2021年も見たい、F1の番狂わせ!ガスリーだけじゃないF1大金星・優勝の歴史
2020年のF1は予想通り、ルイス・ハミルトン(メルセデス)の独走シーズンとなったが、面白かったのはピエール・ガスリー(アルファタウリ)やセルジオ・ペレス(レーシングポイント)など中堅チームに所属するドライバーたちが番狂わせの優勝を見せてくれたことだろう。
メルセデス、フェラーリ、ルノー、ホンダのパワーユニット供給メーカーがそれぞれのワークスチーム、ワークス待遇のチームを持つ中で、優勝を飾れるチームというのは以前よりも限定されている。プライベーターには番狂わせ、ジャイアントキリングなどのチャンスは無縁ほぼ。マシントラブルが少ない現代では、まず想定できないことだった。
しかし、不思議なものでこういうサプライズは稀に起こる。今回はその代表的な例をご紹介しよう。
無限・ホンダと共に優勝したパニス
F1のジャイアントキリングの歴史とは言っても、同じF1でも状況は大きく異なる。
マシンの信頼性が低かった1950年代、60年代は完走すること自体が大変だったし、1965年のメキシコGPでホンダが参戦2年目ながら優勝を飾ったことは当時としては大金星と言える例だろう。
1970年代にはチーム(コンストラクター間)の車体開発競争が過熱し、勢力図は拮抗する。しかし、1980年代になってターボ時代の到来と共に自動車メーカーが積極的にF1に関与し始めると、自動車メーカーの息がかかったチーム以外のプライベートチームが優勝を飾るチャンスはほぼ皆無に等しくなっていった。
マクラーレン・ホンダ、ウィリアムズ・ルノーなど最強チームが台頭した1990年代はトップチームと中堅チーム、弱小チームで完全に階層が分かれていたと言える。
そんな状況をブレイクスルーしたのが1996年のオリビエ・パニス(リジェ・無限ホンダ)。年間ランキング5位か6位あたりをうろついている中堅チームだった「リジェ」のフランス人ドライバー、パニスが1996年のモナコGPでキャリア初優勝を飾ったのだ。
パニスは雨の決勝レースを中段の14番手からスタートするが、最初から燃料を多く積んだ状態でレースをスタート。雨の中、クラッシュも続出する中、パニスは安定した走りで追い上げ、デイモン・ヒル(ウィリアムズ)、ジャン・アレジ(ベネトン)らのリタイアにも助けられ、サバイバルレースを制した。
1992年でホンダはF1から撤退したものの、無限ホンダとしてエンジン供給を続けていた。そして無限は1995年にフランスの中堅チーム「リジェ」と組み、3000cc・V10エンジンを開発して供給。無限ホンダとしての初優勝をもたらしたのが、オリビエ・パニスだった。
2020年、ピエール・ガスリー(アルファタウリ・ホンダ)がイタリアGPで優勝を飾ったが、フランス人ドライバーのF1優勝はなんとパニスのモナコGPでの勝利以来24年ぶり。フランス人ドライバーがホンダと組む中堅チームで優勝という不思議な共通点があり、日本のファンにとっては今後も忘れられない大金星になるだろう。
パニスにとってはF1で唯一の勝利だったが、パニスはその後もBAR・ホンダ、トヨタから参戦したりと日本に何かと縁のあるドライバーとして活躍した。
元世界王者がジョーダンで優勝
「リジェ・無限ホンダ」でパニスが優勝したものの、1996年、97年はその一例を除いては、ウィリアムズ、マクラーレン、フェラーリ、ベネトンのいわゆる4強が優勝した。
次にジャイアントキリングが起こったのは1998年。そのドライバーとなったのは1996年に父グラハム・ヒルと親子2代でワールドチャンピオンになったデーモン・ヒル。
ヒルは90年代の最強チーム「ウィリアムズ」でテストドライバーを務め、1993年にアラン・プロストのチームメイトになるが、F1では大した実績がなかったせいで、「チームに恵まれているだけ」という印象を拭えずにいた。
しかし、アラン・プロストの引退、アイルトン・セナの死去後はチームのエースとしてミハエル・シューマッハ(ベネトン)のライバルとなり、ワールドチャンピオンを争うようになる。そして1996年には8勝を挙げてワールドチャンピオンに輝くが、「ウィリアムズ」はヒルを放出。1997年、ヒルは下位チームの「アロウズ・ヤマハ」に移籍した。
「アロウズ・ヤマハ」で2位表彰台を獲得したヒルは翌1998年、「ジョーダン・無限ホンダ」に移籍。ジョーダンは1991年から参戦する中堅チームで、ヤマハやプジョーと組むものの、4強チームに食い込むには至らず仕舞いだった。
そんなジョーダンでヒルが優勝した。今もF1史上に残る伝説のレースとなっている1998年ベルギーGP。このレースはスタート直後に12台が絡み合う多重クラッシュが発生し、カオスとなったレースだ。その引き金となったのは4番手スタートのデビッド・クルサードで、デイモン・ヒルは3番手スタートで多重クラッシュに巻き込まれずに切り抜けた。
セーフティカー解除後のリスタートでトップに立ったヒルは2度のセーフティーカーが入った波乱のレースで優勝。チームメイトのラルフ・シューマッハも2位でフィニッシュし、ジョーダンは参戦8シーズン目にしての初優勝が1-2フィニッシュに。そしてコンストラクターズランキング4位を獲得してジョーダンはついに4強入りを果たしたのだった。
雨で大波乱のレースであったが、デイモン・ヒルはアロウズでの2位、ジョーダンでの優勝という大金星レースをやってのけ、マシンとチームが良かったからだけでワールドチャンピオンになれたのではない、ということを証明。
ヒルはデビューが30代と遅かったこともあり、1999年に僅か8シーズンで引退するが、F1の酸いも甘いも知る存在として引退後はイギリスのF1中継で解説を務めた。
そして、2020年のサヒールGPでセルジオ・ペレス(レーシングポイント・メルセデス)が大金星の優勝を飾ったが、レーシングポイントは元を辿ればジョーダンだ。
2005年を最後にジョーダンが身売りし、ミッドランド(2006年)、スパイカー(2007年)、フォースインディア(2008年〜2018年)とオーナーが変わってきたチームであり、20年以上の時を経てまたも大金星をあげたことになる。2021年からはアストンマーティンに生まれ変わるが、セバスチャン・ベッテルが加入し、強豪として認識される存在になっていくのだろうか。
ベッテルの出世レース、本家よりも先
アストンマーティンのエースとなるベッテルもF1大金星を成し遂げたドライバーだ。
2006年、BMWザウバーのテストドライバーを経て、2007年途中からレッドブル育成チーム「トロロッソ・フェラーリ」のレギュラーとなったベッテルは、中国GPでは4位入賞を果たすなど、当時から光るものがあったドライバーだった。
とはいえ、チームはイタリアの「トロロッソ」。レッドブルに買収されるまでは弱小チームの代表的存在だったミナルディである。優勝とは縁遠い体制だった。
しかし、2008年シーズン途中からトロロッソにはエイドリアン・ニューウェイがデザインした新型マシン「STR3」が投入され、セバスチャン・ベッテルは上位入賞の常連になっていく。そして、雨の第14戦・イタリアGPでベッテルはポールポジションを獲得し、雨の決勝レースでもトップを守りきり初優勝。当時としては史上最年少の優勝だった。
自動車メーカー系ワークスチーム全盛の2000年代に前年コンストラクターズランキング7位(ポイント剥奪チームを入れると8位)のチームで優勝したことは当時、衝撃的なジャイアントキリングだった。しかも、メインチームの「レッドブル」よりも先に「トロロッソ」は優勝したのだ。
その2008年に世界はリーマンショックが発生し、自動車メーカーを取り巻く財政環境は悪化。ホンダをはじめ多くの自動車メーカーがF1を去った後はセバスチャン・ベッテル率いる「レッドブル」がF1の勢力図を塗り替えていくことになる。
そして、「トロロッソ」は2020年から「アルファタウリ」と名前を変えたが、12年ぶりにピエール・ガスリーと共に同じイタリアGP(モンツァ)で優勝を飾ることになった。
中堅チームが優勝した大金星を1996年、1998年、2008年と3つご紹介したが、あとはすでに中堅チームに陥落していたウィリアムズでパストール・マルドナドが優勝した2012年のスペインGPが挙げられるくらい。F1での大金星・優勝はやたらめったら起こることではない。
ただ、2020年はそれが2回も起こったのだ。レギュレーションの変更がほとんどない2021年も勢力図は大きく変わらないと考えられるが、コロナ禍はまだおさまっておらず、スケジュール面でも混乱はありそうな雲行き。2021年も波乱が多いシーズンになる可能性は充分あるので、2020年のような大金星・優勝のサプライズがあることを期待したい。
それが「アルファタウリ・ホンダ」からF1デビューする角田裕毅(つのだ・ゆうき)に起こったりしたら。。。そんな初夢が見れる明るい新年を迎えたいものだ。