シリア:「イスラーム国」は「シリア革命成就」を小ばかにする
シリア・アラブ共和国(以下シリア)の首都ダマスカスに、イスラーム過激派を主力とする反体制派が「入城」、ダマスカスは陥落してアサド大統領は国外に脱出した模様だ。こうした劇的な展開が次に何をもたらすかについては、大いに心配される所だ。また、世界各地でひっそりと活動を続けるアル=カーイダ諸派も、過日紹介したアラビア半島のアル=カーイダに加え、インド亜大陸のアル=カーイダ、イスラーム的マグリブのアル=カーイダとその下部組織のイスラームとムスリム支援団が続々と「勝利」を祝う声明を発表した。まったく相容れない思想・信条に基づくはずの者たちが、手を取り合うかのごとくしてともに「勝利」を祝う変な光景が様々な場所で現れている。そうした心配をよそに(?)、「イスラーム国」が2024年12月5日付の週刊機関誌で相変わらずの唯我独尊ぶりをいかんなく発揮し、「アサド体制の打倒」を小ばかにする論説を掲載した。
論説は、「ヌサイリー体制は今や崩壊した」との書き出しに始まるが、急激な事態の展開は「レバノン合意(注:11月27日発行したレバノンでの停戦合意のことらしい)」後の、シリアからイランを追い出そうとする国際的願望という時間的文脈と、アサド大統領とエルドアン大統領との対話が行き詰まった後で、シリア北部の安全地帯を作って避難民を送還しようとする場所的文脈と無縁ではないと状況を説明する。「イスラーム国」の者位賢くなると、シリアでの情勢の急変がシリアだけのおはなしではなく、より広汎な国際紛争の一場面であることは容易にわかるらしい。また、論説は、トルコがアメリカが率いる国際同盟の主要な駒であり、そのトルコが配下の様々な駒を使っていると指摘する。この主張によれば、各々の駒が支援者や国際的なスポンサーの歓心を買おうと競争し、「イランの手先」と権益を争っているのがシリア紛争の姿だ。
もちろん、「イスラーム国」から見ればシャーム解放機構(旧称ヌスラ戦線。シリアのアル=カーイダ)が率いる「反体制派」の軍事的成功や政権奪取は「勝利」でも何でもない。「イスラーム国」から見れば、シリアの「反体制派」は「サフワート(注:2000年代末に「イスラーム国」の前身組織との抗争の末、アメリカ軍と協調する道を選んだ武装勢力諸派が結成した「覚醒評議会=サフワ」にちなむ、「イスラーム国」に敵対するイスラーム過激派への蔑称)」と呼んで蔑視すべき存在に過ぎない。いわく、サフワート、背教諸機構(注:シャーム解放機構を指すようだ)は、「国際システム」の歓心を買おうと「アラウィー、イスマーイーリー、ヤジーディーのような偶像崇拝の無効な者たちからなる少数派との共生」を唱えるだけでなく、ロシアに対しても「自由のシリアの輝く未来の建設的パートナーになれる」とおべっかを使っている。となると、「イスラーム国」から見た今後の展望は、「アサドのシリア」の後の「自由のシリア」は、ヌサイリーの軛の次の世俗主義トルコの軛に他ならず、不人気な銅像の残骸の後に見栄えのいい別の銅像を建てるだけ、ということになる。実際、シャーム解放機構などのイスラーム過激派諸派は、2023年10月7日以来のパレスチナでの紛争で同胞であるパレスチナのムスリムに対する破壊と殺戮を見ないふりし、2024年9月にイスラエル軍がヒズブッラーの幹部の大半を殺害したのに拍手喝さいを送った。つまり、シリアの大方を占拠したイスラーム過激派は、アメリカやイスラエルに代表される「国際システム」に奉仕する、なんだか変なイスラーム過激派だということなのだろう。
次いで、論説はかつて「イスラーム国」がシリア領の広域を占拠した際は直ちに最大級の「国際同盟」が編成されて「イスラーム国」を妨害したが、これはシリアのイスラーム過激派諸派の進撃が「国際的願望と国際システム」の利益に沿うものだったのに対し、「イスラーム国」の進撃はそうではなかったからだと主張する。そして、「イスラーム国」はこれまでもシリアの砂漠や田舎でヌサイリー体制と闘い続けており、これからも闘いをやめるつもりはないと表明する。そして、暴君どもとの合意や支援者の利益のため、国際諸憲章や法律を適用するために戦うイスラーム過激派諸派とは異なり、「イスラーム国」はムスリムの利益のため、イスラーム法を適用するため闘うのだと主張した。
「イスラーム国」の主張や状況認識が唯我独尊的なものであり、それがどのくらい世論に影響を与えるかはさておき、現在シリアはまさに「未知の状況」を生きることとなった。それは、本邦を含む各国がテロ組織に指定した団体があたかも「独裁からの解放者」のごとく振る舞い、そのテロ組織の首領(こちらも本邦を含む各国の制裁対象)が「自由のシリア」の指導者然として大手報道機関に奉られる、まさに規範や価値観が倒錯した世界だ。この倒錯は、2012年~2016年頃の、シリア政府とその同盟者(イランやヒズブッラーやロシア)をたたく限り、イスラーム過激派の活動を放任・奨励するという、「テロとの戦い」を名実ともに破綻させ、「イスラーム国」の増長を招いたかつての光景とよく似ている。これまでのイスラーム過激派観察から得られた経験や教訓に鑑みると、これから先のシリアでは「自由・尊厳・平等」が保障された民主的な社会になるよりも、イスラーム過激派が増長を極める「清く正しく美しい」イスラーム的生活になる可能性が高そうだ。