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作家・柳美里さんとのことについての経過説明

篠田博之月刊『創』編集長

柳美里さんとの件については決着がついた。10月30日付で「覚え書き」を交わし、そこで確定された金額を11月4日に振り込み、柳さんがブログで「土壇場で篠田さんが示してくれた誠意に感謝します」と書き込んでくれた。お騒がせしたことを改めてお詫びするとともに、詳しい経緯を書いておこう。柳さんはいまだに、当初の話では原稿料が400字1枚2万円だったと書いており、当方はそれはありえないと主張し、そういう点では平行線なのだが、その応酬をやっていても仕方ないので、それぞれの主張は入れずに、合意できる金額で合意したのが「覚え書き」だ。

11月1日に「柳美里さんとの対立を煽る捏造記事について」という説明をこのブログにアップしたが、ここで非難した業界紙は、以下のような謝罪訂正を関係各所に送付してくれた。

《10月31日発行の『メディアクリティーク』における「月刊『創』誌の柳美里氏への原稿料不払い問題 出版不況がもたらしたもう一つの側面~篠田博之編集長に聞く~」(田辺英彦)と題する記事について間違いがありました。》

《記事中における、「柳さんも参加されましたが、」の部分は、篠田氏の原稿チェック後に担当記者の田辺英彦が事実を誤解して勝手に書き加えたものでした。2012年6月の『創出版30周年記念&ジャーナリズムを語る会』に、柳さんは出席していません。また、篠田氏も「柳さんも参加されました」という発言はしておりません。この誤報をもとにして柳さんがブログを書かれるなどの波紋を引き起こしてしまいました。ここに、誤報であったことをお知らせして訂正し、篠田博之さん、柳美里さん、読者のみなさまにお詫びいたします。株式会社 出版人》

確認済のコメントに勝手に手を加えるというひどいことをやったので私も「捏造記事」と強く非難したが、この「出版人」も誤報訂正に尽力し、誠意を示したと思う。今回、ネットに書かれた情報は事実と違うものがかなりあるのだが、この「メディアクリティーク」は、編集部まで取材に訪れ、事実関係を確認しようとしたという点では評価できる。他のひどい記事を書いているところは、事実確認さえしていないのがほとんどだ。例えば前述の原稿料1枚2万円云々については、「メディアクリティーク」の質問にこう説明した。10月27日時点での説明だ。

《――柳美里さんは22日付けのブログで未払額を、依頼当初の条件だった400字詰め原稿用紙1枚2万円で計算すると、対談のギャラや印税を含めて1136万8078円、『創』の標準的な原稿料である1枚4000円で計算すると、同様に174万6500円と算出していましたが、いくらの金額で納得したのですか?

「1枚2万円という話はしていません。『創』は当時、400字原稿1枚4000円を基準にしており、コラムはほとんど4ページなのですが、当時はどの方にも謝礼は5万円なんです。柳さんのコラムは、彼女を応援するというつもりで始めたので、負担にならないように、写真を入れるので原稿は短くても構いませんとお伝えしました。実際、連載開始当初は、ページの半分以上を彼女がブログにアップした写真や画像で構成していました。カラーグラビアのページなので写真中心でよいと思ったのです。ですから本文ページの連載コラムの執筆者の方たちには4ページだと原稿用紙10枚分を書いていただいているのですが、柳さんの場合は、原稿の分量は最初は2枚か3枚くらいだったと思います。今思うと、そこから、原稿400字1枚分が2万円、というふうに思われたのかもしれません。

原稿の分量については、柳さんから届くのは号によってまちまちで、時には十数ページ分送られてくることもありました。そういう場合、せっかく書かれたのだから何とかして掲載しようと、校了直前に全部の台割を変え、グラビアから本文ページに移して十数ページを確保したりしてきました。今回、合意に時間がかかったのは、そういうケースについてどう考えるのかという問題があったからです。》

こういう話を続けてもほとんど生産的でないのだが、この点についても他の媒体が事実確認さえせずに書いているので、あえて紹介した。創出版がいま、私と経理の2人しかいないとか、デマを平気で書き散らしているところもあるが、法的措置については弁護士と協議中だ。

今回の騒動の経緯と背景については11月7日発売の『創』12月号に書いた。それを、ほぼそのままここにアップすることにする(一部言葉を補った箇所もある)。

《作家の柳美里さんの連載終了をめぐって、10月15日夜に彼女がご自身のブログに書いた内容が大きな反響を呼び、騒動になった。そうなった一番の原因は、編集部の対応がまずかったためだ。柳さんに改めてお詫びするとともに、経過を説明しておこう。

柳さんの連載終了の意向を伝えるメールが届いたのは9月1日のことだった。3・11以降、厳しい状況が続き、特にこの半年ほどはこれまでになかったほど生活が大変だといった事情が書かれていた。本誌の原稿料支払いが遅れており、連載は続けられないとのことだった。申し訳ないという思いで大きなショックを受けた。とりあえず連載終了についてはわかりましたという返信をした。そこで終了へ向けた話しあいをすぐに進めていれば今回のように問題がこじれることはなかったと思う。

柳さんには7年間も連載を続けていただいていたし、おつきあいが始まったのは1997年のサイン会脅迫事件だった。連載をお願いしている間も、彼女のサイン会やトークライブに足を運んだり、本誌編集部を外部からの連絡先に使っていただくなど、関係は悪くなかった。7年前に連載をお願いしたのも、応援したいという気持ちからだった。

だから連載終了についても一度話しあいをしたうえでと考えたのだが、9月中はなかなか時間がとれなかった。「黒子のバスケ」脅迫犯の渡邊博史受刑者が9月29日の誕生日に控訴を取り下げるまでに彼の本を出さなければならなかったり、やらなければならないことが山積していたからだ。10月になってこちらから提案を含めて話しあいをし、そのうえで手続きをと考えた。

そうやって曖昧なまま1カ月がたってしまったことが状況を悪くした。その間、11月号の締切があったのだが、私としては連載終了については話しあいをしたうえでもう1号先の号で説明しようと思ったので、何の説明も誌面でしなかった。これが柳さんをひどく傷つけたようだ。11月号でそうするのなら、柳さんと相談すべきだったと反省するしかない。

柳さんは11月号を見て、連載終了について何の説明もなかったことに怒ったようだ。そして、突然、ブログに本誌への批判を書き込んだ。実は柳さんなりに11月号で連載終了のお知らせとともに読者への説明も考えていたらしい。読者を大切にしたいと考えている柳さんなら当然のことで、今回10月16日のメールでそのことを知らされ、申し訳ないという思いでいっぱいになった。私もそれを知ったら必ず対応したはずだが、思いを馳せることができなかったのは、編集者として至らなかったと反省するしかない。柳さんとの今回の問題は、編集者として迅速な対応ができなかったという、それが一番大きな理由だったのだと思う。

2年前、創出版30周年記念パーティーを行ったのだが、その頃から会社の業績が悪化し、制作にかかる費用がまかなえなくなった。一番大きな理由は、弊社の経営を支えていた『マスコミ就職読本』関連の売上が、就職戦線の情報源がネットへシフトしたことで激減したことだ。情報収集のツールがネットに移るとともに「情報は無料だ」という文化ができあがり、就職情報に受け手が対価を払うという文化がほとんどなくなった。『マス読』も情報発信をネットでも行うようにしたが、そのメールマガジンは無料だから、収益にはならなかった。

『創』自体は固定読者の比率が高いのでそう大きな落ち込みではなかったのだが、もともと雑誌自体は赤字で、それを他の収益で補ってきたのだった。会社全体の売り上げが何年かの間に半減してしまうほど急激に状況が悪化したために、迅速な対応ができなかった。

『創』を休刊させることも考えたが、がんばって続けてほしいという声も多く、執筆者からも『創』を支えようという提案があった。そこでその時期、連載執筆者の方々に、支払いを待っていただいたり、あるいは原稿料を会社への出資へ回していただくことをお願いした。支払いが遅れていた100万円以上の原稿料を出資に回してくださった方も何人もいるし、支払いは『創』に余裕ができてからでよいとわざわざ言ってきてくださった方もいた。連載執筆陣以外でカンパや出資をしてくれた方を含めると出資者は約50人にのぼり、金額は約1千万円に達した(未払い分を出資金に回すというケースも含むから現金がこれだけ集まったということではない)。

ただそのあたりは執筆者の方たちの事情もあるし、考え方もいろいろあり、一律にどうこうとすべき話ではない。柳さんを含め、出資のお願いをしていない方もいるし、実際、柳さんへの支払いは何とかしようと思っていた。ところが出版不況は悪化の一途をたどるばかりで、この2~3年、環境の悪化は底なしの落ち込みといった状況だった。

この夏、今までにないほど柳さんたちの生活が厳しいと聞かされた。3・11以降、柳さんは福島へ通ってコミュニティFMの仕事を始めたりと、大変な仕事をしていたので、生活にもいろいろな影響が出たのだと思う。私は「何とかします」と答え、本当に何とかしようと思ったのだが、8月9月は、こちらも本当に厳しく、対応ができなかった。

今回、ふと思い出したのは三浦和義さんが2008年、突然、サイパンでアメリカの当局に身柄を拘束された時のことだった。三浦さんとは1984年のいわゆるロス疑惑事件で彼が逮捕された後、本誌に連載をお願いしてからのつきあいだから20年以上に及ぶ友人だった。

サイパンでの逮捕からすぐに連絡がとれ、たぶん弁護士費用にあてるためだろう、独占手記をお願いしたいとのオファーを承諾し、原稿料として50万円を用意してほしいと提案された。今回、その話を思い出したのは、当時はまだそのくらいのお金をすぐに用意できるくらいの余裕はあった、わずか6年前はまだそうだったと思い至ったからだ。

ちなみに三浦さんは周知の通り、同年10月、ロスへ移送され、房内で自殺してしまう。面会にサイパンへ行こうと思いながら忙しくてかなわず、そうするうちに自殺というその結末に愕然とするとともに、十分な支援ができなかったことを激しく後悔した。

だから柳さんを応援するつもりで始めた連載で逆に迷惑をかけることになっている状況についても、申し訳ないとしか言いようがなかった。

柳さんのブログは影響力が大きいし、今回の話も当方が十分な説明をする機会もないままネットで様々に増幅された。『創』誌面ではこれまでも厳しい状況については説明していたし、『創』を知っている人ならある程度の理解はしてくれたと思うが、ネットでの拡散というのはそういう状況を飛び越える事態を作り出した。

幸い、他の連載執筆の方々は、12月号の原稿はいつも通りに送ってきてくれたし、激励してくれる人も少なくなかった。原稿料が払えない状況を良いとは思っていないが、『創』ががんばって続けているのだから、もう少し様子を見ようということだろう。 

かつて20~30年ほど前、インディペンデント系の雑誌が林立した時代があって、それが言論の多様性を確保するのに貢献していた。だが、個人で雑誌を支えていくことが可能だった時代は終わりつつあるのかもしれない。私は、もう10年以上も会社から報酬を得ていないし、赤字を補填するために逆に数千万円を投入している。今や大手出版社でも雑誌を維持するのは難しい時代だから、個人の力で雑誌を支えるというのは限界があるのは明らかだった。

それでも、この何年か無理をしてでも続けようと思ったのは、大手出版社が総合誌やジャーナリズム系の雑誌を次々と休刊させたのを見てきたからだ。もともとジャーナリズム系の雑誌は収益をあげるのが難しいから、ビジネスを考えれば雑誌をやめてしまうのもわからないではなかった。

ただ、2008年に講談社が月刊『現代』を休刊させた時、ノンフィクション系のライターやジャーナリストたちから、大きな懸念の声があがった。このままではノンフィクションというジャンルが壊滅してしまう、それでよいのかという危惧の表明だった。総合誌の雄である『文藝春秋』も、かつてのように大事件が起きた時に、総力取材でノンフィクションレポートを掲載するという編集方針をとらなくなっていた。コストがかかる割に部数につながらないからだ。

もちろん『創』がそれらに代わって、などと大それたことを言うわけではない。ただ、そうやって大手出版社が次々とジャーナリズム系の雑誌を休刊させてしまうのを批判してきたから、利益が出ないからとすぐにやめるわけにはいかないと思った。画一化を強めるマスメディアの状況の中で、異論や少数意見の発表の場を確保し、言論の多様性を保証すべきことを訴えてきたのが『創』だったからだ。

昨年来の「黒子のバスケ」脅迫事件でも、渡邊博史受刑者は、大手マスコミを通じて自分の意見を世間に表明するのは困難と思い、『創』に接触してきた。また、この間の朝日新聞バッシングをめぐっても、週刊誌のほとんどが嫌韓から朝日叩きへと一色に染まっていく流れを見て、それを批判するキャンペーンを行っている。

ご迷惑をおかけしている方々にはそういう思いを訴えて、可能であれば猶予をいただけないかとお願いしてきたのだが、ただ今は出版社だけでなく書き手も大変な状況だ。柳さんがご自身の生活も大変ななかでこれ以上続けるのは無理、と言われるのは当然だと思う。

今回の事件で出版をめぐる深刻な状況を改めて認識させられた。「志」といったことだけで対応できる時代は終わり、現実的に何とかしないと出版社も書き手も書店も共倒れしてしまう。今はそういう時代なのだと思う。本誌もいろいろな対応を手探りで試みており、努力はしているのだが、出版環境の悪化は、予想を超えるペースで進んでいる。

『創』は私が会社をたちあげてからでももう32年。その前に別の会社が発行していた時期を含めると創刊から42年になる。過去、右翼団体の猛攻撃を受けたり、厳しい局面に立たされたのは何度もあったが、今は一番厳しい時かもしれない。今回の事件では、いろいろな方にご心配をおかけし、カンパや激励もいただいた。改めてお礼を言いたい。》

以上である。最後に、柳さんが創出版から上梓した『沈黙より軽い言葉を発するなかれ』の後書きから一部を引用しよう。

《『創』と、篠田編集長について、少しお話したいと思います。

『創』は、主に言論や表現に関する問題を取り上げている月刊誌です。

特筆すべきは、殺人事件の加害者の手記や手紙などを全文掲載する、その姿勢です。

中でも、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤や、奈良小1女児殺害事件の小林薫や、土浦無差別殺傷事件の金川真大の手紙は、その一語一語をつぶさに読んだ記憶があります。

マスメディアは、人殺し、特に幼女を誘拐し殺害した者に対しては、自分たちとは地続きではない特殊な人間の所業だとして一斉に「鬼畜」「殺人鬼」「モンスター」などのレッテルを貼り、その犯行を「理解」することから遠ざけてしまいます。

加害者の生育過程などを辿る記事もありますが、遺族や視聴者や読者の怒りや悲しみや嫌悪感や敵意に配慮あるいは同調し、加害者への糾問に先行して被害者や遺族への「心ある謝罪の言葉」を求めます。

そして、極刑の執行によって彼らの罪は「心の闇」の中に置き去りにされるのが常ですが、彼らが遺した手紙や手記は(それがどんなに利己的で支離滅裂な内容であっても)「心の闇」を歩くための手がかりとなります。

『創』という雑誌の、加害者への「理解」に力点をおいた編集方針に、私は敬意を払っていました。

私が『創』の篠田さんと初めてお逢いしたのは、1997年、私の芥川賞を記念するサイン会が、右翼を名乗る男からの脅迫電話によって中止になった事件の記者会見場でした。会場の最後列で何度も挙手して質問をしていた姿が強く印象に残っています。》

《篠田編集長は、最高裁が戦後初の発禁処分の判決を下した、私の処女小説『石に泳ぐ魚』事件の記者会見でも何度も質問し、『創』で大きくページを割いてくださいました。

必ずしも、私の側に立った言説で構成されていたわけではありませんでしたが、脅迫や抗議がくるかもしれない事件を、言論や表現に関わる重大な「問題」として提起してくださったことに深く感謝しています。

『創』の創刊は1971年ですが、同誌を発行していた会社が休刊を決め、それに納得できなかった篠田編集長らが1982年に創出版を設立し、『創』の発行を続けてきました。篠田編集長は先頃、その30年間についてまとめた『生涯編集者』という著書を上梓しました。

私は2007年8月から『創』で「今日のできごと」というエッセイを連載しています。

今年の5月、篠田編集長から、

「月刊『創』を発行するために創出版を立ち上げて、今年でちょうど30年になります。

苦労の連続で、我ながらよくここまで続いたと思わざるをえません。

ここまで続いたのは、ひとえに皆様のご協力があったからで、本当に感謝しています。

月刊総合誌が次々と休刊になっていくのを見ていて、一緒に休刊するのには何となく抵抗があって、悩みながら続けていますが、さすがにこの2~3年の大変さはこたえています」という文面のメールが届きました。

次号を出すのが精一杯という綱渡りの状況は続き、綱渡りができなくなったら休刊ということになるのでしょうが――、『創』と、篠田博之編集長の輪郭を宿している本書が、ひとりでも多くのひとに読まれることを願ってやみません。》

『創』についてこう書いてくれていた柳さんとの関係が、当方の対応のまずさから今回のようなことになってしまったことが残念でならない。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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