感じさせた。

 フーテンは冷戦が終わる直前から米国議会を取材してきたが、戦争の度に米国メディアが報道する嘘情報に騙された。湾岸戦争ではCNNテレビが油まみれになった水鳥の映像を流し、イラクの独裁者フセイン大統領の仕業と報道したが、それはまったくの嘘だった。

 クウェートの少女が涙ながらにイラク兵の暴虐を証言し米国民の涙を誘ったが、それも真っ赤な嘘だった。弱者の悲惨な状況を見せて同情を誘うプロパガンダは米国の広告代理店が最も得意とする手法である。

 米国は嘘を流してから戦争を始める。例を挙げればきりがないが、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、すべて米国は嘘を流してから戦争を始めた。中でも信用できないのは国防総省とCIAの情報である。そこから依頼された広告代理店が国民大衆を騙す嘘の振り付けを考案してメディアを動員する。

 ゼレンスキーを英雄に見せ、プーチンを悪の権化に見せる報道に、フーテンは米国の広告代理店の手法を感じた。ゼレンスキーはそれまでロシアのプーチン大統領だけでなく、米国のバイデン大統領からも、フランスのマクロン大統領からも、誰からも相手にされなかった。それが一夜にして英雄に祭り上げられた。

 仮にプーチンが「帝国主義的領土拡大」のためウクライナ侵略を行ったのなら、なぜ毎年ロシアの10倍もの軍事費を投入し、世界一の軍事力を持つ米国がそれを止めようとしないのか。多国籍軍を結成し国際社会の力で侵略を止めようとしないのか。

 バイデンは止めるどころかプーチンに「侵攻するなら今しかない」という態度を示した。侵攻の1年前の2021年3月、ゼレンスキーは2014年にロシアに奪われたクリミヤ半島の奪還を命令した。

 その背後には2014年以来ウクライナの軍隊に軍事訓練を施してきた米国と英国の軍事顧問団、そしてバイデン政権で国務次官に就任したネオコンの代表格ビクトリア・ヌーランドの後押しがある。

 誰からも相手にされず、大統領再選の可能性もなかったゼレンスキーは、トルコから輸入したドローンでウクライナ東部の親露派武装勢力を攻撃し、プーチンを挑発した。プーチンはウクライナ国境に軍を集結させ、軍事訓練を行ってゼレンスキーをけん制しながら、12月にバイデンと2時間にわたるオンライン会談を行った。

 プーチンによると「ウクライナがNATOに加盟すれば、ロシアの目と鼻の先に西側の核ミサイル基地ができる。それではロシアの安全が保障されない」と訴えたが、バイデンは聞く耳を持たなかった。そしてバイデンは「同盟国でないウクライナに米軍が出兵することはない」と言い、「NATOに加盟する前ならウクライナに侵攻しても米軍は出兵しない」と誘いをかけた。

 プーチンはウクライナの親露派住民が攻撃されるのを助ける名目で侵攻したが、西側メディアは待っていましたとばかり「帝国主義的領土拡大」と報道し、侵略者プーチンと侵略に立ち向かう英雄ゼレンスキーという構図が確定した。

 ところがゼレンスキーは侵攻開始直後から停戦を模索し始めた。侵攻4日後の2月28日からベラルーシ国境付近で3回の和平交渉が行われ、3月7日にはゼレンスキーが米国のテレビに「NATOがウクライナの加盟を受け入れる気のないことはかなり前から分かっていた」と語った。

 つまりゼレンスキーは侵攻の11日後にはロシアが反対するNATO加盟を諦め中立化を表明した。その後はトルコの仲介で3回の和平交渉が行われ、3月29日にウクライナは中立化の条件として国連安保理の常任理事国(米、英、仏、露、中)に加え、ドイツ、イタリア、カナダ、トルコ、ポーランド、イスラエルでウクライナの安全を保障する提案を行った。

 これで戦争は終わるかに見えた。そしてそれを見届けるようにキーウを目指していたロシア軍は翌30日に自ら撤退を開始した。CIAはロシア軍が首都キーウを陥落させゼレンスキー政権を倒そうとしたが、ウクライナ軍に抵抗されて失敗したという情報を盛んに流す。しかしロシア軍はウクライナ軍に敗れて撤退したのではなく自ら撤退したのである。

 ところが撤退から3日後にウクライナ軍がキーウ近郊のブチャに入ると虐殺死体が発見された。フーテンはその3日間に何があったのかを疑ったが、虐殺死体があったのは事実である。ただ何が目的だったのかが分からない。和平交渉がまとまりかけていた時に、それを覆す虐殺はなぜ起きたのか。しかも自ら撤退したのになぜ虐殺死体を放置したのか。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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