Yahoo!ニュース

「イスラーム国」の声明の読み方

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

「イスラーム国」の犯行声明

2015年10月3日に、バングラデシュで日本人が殺害され、「イスラーム国 バングラデシュ」名義で犯行声明が発表された。この事件のおよそ1週間前には、バングラデシュでイタリア人が殺害される事件が発生、やはり「イスラーム国 バングラデシュ」名義の犯行声明が出ている。いずれの事件でも、声明は「十字軍同盟諸国の国民はイスラームの地で安全に過ごすことはできない」旨主張し、攻撃が続くと予告している。

これらの声明について、報道機関で「「イスラーム国」名義の声明が出されたが、内容の信憑性は未確認」と報じられている。この歯切れの悪い表現ぶりが一体何を意味するのか、すっきりしない気持ちとなった読者・視聴者も多かったことだろう。なぜそうなったのかについて結論から言うならば、バングラデシュの事件に限らず、「イスラーム国」などが発信する声明類は、「声明が本物である」ことと、「声明の内容が事実である」こととは全く別問題であるということだ。そして、「声明の内容が事実である」ことは、その製作者自身が立証しなくてはならない。このような状態になっているのは、「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派諸派の広報のやり方と、それをどのように読解・分析するかという技術的な問題に原因がある。

イスラーム過激派を、暫定的に「イスラームの規律によって政治・社会などの諸分野で秩序を樹立し、これを実現する手段は専ら武装闘争とする」個人や団体と定義するとしよう。これに従うと、イスラーム過激派は彼らの政治的目標を達成するために暴力を用いる、すなわち政治的行動の様式としてテロリズムを採用していることになる。どのような思想・信条を信奉しようが、テロリズムを行動様式として採用する主体にとっては、テロ行為は自らの政治目標を達成したり、政治的主張を世の中に広く知らしめたりする手段である。そうなると、彼らの軍事行動は破壊と殺戮だけでなく、社会的反響を呼ぶことが重要な目標となる。従って、テロ行為の成功・失敗を判断する尺度は、破壊や殺戮の量・質ではなく、その作戦について報道機関が費やした時間や紙面の量になる。どんなに大規模な戦果を上げても、その作戦と作戦実行者の政治的主張について全く報道されないならば、テロ行為はむしろ失敗したといえる。「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派諸派が、広報部門を整備し、声明や動画を熱心に発表するのは、軍事行動や戦果にかこつけて自らの主義主張を世に知らしめるためである。

インターネットの世界は、イスラーム過激派の広報活動にとって非常に重要な場となってきた。報道機関や記者らに文書や動画を送りつけるという伝統的な手法では、報道機関の編集方針などの制約により、全てが報じられるわけではなく、テロ組織のメッセージや意図が正確に伝わらない可能性が高い。これに対し、いったんネット上でファイルをアップロードしてしまえば、誰でも声明の全文、動画の全てを入手すること、すなわち製作者のメッセージの全てを伝えることが可能となる。ところが、インターネット上での広報が盛んになると、画像や動画の加工技術を用いてほかの組織の作戦映像などを剽窃したり、全くの架空の団体を名乗って虚偽の犯行声明を発表したりする者が相次いだ。これは、イスラーム過激派全体の広報の信頼性にかかわる重大な問題であった。そこで、彼らは声明などを発表する場を少数の会員制のサイトに限定し、投稿者・閲覧者の身許をある程度管理するようになった。個々のイスラーム過激派組織も、広報部門や組織のロゴを整備し、発信元を限定することによって騙りや剽窃を防止しようとした。また、掲示板サイトなどの管理者・閲覧者たちも、虚偽の書き込みや剽窃に対する監視・検証を行い、そうした行為に手を染める投稿者を積極的に排撃するようになった。こうした活動の結果、現在では「どのサイトにどのような名義で発信されるか」によって、「声明が本物か否か」をほぼ確実に判断できるようになった。このため、何かの事件が発生した際に、SNSサイトを総ざらいするようにして事件についての書き込みを探し回り、関連する書き込みを一刻も早く探し出して「犯行声明」として捕捉するという手法は、全く無関係のいたずら書きの類まで閲覧する羽目になる、労多くして益の少ない作業に終わりかねないのである。

信憑性の立証は製作者側の責任

一方、「声明が本物である」ことと、「声明の内容が事実である」ことは全くの別問題である。イスラーム過激派として確かな活動実績と威信を持つ組織でも、客観的事実を全く反映しない声明や動画を発表することはざらにある。「声明の内容が事実である」ことを裏付ける責任は専ら製作者側にあり、例えば自爆攻撃の場合ならば捜査当局が発表する前に自爆犯の身許や映像を発表すること、誘拐事件ならば誘拐被害者の映像・画像を発表して声明の内容を裏付けなくてはならないのである。そうなると、事実の裏付けを欠く犯行声明の類は、全面的に信用できないということになり、バングラデシュの事件でのように「「イスラーム国」名義の声明が出されたが、内容の信憑性は未確認」という判断をせざるを得なくなるのである。バングラデシュに「イスラーム国」の活動家や組織が確固たる形で存在するならば、それほど間をおかずに襲撃の模様を撮影した動画や、襲撃の意図をより明瞭に説明したり、敵対者を強烈に脅迫したりする映像を発表することになるだろう。

そうはいっても、日本人が「「イスラーム国」を攻撃する十字軍同盟諸国の国民」として襲撃され、「十字軍同盟諸国の国民」に対して攻撃が続くと予告・脅迫があったことは紛れもない事実である。これをどのように解釈し、どう対処すべきなのだろうか。ここでは、「声明類で表明された以上の解釈や想像はしない」ことが重要である。イスラーム過激派が日本を「十字軍同盟の一員」として敵視する態度は、2003年のイラク戦争以来はっきりしていたことなので、今更イスラーム過激派の攻撃対象となったことに狼狽したり衝撃を受けたりするようでは何とも認識が甘い。しかも、今般の声明では日本はあくまで「十字軍同盟の一員」と位置付けられており、「最優先の敵、諸悪の根源」のような位置づけで攻撃・脅迫されるアメリカのような存在とは異なる。2013年1月にアルジェリアで発生したガスプラント襲撃事件では、日本人が多数犠牲になったことから「日本だからこそ狙われた」との受け止めもあった。しかし、実際には襲撃犯側が日本の権益を狙ったという意図を表明しなかったし、2015年に出回った襲撃犯側の総括報告書では、「日本」という単語そのものが一度も現れなかったため、襲撃犯にとっては作戦の準備・実施・総括段階で日本が全く眼中になかったことが判明した。要するに、この種の襲撃事件への反応としては、イスラーム過激派の意図や狙いを忖度して恐慌状態に陥るようなことがないこと、襲撃犯の側に事実関係の立証や意図の説明をさせるよう仕向けることが重要になるのである。

イスラーム過激派が政治的行動としてテロリズムを採用しているという事実に鑑みれば、今後彼らが積極的に日本権益を攻撃するか否かは、日本社会がイスラーム過激派の引き起こす事件にどう反応するかにかかっている。つまり、襲撃事件が大きな反響を呼び、大々的に報じられるのであれば、襲撃する側にとって大きな政治的効果が見込めるため、日本権益をさらに襲撃しようという誘因は強まる。反対に、事件についての報道ぶりや反応が、イスラーム過激派にとってさして政治的効果を上げない程度にとどまるのなら、わざわざ日本人や日本権益を探し出してまで襲撃しようという誘因は弱まる。「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派の広報を、テロリズムという人類の普遍的な政治行動として読むことにより、彼らの性質の別の側面が見えてくることだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

髙岡豊の最近の記事