【長崎市】昭和初期のレトロな印刷工業組合ビルに潜入!日本初、活版印刷の生みの親・本木昌造の展示室見学
こんにちは!misahanaです。
先月、長崎県印刷工業組合ビルの1階にオープンしたGioiaの記事はご覧いただけたでしょうか?
実は、こちらのビル内に、本木昌造や活版印刷の資料が展示されています。みなさんご存知でしたか?私は初めて知りました。
早速、お邪魔させていただき、長崎県印刷工業組合副理事長の毎熊一太さん、事務局長の吉田めぐみさんにお話を伺いました。
昭和初期のレトロな空気漂うビル
こちらのビルは、昭和初期に建てられたもので、初めは、日本生命保険の長崎支店が入っていたそう。昭和40年代ごろに組合が購入し、現在まで現役で活躍中の建物です。
ドラマのセットのようなレトロな空間に、胸が高鳴ります。雰囲気のある階段を登ると、2階に長崎県印刷工業組合の事務所がありました。
今はほとんど見かけることがない、縦長の窓や丸窓がとても素敵です。昭和初期の建物ならではです。
また、正面玄関(現在Gioiaの入口)が、道の角に沿って丸く作られているのも、この当時の建物の特徴だそうです。曲線が美しい!
建物だけでも、見どころがたくさんありました。まだまだ気になりますが、本命の3階展示室へ。
展示室は、普段は一般公開されていません。見学希望の方は、事前に組合に問い合わせください。
長崎の発展に尽力した 本木昌造
日本初の活版印刷の生みの親として、有名な本木昌造ですが、実は、製鉄・造船・航海など様々な分野で、日本の近代化に大きく貢献していました。今回は、その中の一部を簡単にご紹介します。
昌造は、1824年(文政7年)長崎市の新大工町生まれ。11歳で本木家の養子となり、オランダ通詞として活躍しました。
オランダ語だけでなく、ロシア語、英語、フランス語にも堪能で、ロシア使節プチャーチン来崎の通訳や、ペリー2度目の来日の際、下田で通訳を任されたそうです。
また、長崎製鉄所(現三菱重工長崎造船所)の初代頭取を務め、長崎市民にとってお馴染みの、中央橋の鉄橋(くろがね橋)を架けたのも、なんと本木昌造です!
くろがね橋は、日本で初めて架けられた鉄橋と言われています。現在の橋は、1990年(平成2年)に再架されたものです。
本木昌造と活版印刷
本木昌造は、西洋の印刷技術に関心がありました。幼いころより、洋書に触れる機会が多かったことが、影響していると考えられています。
昌造は、海外より、印刷機械や鉛活字などを輸入し、国内での活版印刷を何度も挑戦しています。
しかし、機械を扱う知識・技術がなかったこともあり、計画は中断。また、アルファベットに比べ、日本語特有の画数の多い漢字や繊細な曲線のひらがなの鉛活字の鋳造は、難しいものでした。
1869年(明治2年)昌造が46歳の時に、上海より、アメリカ人宣教師ウイリアム・ガンブルを招きます。
その際、活字鋳造のための、蝋型電胎法(ろうがたでんたいほう)という母型製作法を習得しました。
こうして、明朝漢字の複製やオリジナルの楷書、仮名文字などの和文活字を、ようやく作りげることができました。
同年に活版伝習所を開校。翌年には、日本初となる民間活版業の新町活版所を開設しました。
その後、多くの協力者や弟子たちの力を借り、活版印刷業を、大阪、東京、横浜など支所を広げていきました。日本初の新聞は、横浜にて刊行されたそうです。
昌造は、52歳で亡くなるまで、長崎の地から、日本の近代化に大きく貢献しました。
「本木昌造・活字復元プロジェクト」
これらの展示資料は、長崎県印刷工業組合と本木昌造顕彰会にて管理・運営されています。顕彰会では、本木昌造の功績や活版印刷文化の継承のため活動中です。
毎年、昌造の命日である9月3日には、昌造の墓碑のある大光寺(鍛冶屋町)にて、法要を営んでいます。9月は、昌造の命日にちなんで、全国的に印刷月間となっているそうです。
その他にも、活版伝習所跡地にある長崎市立図書館とのコラボ企画として、活版印刷体験を毎年9月の印刷月間に開催しています。
また、平成11年には、本木昌造顕彰会、印刷博物館、株式会社モリサワの三者で、「本木昌造・活字復元プロジェクト」を発足しました。
プロジェクトでは、活字の母型を作るための原型の「種字」彫りから、蝋型電胎法による「母型」製作、鉛の活字を一本ずつ「鋳造」するまでの全工程の技術を再現しています。
種字は、長崎諏訪神社に所蔵されている「本木種字」をもとにしています。「本木種字」は、長崎歴史文化博物館でも一部展示されており、実際に見ることができます。あたたかみのある字が、とてもかわいらしいです。
今年は、本木昌造生誕200年、そして来年は没後150年という節目の年。顕彰会では、「本木種字」の長崎市の指定文化財登録を目指し、これまで以上に精力的に活動していく予定です。
毎熊さんは、「一人でも多くの方に、本木昌造の功績、長崎から生まれた印刷史があることを知ってもらえると嬉しい」と話してくださいました。
本木昌造の功績や日本の印刷史は、まだまだ奥深いものがありました。長崎の街にも、本木昌造関連のスポットがたくさんあります。私ももっとくわしく学んで、街歩きしたくなりました。
現在、長崎大学附属図書館(経済学部分館1階)では、『本木昌造展-生誕二百年記念-』が開催中です。こちらもあわせて、ぜひお立ち寄りください。