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「あほ」の漫才バッテリィズが 「かしこ」漫才の真空ジェシカ・令和ロマンを追い詰める日

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Keizo Mori/アフロ)

「あほ漫才」バッテリィズの底力

2024年のM−1グランプリで、最終決戦に進んだ3組は、令和ロマンと、バッテリィズ、真空ジェシカであった。

バッテリィズの漫才が印象深い。

「あほの漫才」であった。

バッテリィズはエースと寺家(じけ)のコンビである。

永らく途絶えていたあほ漫才の復活

ファーストラウンドでのバッテリィズの漫才のあと、司会の今田耕司は「あほやなあ、エースは」とバッテリィズのツッコミについて評し、オードリー若林は「こむずかしい漫才が増えてくる時代のなかで、なんかわくわくするバカが現れたなあ」と感心していた。

かまいたち山内は「こんなクリティカルなあほ、初めて見たんです」と言い、博多大吉は「永らく途絶えていたこのあほ漫才というか、それをほんと、令和の時代にうまいこと蘇らせたなあ」と感嘆していた。

審査員は絶賛であった。

高学歴漫才師との戦い

ファーストラウンドをバッテリィズはトップ通過した。

最終決戦では令和ロマンに敗れ、しかし真空ジェシカよりは評価されて、2位となった。

(令和ロマン5票、バッテリィズ3票、真空ジェシカ1票)

令和ロマンと真空ジェシカは高学歴漫才師である。

令和ロマンの2人と真空ジェシカの川北が慶応大卒、真空ジェシカのガクが青山学院大卒である。

いまのM−1の真ん中のほうにいるのは「慶応大的なインテリ漫才師」が多いようだ。育ちの良さを感じる空気が受けているのかもしれない。

名前を書いたら受かる高校に落ちた

バッテリィズはそういう有名大卒ではない。

エースのほうは、漫才のネタで「名前を書いたら受かる高校の受験で名前を書き忘れて落ちた」と言われているぐらいで、まあ、それはネタだとしても、経歴は違う。

昭和の芸人はそういうタイプがまだまだいたのだが、たしかに最近は目立たない。

突き刺さる「ホソソソウ」という言葉

バッテリィズの漫才で強く刺さった言葉に「細そそう」がある。

「細そう」ではなく「ホソソソウ」だ。

「ガリレオ・ガリレイっていう人」がいたことを聞いて、エースは「細そそうすぎるやろ! それは!」と驚くのである。

「ガリレオ・ガリレイ? 名前にガリ2こはキツイぞおまえ」と指摘して、度肝を抜かれた。大笑いした。

たしかにガリガリ、細そうだ。

そこで「細そう」に、“そ”を一文字入れて、細そそう、とする言葉の感覚が、勢いだけで喋っている関西の兄ちゃんらしくて、良い。

「細そそすぎる」という言葉のインパクトで心つかまれた。

「あほ」の漫才と「かしこ」の漫才

そのデンでいけば、バッテリィズの「あほの漫才」に対して、真空ジェシカの漫才は「かしこの漫才」と言うことができる。

賢いことを「かしこ」と略すことができるからだ。(たぶんに方言である)

令和ロマンも「かしこの漫才」であるが、「かしこ」の度合いは真空ジェシカのほうが高い。

「かしこ」の漫才の特徴

「かしこ」の漫才の特徴は「知識があったほうが笑える」というところにある。

真空ジェシカの、一本目のネタは「商店街のレポ」であった。

商店街の会長さんとの会話で始まる。

「会長の木野まことです」

「セーラージュピターと同じ名前だ」

「(商店街の特徴として)お客様アンケートを取って、入口から人気の店順に並んでいます」

「少年ジャンプの掲載順と同じだ」

「なので出口のほうに行くと迷走しちゃってるお店がている」

「そこまで(ジャンプに)似せなくていいとおもいますけど」

「(偏った政党のポスターが多い商店街)…じゃんけんをむずかしく……おれだけが幸せになる社会へ!」

「今年の都知事選みたいだな」

ポスターのセリフを川北がいちいちポーズを取って叫ぶのが秀逸であった。

知っているほうが笑える

何も知らなくても笑える。

ただ、セーラームーン戦士の名前や、今年の都知事選の混乱、少年ジャンプの掲載位置について知っていると、より笑える。

ジャンプ掲載がうしろのほうになった作品は、打ち切りから逃れようと迷走しはじめてとんでもない展開になることがあるし、でもそれはすべての作品ではないことがわかっていれば、川北のそのあとの「ジャンプは最後までおもしろいですけどね」でかなり笑ってしまう。

喋っているのはほぼボケの川北

ただこれがさほど気にならなかったのは、川北の手数の多さによる。

川北は息を吐くようにボケを言い続け、喋ってるのはほぼすべてボケであった。しかもかまいたち山内に「強烈な右ストレート」級といわれた渾身のボケである。

勢いで押し込んでくる「かしこ漫才」の本領

数分間に数十のボケを放つもんだから、わかりやすいボケだけではなく、鋭く突き刺すようなボケも混じり、狭いネタも入ってくる。

でも、勢いで押し込まれる。

わからなくても次のボケに巻き込まれるので、その手数の多さに圧倒されてしまう。そういう漫才であった。

まさに「かしこ」の漫才である。

「あほ漫才」は疑義を投げかける

いっぽうの「あほ漫才」はこんなに情報に溢れていない。

逆に当たり前とされている情報に疑義を投げかける。

哲学者は「生きるとか死ぬとかをずっと考えてはる人や」と聞いて、あほのエースは叫ぶ。

「働けよ!」

つづけて

「そんな時間あんねんやったら誰かのために働いてくれ、その人は」

なんか正しい、気がする。

われわれが信じていたものを覆す

ライト兄弟という名前を聞いて「どっちかレフト行けや、誰が兄弟でライト取りあうねん」と言い出す。

ガリレイが「それでも地球はまわっている」と言ったと聞いて「言うてる場合か! もっと足掻けよ」と指摘する。

あほの言葉は、われわれが信じていたものを覆す。

すでにあるものの見直しに迫ってくる。まあ、あほな方向からだけど。

「あほ」の漫才が示す可能性

「かしこ」の漫才を聞くと、さらに情報を得ることができる。

それは令和ロマンの「漢字一文字でリンタロウ、凜々しい太郎と書いて辶で括る、ビャンビャンメン方式」というのも同じだ。新たな情報が増える。

「あほ」の漫才は逆だ。

すでに知っている情報も、それでいいのかと問いかけてくる。

あかんやろそれは、と突きつける。

情報過多の時代に、あほの指摘はその閉塞状況を打ち破ってくれそうな期待を抱かせる。

バッテリィズの躍進は、その期待によるものだろう。底知れぬ可能性を感じてしまう。

バッテリィズのエースの主張はひとつだとおもわれる。

「みんな考えすぎちゃうのん?」

これは人を元気にしてくれる。

バッテリィズの「あほ」が、令和ロマン・真空ジェシカらの「かしこ」を揺さぶりだしたようにみえる。

2025年、「かしこ」の牙城に「あほ」がどこまで迫っていけるのだろうか、いつか追い詰める日が来るかも知れないと、そこが楽しみである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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