首相が誰であっても拉致問題の解決は容易ではない
拉致問題での北朝鮮の「壁は」厚すぎる。こじ開けるのは不可能に近い。
岸田文雄首相が何とか突破しようと試みたが、金正恩(キム・ジョンウン)総書記の妹、金与正(キム・ヨジョン)副部長にあっさりと跳ね返されてしまった。岸田首相でなくても、誰が首相であっても同じ目に遭っていただろう。
電撃的な平壌訪問で北朝鮮に拉致を認めさせ、5人の拉致被害者を取り戻した小泉純一郎政権から岸田文雄政権まで政権が9度変わり、その間、自民党から民主党に政権が交代した時期もあったが、小泉政権以降の歴代首相は「拉致問題の一刻も早い解決を図りたい」(安部晋三首相)、「私の手で拉致問題を解決したい」(福田康夫首相)、「拉致問題は時間との勝負だ。答えを急いで出したい」(麻生太郎首相)と、いずれも解決に向けて決意表明していたが、残念なことに成果を出せなかった。
民主党政権下でも同様で「拉致問題で積極的に取り組むところをお見せしたい」(鳩山由紀夫首相)、「国の責任において、すべての拉致被害者の一刻も早い帰国に向けて全力を尽くす」(管直人首相)、「政府一丸となって取り組み、解決する」(野田佳彦首相)と啖呵を切ってみせたものの掛け声倒れで終わってしまった。いずれも日本が「拉致の首謀者」とみなしていた金正日(キム・ジョンイル)政権の時代のことである。
金正日氏が2011年12月に急死し、金正恩政権が2012年に発足した時は日本国内で「拉致被害者は一人もいない」との父の「言葉」を撤回するのではと期待する向きがあった。速い話、「息子がその責任を父親に負わせれば、解決できる」との楽観論だった。正恩氏が生れたのは1984年1月で、政府が認定した拉致被害者はいずれも1977年から1983年に掛けて北朝鮮に拉致されていることからそうした期待を抱くのは当然かもしれない。
折しも日本でも政権が交代し、再び安倍晋三首相がカムバックし、以後、菅義偉首相、そして岸田文雄首相に政権が引き継がれたが、この間、金正恩政権が応じたのは唯一、拉致被害者の再調査(2014年)のみだった。しかも、その再調査も不調に終わった。日本が求めるような「回答」ではなかった。
それ以降も安倍首相も菅首相も北朝鮮が求めている過去の清算や国交正常化に言及しながら「相互不信の殻を破り、新たなスタートを切って、金正恩委員長と直接向き合う用意がある」と無条件対話を再三、呼び掛けてきたが、北朝鮮からはなしのつぶてだった。
その意味では、金総書記が今年1月6日に岸田首相宛てに「日本国総理大臣岸田文雄閣下」と呼称し、能登震災へのお見舞い電報を送り、続いて妹の金与正副部長が2月15日に「すでに解決した拉致問題を両国関係の展望の障害物として置きさえしなければ、両国が近づけない理由はない。(岸田)首相が平壌を訪問する日が来ることもあり得る」との談話を出したのは大きな変化だった。拉致被害者の横田めぐみさんの母、早紀江さんが「岸田首相と金総書記との間にちょっと希望を持っている。岸田首相の間に必ず(交渉を)動かしてほしい」と、期待を表明したのも無理もなかった、しかし、昨日(26日)の金与正氏の「日本側とのいかなる接触も、交渉も拒否する」との一言ですべて無に帰したようだ。
与正氏が前日(25日)に「異なるルートを通じて可能な限り早いうちに(金正恩総書記に)直接会いたいとの意向を(岸田首相が)伝えてきた」と、日本からのアプローチを暴露する談話を出していたことからこうした結末は予想していた。というのも韓国との関係でも保守の李明博政権や朴槿恵政権が南北首脳会談を模索し、北朝鮮に秘密裏に働きかけたことがあったが、北朝鮮がそのことを暴露してしまい、結果として李ー朴政権下では首脳会談は実現には至らなかった経緯があるからだ。
与正氏がこうした談話を出した以上、岸田政権下での日朝ハイレベル協議も、首脳会談も実現不可能であろう。現に、米国に対しても2020年7月10日に「米国の立場変化のない米朝会談は無意味」との談話を出して以来、今もって対話にも交渉にも応じていない。韓国に対しても同様で2020年6月13日に「南朝鮮(韓国)の者たちと決別する時が来た」との談話を発表して以来、韓国とも絶縁状態にある。
残念なことだが、北朝鮮の「拉致被害者は一人もいない」「拉致問題は終わった」の立場は金正恩政権下でも不変のようだ。
父親がすでに「亡くなっている」「もう他にはいない」と回答しているのを「亡くなってはいなかった。生存者はいた。他にも拉致した人がいた」とひっくり返すのはあり得そうにない。なぜなら、北朝鮮は一度ならず、二度も嘘を付いたことになるからだ。そうなれば、日本だけでなく国際社会から「嘘つき国家」の烙印を押されかねない。
北朝鮮からすれば、将軍様の金正日総書記が恥も外聞もなく、敵国である日本の最高司令官(小泉首相=当時)に日本が「国家犯罪」」と主張している拉致を認め、「二度とやらない」と謝罪したのは白旗をあげることに等しかった。
日本に「殿、ご乱心」という言葉があるが、金正日氏が拉致を認めたとき、正直なところ「将軍様、気でも狂われましたか」という声が軍部の中で飛び交ってもおかしくないほど北朝鮮にとっては一大事変だった。
どのような心境の変化や事情があったにせよ直前まで「拉致はしていない。日本のデッチあげである」と白を切っていた独裁者が手のひらを反して、まさに恥をさらす形で「やっていました。申し訳ない」と腹をくくれたのは、絶対的独裁者ならばの「離れ業」であったと言っても過言ではない。
換言するならば、「経済苦境と外交的孤立を抜け出すには、隣国の日本と国交を結び、日本の協力を得るほかない、そのためには拉致問題は避けては通れない」と、まさに背に腹は代えられないと思ったからであろう。しかし、不十分かつ、不誠実な対応をしてしまった結果、日本から経済援助どころか逆に経済制裁の刃を突き付けられてしまった。
北朝鮮からすれば、拉致を認めたことで過去の問題では加害者と被害者の関係にあった日朝関係が一転して立場が逆転し、北朝鮮は今では「加害者」として日本から激しいバッシングを浴びている。北朝鮮が目指していた国交正常化も遥か彼方に遠のいてしまった。賭けが裏目に出てしまったことで金正日政権はそれ以後「拉致問題は終わった」と開き直ってしまった。
国家の信用をさらに失墜しかねないような政治決断を下すには父親の時よりもさらなる勇気が必要だが、正恩氏にそれができるとはとても思えない。