軍事オタク宮崎駿の少年時代
宮崎駿監督最新作の「風立ちぬ」、公開から早一ヶ月が経ちましたが、皆様ご覧になりましたでしょうか? 私もこの前観ましたが、技術者の夢と戦争、現実と幻想などが入り混じりつつ、情緒的な雰囲気を出していた良い映画でした。
ところで、「風立ちぬ」が零戦設計者の堀越二郎の話、また「紅の豚」が飛行艇乗りの賞金稼ぎの話だったことからも分かるように、宮崎駿はかなりの軍事オタクです。それでいて平和主義者でもあるのですから、自身の思想と趣味にとてつもない矛盾を抱えた、恐ろしく業が深い人です。
こんな業を抱える前、若き日の宮崎少年はどんな人物だったんでしょうか。それを窺わせるものが、ネット上で話題になったことがありました。若き日の宮崎駿(17歳)の「世界の艦船」誌読者欄への投稿です。
この投稿は「世界の艦船」1958年5月号の読者欄に掲載されたものです。この投稿がネット上で話題になった時は、この部分しか出まわっておらず、何故宮崎少年がこれを書き、その後どうなったのかの経緯は明らかにされていませんでした。
今回は、宮崎少年がこの投稿を書いた背景と、その後の展開についてご紹介したいと思います。
世界の艦船創刊と宮崎少年の投稿
戦後日本で初めての艦船総合雑誌、「世界の艦船」が創刊されたのは、1957年8月でした。宮崎駿が初めて投稿したのは、1958年5月号ですから、かなり初期からの読者になります。当時、世界の艦船は発行部数も少なく、地方では手に入りづらかったそうで、読者や投稿欄には筋金入りのマニアが集っていました。
当時の読者投稿欄を見ると多彩な顔ぶれで、中学生から旧軍人ら、様々な人物が投稿していました。著名な投稿者には、堀元美(海軍技術中佐。空母・駆逐艦の設計に従事)、黛治夫(海軍大佐。戦艦大和副長)、小松崎茂(イスラストレーター)などがおり、非常に活況に満ちておりました。
本文記事でも、旧軍人や現役の技術者らによる投稿が行われており、1958年4月号には、防衛庁技術研究所第五部(現・防衛省技術研究本部艦艇装備研究所)の丹羽誠一氏による投稿論文「魚雷艇の話 その価値と効用」がありました。宮崎少年が投稿するきっかけになった論文です。
論文全体は長いので、趣旨を以下にあげてみましょう。
- 現在(1958年時点)の日本の情勢は、領土等が日清日露戦争の時代と著しく似ている。
- 平和憲法により他国に脅威を与える軍備は持てないし、持つための財源もない。
- 第二次大戦の戦訓(多くの事例を提示)に基づけば、魚雷艇は多目的に使え価値は高い。
- 魚雷艇は小型で経済的(安い)である。
- 魚雷艇は機敏なため、意外と航空機からの攻撃に強い。
- よって、我が国における魚雷艇の価値を再考すべきではないか。
以上のような、日本の防衛における魚雷艇の価値を再評価すべきではないか、問いかけの論文でした。魚雷艇とは高速ボートに威力の高い魚雷を搭載し、高速で大型艦に接近して、魚雷で攻撃する小型の軍艦の事です。
しかしながら、魚雷艇はあくまで補助的な軍艦であり、戦後の海上自衛隊では重視していませんでした。この現状に対して、丹羽氏は魚雷艇は経済的で様々な用途に使えると論文で主張したのです。
この論文に対し、宮崎駿少年は先の投稿で疑問を呈する訳です。
以下に書き起こしてみましょう。
ちょっと長いですね。難しい用語も使っているので、宮崎少年の疑問を要約してみましょう。
- これからの魚雷艇の価値を論じるのに、二次大戦の戦訓をあげるのは不合理でないか?
- 魚雷艇の装備で、急激に進歩する航空機に対抗できるのか?
- 魚雷艇は大量の熱を出すので、熱線追尾式空対艦ミサイル(ASM)に追尾されやすく、魚雷艇は航空機からの攻撃に強いとは言えないのではないか?
- 小さい魚雷艇に対空ミサイルを積めば、魚雷艇は大型化してしまい、小型のメリットが無くなるのではないか?
- 敵航空機の優勢な局地では、魚雷艇の経済性は成立しないのではないか。
- むしろ、魚雷艇は沿岸の潜水艦対策に注力すべきではないか。
以上が宮崎少年の疑問です。防衛庁職員の論文に対して、17歳の少年が疑問を投げかけているのです。
この宮崎少年の疑問に対し、1958年6月号に丹羽氏より回答がありました。
丹羽氏からの回答
この回答も長い長い。丹羽氏の回答のポイントも要約しましょう。
- 第二次大戦の戦訓のみに基づくのは不合理という指摘はもっとも。
- ただ、新型兵器は性能が公表されず、魚雷艇は兵装を変えることができるので、やむなく2次大戦の戦訓を用いた。
- 魚雷艇は大量の熱を出すので熱線ホーミングミサイルに狙われるという指摘だが、魚雷艇の排気熱は40℃まで冷却して排出されるので、その指摘は当たらない。
- 魚雷艇の装備もまた新しいものに切りかえることができる。
- 魚雷艇に積む艦対空ミサイルは、DDG(ミサイル搭載護衛艦)のミサイルよりも小さなもので良いので、重量増には繋がらない。
- 魚雷艇の相手は大型艦ではなく、駆逐艦以下の小型艦が相手になるので、魚雷では不経済。魚雷艇にロケットやミサイル等の兵器を搭載することで、従来より遠距離から攻撃が可能になる。
丹羽氏は戦訓の引用例が不適切であることは認めたものの、宮崎少年の熱線誘導ミサイルに魚雷艇は弱いのではないかという指摘に具体例を挙げて反論し、また魚雷にこだわらず魚雷艇に様々な新装備を積むことによる可能性について言及しています。
ところで、この魚雷艇のあるべく姿を巡って2人は議論しているわけですが、現実はどうなったでしょうか? 答えから言ってしまうと、2人共微妙に外して微妙に当たっています。
そもそも、魚雷艇という艦種自体が、今現在は絶滅危惧種です。少なくとも、1990年代に自衛隊から魚雷艇は消え、ミサイル艇に変わりました。丹羽氏は魚雷に拘っているわけではなく、ミサイル等のより適した装備を積めば良いとしているので、この点で言えば当たっています。
しかし、宮崎少年は敵航空勢力下で活動ができるのか? と疑問を呈しています。これは宮崎少年の言うとおりで、今現在のミサイル艇は、ほぼ対空攻撃能力を諦めています。現代の空対艦ミサイルの射程距離は、100キロメートル以上にまで長射程化しており、小さすぎるミサイル艇では、長距離から攻撃してくる航空機に対抗できる対空ミサイルを搭載できないからです。この点は宮崎少年の言う通りになりました。
宮崎少年の再反論
丹羽氏の回答に対し、宮崎少年は1958年8月号で反論を試みます。
この負けず嫌いで食い下がるところ、いかにも若いマニアっぽくて既視感あります。皆こうだったよね?
さて、この反論での宮崎少年の言い分はこうです。
- 魚雷艇の熱線放射の件に関しては不勉強でした。
- しかし、熱線追尾以外の誘導方式のミサイルでも魚雷艇には命中する。
- 魚雷艇にAAM(空対空ミサイル)を改造して搭載しても、航空機の方が遥かに速いので魚雷艇は不利である。
- 魚雷に特化したからこそ魚雷艇は成功したのであって、今までの戦果があったのは、相手側にハンディがあったからではないか。
- 魚雷が不経済という理由で他の装備を積んでしまったら、もし相手が同じ装備を積んできたら魚雷艇の優位性は無くなってしまう。
- 敵制空圏下での戦闘は、小型原爆に耐えられる基地が必要になる。経済的に有利という理由だけで魚雷艇を大量配備するなら、核攻撃に耐えられる基地をその分用意しなければならないだろう。
この宮崎少年の指摘はまさにその通りで、前述した通り、敵制空権下での魚雷艇(ミサイル艇)は困難が伴い、湾岸戦争ではイラク軍のミサイル艇が一方的に米軍攻撃機に撃破されました。宮崎少年が敵制空権下に加え、核攻撃下での作戦行動を想定しているところは、これが書かれたのが冷戦の真っ最中であることを窺わせます。
もっとも、先に述べたようにこの後に魚雷艇は姿を消し、ミサイル艇に変わることになります。そういう意味で、宮崎少年の5番目の指摘は外れた事になります。小さくて安いミサイル艇は、途上国を中心に今でも使われています。
宮崎少年と丹羽氏が議論から9年後の1967年、イスラエル駆逐艦エイラートがエジプト海軍のミサイル艇のミサイルにより撃沈されたエイラート事件が発生し、ミサイル艇は水上艦艇に対しては、一定の効果があることが認識されました。
しかし、現代におけるミサイル艇は、途上国が経済的理由により配備したという要素が強く、中東戦争でのミサイル艇同士の小競り合いがその主な戦例なのもそれを裏付けます。そして、レーダーを搭載した近代的駆逐艦に対して、ミサイル艇・魚雷艇の価値は大きく損なわれています。2008年のグルジア紛争で、グルジアのミサイル艇がロシア艦隊に攻撃を仕掛けましたが、戦果なく撃退されています。
じゃあ、今の自衛隊が装備しているミサイル艇はなんなんだ、と言うと、海上警備目的の要素が強く、不審船対策等の多用途性が求められて、はやぶさ型ミサイル艇は建造されました。その意味では、丹羽氏が主張する多目的性が認められた形になります。
1人はマニアの学生、1人は本職の研究者が、魚雷艇のあるべき姿について意見を戦わせていたわけですが、 結局2人共微妙に当たって微妙に外れていたところに、未来予測の難しさがあるのかもしれません。
ちなみに、 「当局者ならびに読者の方々のご意見をも期待しています。」と結んだ宮崎少年ですが、この後の読者投稿欄における魚雷艇議論は確認できませんでした。「このガキ、理屈ばかりコネやがって」とでも思われたのではないでしょうか。
三つ子の魂百まで、とはよく言ったものです。
※この記事は、ブログ記事dragoner.ねっと: 「ミリオタ宮崎駿の少年時代」をYahoo!ニュース個人向けに再編したものです。