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『紅白歌合戦』 53年前の驚く事実 34歳で圧倒的貫禄を示していた大物女性歌手

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

53年ぶりの再放送

昭和46年(1971)の紅白歌合戦が再放送されていた。

令和6年12月14日と15日に分けて放送された。

当時の紅白歌合戦は午後9時から放送開始だった。

いまよりもずいぶん、始まりが遅かった。

ただ、大晦日なので子供も見るのを許されていた家も多かったとおもう。そんな遅い時間のテレビを見られるのはこの日だけだったから、当時の子供はそれだけで興奮した。

「花嫁」を歌ったボーカルの名前を知らない

53年ぶりに紅白歌合戦を見ると、いろいろと驚く。

ちなみに1971年は私は中学2年生で、この紅白をしっかり見ていた。

歌手はさすがに全員覚えている。

岸洋子がこんな顔だったのか、というのが意外だったのと、「花嫁」を歌ったクライマックスのボーカルの女性の名前は(あれだけラジオでよく聞いていたのに)そういえば知らないなというのにおもいいたったくらいである。

昭和時代は紅白歌合戦は2時間45分番組

驚いたのはテンポの良さである。

放送は9時に開始して、11時45分まで。

2時間45分というのは、昭和40年代の番組としては破格に長い番組であった。

でもいまと比べると、ずいぶん短い。

2024年は7時20分から11時45分まで、4時間25分の番組である。

昭和の時代は165分の1.6倍になっている。

大泉洋が司会でも短くなる

そのぶん、遊びがない。

昭和の紅白は、歌と歌の間隔が恐ろしく短い。

一曲が終わると、すぐに次の曲のイントロ部分が流れ出すのも普通であった。

イントロが流れ出すのが先で、そこから司会の宮田輝か水前寺清子が、曲名と歌手を紹介する。何かひとこと付ける。

本当に次々と歌手が出てきて次々と歌うのを見つづけることになる。

司会者も歌手の紹介を、イントロが流れている部分で終えないといけない。

大泉洋が司会をやっても、たぶんこれだと自由に喋れない。

時間通りに進行するはずである。

昭和の歌唱のほうが、タイパが考えられている。

M−1一回戦の規定を守っているみたい

そしてそれは歌手の歌唱時間にも出てくる。

それぞれの歌手の歌が何分何秒だったのかを計った。(テレビ再生で計る手動計測)

恐ろしいくらい、みな、同じ時間で歌っている。

ほぼ全員、2分台、である。

50曲も歌曲の歌唱時間がだいたい同じというのが、すごい。

紅白歌合戦で歌うことが前提ですべての楽曲が作られていたわけではないとおもうのだが、ほぼだいたい2分から2分30秒のあいだで収まっている。

M−1一回戦の規定を守っているみたいだ。

もっとも歌唱が短かったのは和田アキ子

以下、歌唱の短かった順に並べる。

「1分50秒から1分59秒」の歌手

和田アキ子 村田英雄 渚ゆう子 佐良直美 南沙織 本田路津子 菅原洋一 水前寺清子 フランク永井


「2分00秒から2分14秒」の歌手

小柳ルミ子 堺正章 五木ひろし ちあきなおみ 美川憲一 いしだあゆみ 加藤登紀子フォーリーブス 水原弘 ザ・ピーナッツ ピンキーとキラーズ 坂本九 ヒデとロザンナ 鶴岡雅義と東京ロマンチカ

和田アキ子がもっとも歌唱が短かったのだが(それでも迫力は十分であった)彼女はまだ紅白出場2回めであった。新人に近い。

2分30秒以内におさめるのが1971年の紅白

もっともボリュームゾーンが2分15秒から2分30秒である。

「2分15秒から2分30秒」の歌手

千昌夫 雪村いづみ 島倉千代子 尾崎紀世彦 森進一 朝丘雪路 にしきのあきら 伊東ゆかり はしだのりひことクライマックス ダークダックス 北島三郎 橋幸夫 眞帆志ぶき 由紀さおり 弘田三枝子 岸洋子 都はるみ 青江三奈 アイ・ジョージ 舟木一夫 布施明 三波春夫

長かった歌手は5組だけ

2分30秒以上歌唱したのは5人(組)しかいない。

2分33秒 デューク・エイセス 「にっぽんのうた」から

2分37秒 トワ・エ・モワ 「虹と雪のバラード」

2分42秒 藤圭子「みちのく小唄 」

2分50秒 西郷輝彦「掠奪」

それぞれ簡単な企画が一緒なので少し長くなったのだとおもわれる。

デューク・エイセスでは着ぐるみカエルが登場して踊っていた(頭を取って誰だったのかを映すところで次曲に移ってしまい、ついに誰かわからない)。

トワ・エ・モワは、明けて2月に開催される冬季札幌オリンピックのための歌で、NHKはオリンピックに総力協力中で、この曲にも企画たっぷりであった。

藤圭子(宇多田ヒカルママ、当時20歳)は、人気の前川清と結婚したばかりだが彼が病欠となったので、クールファイブの歌まで歌って長くなっている。(翌年離婚しているので見ていていろいろと哀しい)

西郷輝彦は踊りも入ってけっこう趣向が凝らしてあった。

美空ひばりだけ別格扱い

そして1人だけ3分超えの歌手がいる。

美空ひばりである。

一番最後に「この道を行く」を歌って、それが3分25秒である。

あきらかに別格扱いであった。

昭和34年(1959)から15年連続出場中で、大御所感がハンパない。

あまりの貫禄に四十代に見えたが、昭和12年(1937)生まれで、まだ34歳。

ちょっと驚く。

34歳で大貫禄の大御所となった美空ひばりを見ていると、「人生五十年」と言われていた時代の人生の流れが何となく見えてくる。

みんなでルールを守っている

53年前の紅白歌合戦は、みな、歌唱時間がぴしっと揃えられていた。

すべての歌手が、2分台(必ず3分以内)を守っている。

司会者はすごい早口でそれぞれの紹介を済ませていた。

そして、美空ひばりだけ別格扱いされていた。

だから3時間近くずっと歌だけを聞いている、という感覚を持つ。

そこがずいぶん違う。

ルールが決まっているほうが戦いやすい

たぶん本当にM−1一回戦と同じで、必ずこの時間で終わるようにという指令がきっちり出ていて、それをみんなきっちり守っていたということだろう。

まあルールが決まっているほうが戦いやすいってことなのかもしれない。

自分もしっかり生きていたし、記憶もしていた時代だったとおもうのだが、リアルな映像を見せられると、やはりずいぶん遠いところにたどりついたのだと、実感する。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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