【京都市】北区 豊臣秀吉による『御土居』(土居町)と『京の7口』
京都を囲む総延長約23キロ続く盛り土の「壁」を「御土居」と呼びます。その史跡がいまだに存在していることをご存知でしょうか?
御土居(おどい)は、豊臣秀吉によって作られた京都を囲む土塁です。現在京都市内に残る10カ所が、史跡に指定されています。
土塁の内側を「洛中」、外側を「洛外」と呼びます。洛中洛外図などでも知られますね。
「高津商会」が持つ「高津古文化会館」(現在閉館中)にも、洛中洛外図はありますよ。また、その一部を陶板版画にしたものが、~髙津家本~として、四条烏丸の阪急駅降りてすぐの壁にあります。
https://creators.yahoo.co.jp/kozushokairica/0100132156 (【北野天満宮】近くにあった『法華堂撮影所』と『高津古文化会館』)
京都の要所には「洛外」との出入り口になる「七口(ななくち)」が設けられました。
粟田口・東寺口・丹波口・鳥羽口・鞍馬口・大原口・荒神口がそうです。今でも名前が残っていますね。
「御土居」は、外からきた敵の来襲に備えたり、鴨川の氾濫(はんらん)から京都の街を守るために築かれた台形の土塁と堀から成りたつそうです。
秀吉の都市改造計画の一つとして、「御土居」はよく知られるところです。その周囲を土塁で囲まれた城郭都市だったという名残です。
北区大宮土居町の「御土居」は、現在残る史跡の中でも保存状態がいいそうです。残念ながら中には入れないようになってましたが、外から見るだけでもその迫力はさすが!
『御土居』といえば、『北野天満宮 史跡御土居もみじ苑』もよく知られるところですね。
この京都を囲む御土居を作るのに、いろんな人が関わり、わずか4ヶ月で作ったそうですよ!昔の人の伝統や技術は素晴らしいですね。
『御土居』史跡
北区紫竹上長目町・堀川町(加茂川中学校敷地など)
北区大宮土居町
北区鷹峯旧土居町2番地
北区鷹峯旧土居町3番地(御土居史跡公園)
北区紫野西土居町
北区平野鳥居前町
上京区北之辺町 (廬山寺)
中京区西ノ京原町 (御土居上に市五郎神社社殿)
上京区馬喰町 (北野天満宮境内)
(その他、北野中学校校庭(中京区西ノ京中保町)や大宮交通公園(北区大宮西脇台)など)