このまま「働き方改革」を進めれば、プライベート時間に仕事をする人が急増する理由
「働き方改革」という言葉を勘違いしていないか?
現在、ちまたで使われている「働き方改革」という考えを推し進めることによって、あたかも「ワークライフバランス」が実現すると考えている人がいるとしたら、おめでたいとしか言いようがありません。
「働き方改革」は、優秀な人材を確保することを目的としています。育児や介護に時間をとられる人に「在宅勤務」や「テレワーク」などは、新たな労働の機会を与えることができます。そのため企業側は人材流出を阻止できるメリットを受けます。
ところが、「働き方改革」の考えを、間違えて受け止めているのか、拡大解釈している企業が多くあります。通常勤務できる人にまで、時間と空間を自由に使って働いてよいと方針を打ち出す企業のことです。
オフィスで働いてもいいし、在宅でも構わない。カフェで好きな音楽を聴きながら、上司の目など気にせず働いてもいいとする方針です。朝9時にオフィスに出勤し、夕方6時まで働くことができる従業員に、あえて「働き方改革」を促す理由は何でしょうか? そういう自由な働き方に憧れる若い人材を採用するためのイメージ戦略でしょうか。
自由に働いたら、プライベートの時間まで働かなくてはならなくなる
たとえば1日に働かなければならない時間が「7時間」あったとして、この時間を、家とかカフェで果たして確保できるでしょうか。断言しますが、確保などできません。ということは、結局は夜であったり、休日など、プライベートの時間を犠牲にしないと、それだけの労働をこなすことができないのです。結果的にワークライフバランスは崩れます。
もしオフィスで「7時間」かかっている仕事を、家とかカフェでやると「4時間」で終了するというのでしたら、単純にオフィスでの仕事の生産性が悪いだけです。オフィスにいると、必ず誰か邪魔する人が出現するとか、意味もない会議に付き合わされて自分の仕事に集中できないとか、そういうことでしょう。それなら、その問題を解決することが先決です。働く場所や時間帯を自由に選択できるようにすることが解決策ではありません。
また、そうでもないのに、自由な時間、自由な場所で1日「4時間」や「5時間」働いても会社から求められる成果を出せるというのであれば、もともと、それほど仕事の量がなかった、ということです。現実的には、こちらが多いことでしょう。自由に働く時間と場所を決められる仕事はホワイトカラーに限られます。会社にいると、あたかも「仕事をしている風に見える」だけで、実際はそれほど密度の濃い仕事をしているわけではありません。日本のホワイトカラーの生産性は極めて低いと言われるゆえんです。
仕事の生産性を上げるには、自由を奪ったほうがいい
普通、仕事のパフォーマンスを上げるためには適度な緊張感が必要です。これは「ヤーキーズ・ドットソンの法則」でも言われていること。組織において理想的な空気は「締まった空気」であり、過小なストレスしかかからない「緩んだ空気」も、過剰なストレスが与えられる「締めつけられた空気」もよくありません。
一般的な企業は、身だしなみ(服装や髪型)や業務時間、働く場所に関する統一ルールが設定されています。そこで働く人たちのパフォーマンスが上がるように、適度な緊張感を与えるためです。働く場所を自由にしてもよいという方針は、身だしなみ、時間、場所といった制限事項がなくなるため、かなり緊張感のない「職場」で働くことになります。
こういったルールが必要のない人は、自分自身で「締まった空気」を作ることができる人です。自分を律することができる人、適度に自己マネジメントができる人に限られます。このような働き方が多くの企業でも有効かというと、私の意見は懐疑的です。「性善説」のみでマネジメントができるのであれば苦労しないからです。
「ワークライフバランス」は、仕事は仕事、プライベートはプライベートと集中することで実現します。自由にすればするほど、ワークとライフが境界を超えて混ざり合い、バランスを悪くし、それぞれの時間を有益に使うことができなくなります。
家庭環境などによって、やむを得ない方はともかく、朝から夕方まで通常勤務できる人にまで「働き方改革」を勧める必要はありません。