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『光る君へ』が見事に破った「千年の沈黙」

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

紫式部が時代の目撃者だった大河ドラマ

『光る君へ』の総集編でまとめて見て、やはりいい大河ドラマだったとおもう。

あらためて、まひろ(紫式部/吉高由里子)がさまざまな事件の目撃者になっている、というところが、興味深かった。

九州で刀伊の入寇に巻きこまれる

刀伊の入寇というのはこの時代の大事件であるが、ここでは紫式部がその現場に居合わせている。

京の都の北のほう、紫野あたりで暮らしていたはずの彼女が、九州の太宰府に出向き、そこで刀伊に襲撃されるのだ。

あり得ない、と言っても意味がない。

紫式部が太宰府に出向いたから、リアルな外敵侵攻のシーンが描かれている。

京の都にいただけでは、遠くの噂でしかない。

藤原隆家(竜星涼)が活躍した事件だったこともあって、ドラマでヴィヴィッドに描かれた。当時の大事件をリアルに描いたのはとてもよかった。

長徳の変も目撃

ほかにも紫式部は事件を現場で目撃している。

長徳の変の現場も見ていた。

さすがに花山院の誤射シーンを見ていたわけではないが、そのあと検非違使が藤原伊周と隆家を引っ立てるシーンを、庭に潜んで眺めていた。

しかも清少納言(ファーストサマーウイカ)と二人、いわば「しづのめ」のスタイルで(身分の低い下働き女性の格好で)庭に潜んで、木を持ってカムフラージュしつつ眺めていた。

清少納言さんと一緒に私は長徳の変を目撃しました、ということになる。

女流文人との盛んな交流

この、清少納言と紫式部が仲が良かった、というのが『光る君へ』の楽しいところであった。

この2人にかぎらず、この時代の女流文人がみな紫式部と親交を結ぶ。

最後は菅原孝標の娘(ちぐさ/吉柳咲良)が登場して、家を訪れ、源氏の物語がどうおもしろいかを、作者とは知らずまひろ(紫式部)に語り続けるシーンがあった。菅原孝標の娘(更級日記の作者)が源氏物語が大好きだった、ということは古来知られているところである。

また、藤原道綱母や、赤染衛門、和泉式部らと主人公は深く親交を結んでいた。

このへんが楽しかった。

紫式部と清少納言の関係

なかでも、清少納言が、紫式部に「源氏物語」の感想を直接語っているシーンがすごかった。

紫式部に向かって、清少納言に言いたいことを言わせて、千年の鬱憤を晴らしてあげた、という感じがする。

もともと史実として、紫式部は清少納言のことを書き残している。

「紫式部日記」において、和泉式部、赤染衛門、清少納言のことを名指しで書いているのだ。

先の二人はそこそこ誉めているが、清少納言には容赦がない。

「紫式部日記」に書かれている清少納言の悪口

「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人」とあって、つまり清少納言は得意顔でとんでもない人と、書いているのだ。

まったく誉めていない。

定子の女官だった清少納言と、彰子の女官だった紫式部は、つまり同じ一条天皇のべつの后に仕えていたわけで、時代は定子&清少納言が先、彰子&紫式部があとである。

清少納言が「枕草子」で一世を風靡してそのあと、紫式部が「源氏物語」で評判となった。そのころは紫式部は宮中から去っており、いわば宮廷サロンに影響力はない。

紫式部は、すでに去った清少納言の悪口を書いて、そのまま千年経ってしまった。

そのまま残っている。令和の書店で売っている。

清少納言には反論ができない

清少納言は、反論できない。

歴史的には、永遠にその機会がない。

清少納言はその晩年、通りすがりに悪口を言うものに、家を飛び出て鬼のような形相で言い返したという逸話がある。そこでも才気ある返答をしたという話なのだが、そういう言い伝えしかない。

白髪で鬼の形相ながら、それでも才気走ったことを言おうとする、晩年の紫式部の姿ばかりが浮かんでしまう。

「まひろ様は根がお暗い」

でも、令和6年となって、大河ドラマ『光る君へ』で反論の機会があった。

千年の沈黙を破るシーンである。

38話の冒頭だ。

ききょう(清少納言)は、まひろ(紫式部)に直接、「源氏物語」の感想を言う。

「引き込まれました。ああいうものを書くまひろ様は、根がお暗い」とずばり言う。

「光る君は、困った男ですね、そういう困った男を物語のあるじになさって、男のうつけぶりを笑いのめすところなぞまひろ様らしくって……漢籍の知識の深さ、この世の出来事を物語に移し替える巧みさ、お見事でございますわ」

紫式部日記に悪口を書かれて千年経って、清少納言が紫式部にやっと言い返せたんだなあ、としみじみした。

「紫式部日記」に書かれたことも踏まえて、清少納言にきちんと喋らせたところが、この「光る君へ」の素晴らしいところだった。

利口ぶっているが学識は知れたものである

歴史上の紫式部は清少納言のことをこう書いている。

「利口ぶって漢字を書き散らしているが、学識のほどは知れたものである。

 また尖った自分を見せようとして、それはどんどんズレていく。

 風流を気取っているので、何でもないことにさえすごいと驚いてみせて、そうしてどんどん中身が薄くなっていく」

酷評と言っていい。

かなりの痛烈な批判である。たぶん、この時点での清少納言の文名が高く、大物であるだけに、あえて強く書いたのではないだろうが。

しかし書かれっぱなしの清少納言は気の毒である。

令和6年の清少納言の言葉

それに対して令和6年の清少納言の「源氏物語」評は、さきほどの話し言葉をきちんと本音に直すとこうなるだろう。

「物語がそもそも暗い。

 どうしようもない男を主人公にして、男の愚かしさを描いている。

 漢籍の知識を見せびらかしている。

 実際の出来事を物語に入れ込んでいる」

 べつだん誉めていない。

寛弘年間の言葉に千年越えて令和年間に答える

作家は(クリエイター)が自分で使える方法はたったひとつだけである。

清少納言の方法と紫式部の方法はまったく違う。

お互いの方式については、どちらも言いたいことがあるだろう。

紫式部は寛弘年間にそれを言った。

そして、清少納言は、人に推察してもらって、令和になって言葉になった。

それが見られた大河ドラマである。

「お互いたいしたものだった」と称え合う老齢の戦友

最終話、老齢になった清少納言が、老齢になった紫式部の屋敷を訪問してゆっくり語り合っていた。

そこで「お互い、たいしたものだった」と称え合っていた。

『光る君へ』の基本は藤原道長と紫式部の恋愛物語にあったが、また物書きの紫式部と清少納言がお互い戦友のように不思議な距離をもって意識している物語でもあった。

これまで描かれたことのなかった時代を描き、素晴らしい大河ドラマであった。

2025年の大河ドラマは、江戸の安永天明期が舞台で、しっかり見たことのない世界でもある。期待している。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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