【宮城県 東松島市】あなたは気づいていた?あの商店街は松尾芭蕉たちが歩いた道だった [矢本地区]
松尾芭蕉(まつお ばしょう)というと江戸時代の日本文学の巨匠であり、弟子の河合曾良(かわい そら)と共に歩いて旅をした記録「奥の細道」で有名な人物だ。同書物によると2人は約150日間をかけて東京(江戸)から東北、北陸など総距離2,400キロメートルを練り歩いたという(※目安として青森県から山口県までで約1500キロ)。すごいこと!
距離数から考えても単純に『よし、旅に行くか!』と、のらりくらり放浪していた訳ではない。出発の背景には、芭蕉の尊敬する歌人でもあり僧侶の「西行法師(さいぎょう ほうし)」の500回忌という特別な日の存在があった。この特別な日を機に、芭蕉たちは東北各地にある歌枕(※詩に登場する名所など)や遺跡巡りを目的に旅をしたと言われている。
宮城県内では芭蕉一行が訪れた場所として「松島」が有名だが、実は東松島市の矢本地区にある商店街通りにも訪れていたという。その'歴史ある道'を写真と共にご紹介していこう!
JR矢本駅前にある「三角公園」と呼ばれている小さな敷地。この場所を基点として矢本のメイン商店街「メモリータウン商店街」があり、その後に「大町三丁目商店街」と連なるようにして続いているのだが、これらの商店街を芭蕉たちが歩いたというのだ。
当時の芭蕉たちの状況を記録した看板が三角公園内にあり、そこには「歴史の道」として現在の「メモリータウン商店街」と「大町三丁目商店街」を芭蕉と曾良が歩いた旨が記録されている。
看板の説明によると、ちょうど現在(6月)と同じ梅雨の時期に、2人は上記写真の商店街通りを歩いていた。そして「七十七銀行」を通過した後、しばらくすると蒸し暑さから喉が渇いてきたという。そこで通り沿いの家々の門を叩き『湯を飲ませてほしい』と試みたが見事に断られたそうだ。後に『水分補給は叶わなかったが、なんとか無事に石巻まで辿り着くことが出来た』という記録が残っている(※諸説有り)。
当時、汗を流しながら『ふぅふぅ・・』と歩き進んでいった2人の姿を想像しながら、現在の商店街となった道を歩いてみるのも、なかなか乙なもの。芭蕉たちのように『ちょっと湯をもらえないかね?』とは言えないが、道中の自動販売機で冷たい水を購入しながら、ウォーキングを兼ねて歴史の道を味わってみるのは如何だろうか?現在のその道には、老舗の菓子店や宿に食事処など、意外と知らなかった新たな発見があるかもしれないぞ。
名称:歴史の道 ※現在の「メモリータウン商店街」と「大町三丁目商店街」
住所:・メモリータウン商店街:宮城県東松島市矢本上新沼
・大町三丁目商店街:宮城県東松島市矢本大林