トランプ、英EU離脱派、ルペンの「ナショナリスト連合」の先にある世界:ナポレオン戦争が示すもの
4月23日、フランスで大統領選挙が行われ、極右政党・国民戦線のルペン候補が2位につけて決戦投票に進みました。5月7日に行われる決戦投票次第で、極右大統領がフランスに誕生する公算は消えていません。
フランスに限らず、各国ではナショナリズムが高まっています。これに対して、米国のトランプ大統領は、BREXIT支持派やルペン氏など、各国のナショナリストを支持する姿勢を隠しません。
「ナショナリスト連合」とも呼べる、この陣営の形成は、同じような志向を持つ者同士ということで、一見したところは不思議でもありません。しかし、この陣営の各国は、同じ志向を持つがゆえに、つまりいずれもが「自国第一」であるがゆえに、かえってバラバラになりやすいといえます。
現代の状況が、1929年の世界恐慌後にナチスをはじめとする全体主義体制が生まれた第二次世界大戦前になぞらえられることは、もはや珍しくありません。特に、ナショナリズムと民主主義の関係をみる場合には、二度の世界大戦の時期と比較することは有益だと思います。オルテガの『大衆の反逆』(1933)やアレントの『全体主義の起源』(1951)が、今日ほどリアリティをもって読まれる時代も少ないと思います。
しかし、歴史を振り返ると、現代の状況には、そのさらに100年前の、18世紀末から19世紀初頭にかけてのヨーロッパとの共通性を見出せます。特に、「ナショナリスト連合」が主流になった場合、世界がどこに向かうかに関して、ナポレオン時代のヨーロッパは示唆的です。そこには、世界を束ねようとする大きな力に抵抗するなかで、各国で広がったナショナリズムが、当初はお互いに協力しながらも、やがて対決に至ったパターンを見出せます。
求められ、拒まれた「英雄」
1789年に発生したフランス革命の後の混乱のなかで登場したナポレオンは、力による安定をもたらした一方、「フランス革命の理念を普及させる」ことを大義に、ヨーロッパ全土を制圧しました。1802年にはヨーロッパの精神的中心地だったローマを含むイタリアが占領され、1806年にはローマ・カトリック教会の守護者であった神聖ローマ帝国が崩壊。
ヨーロッパ全土を占領していったナポレオンは各地で、中世さながらの、貴族による封建的な支配に直面していた人々から熱烈に歓迎されました。天才ベートーベンがナポレオンに献上するために「英雄」という曲を作ったこと(後にナポレオンが皇帝に即位したため、ベートーベンは楽譜を破り捨てたといわれる)や、ドイツ哲学界の巨人ヘーゲルが馬に乗って進むナポレオンを目撃して、友人への手紙に「世界精神が馬を進めるのをみた」と興奮気味に記したことは、ナポレオンが単なる軍事的覇者としてではなく、フランス革命の「自由・平等・博愛」の精神を体現した英雄、自分たちを古い軛(くびき)から解放してくれる救世主としてみなされていたことを物語ります。
フランス革命で打ち出された、自由・平等・博愛の精神をテキスト化した人権宣言は、国境や文化を超える、普遍的な価値を持つもの、いわば世界標準を提供したといえます。古い因習や階級間の格差などに抑圧されていた多くの人々にとって、フランス革命は「個人が自らの一生を選び取る」福音であり、それをヨーロッパ中にもたらしたナポレオンは「全ての人間の解放」の象徴ですらあったといえるでしょう。
しかし、一時代を築いたナポレオン帝国は、1814年にあっけなく崩壊。最終的にナポレオンを打ち破ったのは、「革命の輸出」を恐れた英国とロシアを中心とする同盟軍でした。ただし、それ以前の段階からナポレオンを悩ませていたのは、ドイツ、イタリア、スペインなどで相次いだ反乱でした。
これらの国の人々は、一度はナポレオンを「人間の解放」の象徴とみなし、その支配を歓迎しました。しかし、その後で実際に発生したのは、「フランスによる占領」でした。そのなかで人権思想を全面的に受け入れることは、ただの「フランスかぶれ」に過ぎず、ローカルなもの、固有のものを無視して世界標準を強制されることへの不満が、各地の人々の間にナショナリズムを呼び起こしたのです。つまり、「国境を超えるうねり」への反動が、ナショナリズムを増幅させたといえます。
グローバル化に対する左右の挟撃
現代に眼を転じると、世界中でナショナリズムが高まる状況は、もはや覆いようもありません。冷戦終結後の世界には、対テロ戦争の始まり(2001年)による愛国心の鼓舞、世界金融危機(2008年)による国家への期待の増幅、シリア難民の発生(2011年)に代表される移民・難民の急増による危機感の高まりなど、ナショナリズムが高まるいくつかの転機がありました。
しかし、それ以前の1990年代から、既に各国にはナショナリズムが高まる土壌ができつつありました。その背景としては、冷戦終結後の世界を覆ったグローバル化が挙げられます。
グローバル化のもと、ヒト、モノ、カネが国境を越えて自由に移動する「大競争」の時代を迎えるなか、「自由競争」が奨励されてきました。しかし、規制を廃し、スタートラインを揃えることは、チャンスに恵まれない者にチャンスを提供する一方で、往々にして、もともと強い者、優位にある者にとって有利なゲームにもなりがちです。言い換えると、世界中にチャンスが広がるなか、大企業ほど利益をあげやすくなったといえます。
それは、世界中で人々のライフスタイルが特定の企業の影響を受けやすくなったことも意味しました。1993年、米国の社会学者G.リッツァは『マクドナルド化する社会』を著し、効率的な企業活動のもとで各地の固有性が失われ、世界が平準化する様相を指摘しました。2000年、パリ近郊で「フランスらしさを奪う」マクドナルドの店舗がスローフード運動家J.ボブに襲撃され、その冤罪運動が各地に広がったことは、国境を越えて波及してくるものに対する、素朴な拒絶反応が胎動し始めたものだったといえます。
フランスに限らず、ヨーロッパでは反グローバリズム運動が1990年代から盛んです。そこでの主な標的は、自由競争で優位に立ち、グローバル・スタンダードの名の下に、消費や就労のスタイルにまで一律の基準を適用しようとする大企業、とりわけマクドナルドやマイクロソフトに代表される米国企業でした。
反グローバリズムは自由貿易に批判的で、環境保護や人権尊重を軸とするため、伝統的な区分けでいえば、いわゆる「左派」あるいは「リベラル」とみなされがちです。しかし、グローバル・スタンダードという名の世界標準は、ローカルなもの、固有のものを排除する圧力ともなるため、それに抗する反グローバリズムは「右派」あるいは「ナショナル」の立場にも通底します。実際、フランスなどでの反グローバリズム運動には、農業団体などの保守勢力も含まれます。
つまり、「国境を越えるうねり」であるグローバル化は、リベラル派の反発だけでなく、各国でナショナリズムの胎動を促したといえます。世界標準への反動がナショナリズムの台頭を招いたことが、ナポレオン時代のヨーロッパを想起させるというのは、この点においてなのです。
この観点からみれば、トランプ大統領やルペン候補が、左右の大政党に失望したそれぞれの支持者の票を集めて台頭したことは、不思議ではありません。彼らの台頭は、困難な状況に置かれた人々の「英雄願望」がその登場を促した点で、ナポレオンと一致するといえます。ただし、トランプ氏やルペン氏の最優先事項は、基本的にそれぞれの「国家の存立」や「国民の利益」を何より優先させることにあり、国籍にかかわらず「人間の解放」をもたらすと期待されたナポレオンとは根本的に異なることも確かです。
ナショナリスト連合がもたらしたもの
ところで、ナショナリズムが高まり、ナポレオンが表舞台から去った後のヨーロッパは、その後どうなったのでしょうか。そこでは、ナポレオンのように全ての国を呑み込むうねりを二度と招かないことが至上命題となりました。その結果、ヨーロッパ各国の間では、全体のバランスが保たれる「勢力均衡」(Balance of Power)と呼ばれる状況が生まれたのです。
勢力均衡は、大小にかかわらず、各国が既存の国境線に沿って独立を維持することを可能にしました。それは何よりも各国の独立性を重視したもので、外部からの影響を受けにくい状態は、どの国のナショナリストをも満足させるものだったといえます。
しかし、各国が自国の利益を最優先にすれば、お互いに「利益を分け合う」という発想には行き着きにくくなるため、利害対立はより深刻になりやすくなります。ところが、ナポレオン戦争後、戦争はあっても、ヨーロッパ全土を巻き込むような大規模なものは影を潜めました。
19世紀を通じて各国でナショナリズムが高まり、「自国第一」が主流になっても、各国間での摩擦や対立が深刻化しなかった背景には、大きく二つの要因がありました。第一に、かつてのナポレオン帝国にように全体を呑み込むような勢力(例えば19世紀半ば以降のロシア帝国)が台頭すると、それと対立する側に英国がつき、全体のバランスを保ったことです。もちろん、英国は好意でそれをしたわけでなく、各国が独立して自由貿易が維持されることが、最大の工業国だった英国自身にとって最大の利益だったからです。
第二に、当時本格化し始めていた植民地支配も、ヨーロッパの安定につながりました。つまり、ヨーロッパ各国は、自国の利益を守ることを重視しながらも、お互いに争うことを避けるため、狭いヨーロッパの外を各自が支配することで、それぞれが成長する土台を手に入れたのです。いわば「紛争なき発展の余地」をアジア、中東、アフリカに見出したことは、ヨーロッパ諸国のナショナリズムが正面衝突するリスクを軽減させたといえるでしょう。
ただし、いくら世界が広くても、切り取る土地には限界があります。植民地分割が終わりに近づいた20世紀初頭から、残り少なくなった勢力圏をめぐる各国間の争いは激化。それはちょうど、英国が工業生産力で米独に抜かれ、かつての「バランサー」としての役割を果たせなくなっていた時期でもありました。その結果、最終的にはバルカン半島をめぐる争いから、1914年に第一次世界大戦が発生。植民地分割の完成と勢力均衡の崩壊は、ナショナリズムの歯止めを効かなくして、再び大きな戦争をもたらしたのです。
ナショナリスト連合の行方
再び現代に眼を向けると、冒頭で述べたように、各国でナショナリズムが台頭し、その連合とも呼べるものが生まれつつあります。トランプ大統領やBREXIT支持者、さらにルペン候補のような極右政党支持者には、1990年代からのグローバル化に抵抗して、自分の国の独立性を回復したいという点に共通項があります。
ただし、彼らは「反グローバリズム」で一致できたとしても、その先に共有できる利益をもっているようには見受けられません。
2011年の「アラブの春」のなかで、40年以上にわたってリビアを支配したカダフィ体制を崩壊させたのは、それまで抑圧されていた王政主義者、リベラル派、イスラーム主義者の連合体でした。しかし、カダフィ体制の崩壊後、各派の勢力争いは逆に激化。リビアは全面的な内戦に陥ったのです。
共通の目標をもつ者が手を組むのは、人の世の常かもしれません。しかし、共通の目標が実現した時、それまで目立たなかった亀裂が表面化することもまた、よくあることです。ナポレオンという共通の敵を倒した後、各国がそれぞれの利益を追求するなかで、それでもヨーロッパで勢力均衡という一応の安定が保たれたのは、バランサーとしての英国と、植民地獲得競争という「紛争なき発展の余地」を可能にする特殊条件があったからです。
この観点から現代をみれば、グローバル化を逆転させた場合、その後には各国間の利害対立がより激しくなるとみられますが、それを抑える条件があるかは疑問です。最大の軍事力・経済力をもつ英国が全体の秩序を保つことに自らの利益を見出した19世紀と異なり、米国トランプ政権は世界全体のルールに大きな関心をもっていません。その一方で、現代では「紛争なき発展の余地」として各国が植民地獲得競争に向かうことは不可能です。
そのなかで各国がお互いにぶつからずに成長しようとするなら、トランプ政権が各国と自由貿易協定を個別に結ぶことで自らを中核とする一大経済圏を創り出そうとしているように、あるいは中国が「一帯一路」構想に基づいてユーラシア大陸を網羅する経済圏を創り出そうとしているように、経済圏の奪い合いに向かわざるを得ません。それは、各国間の利害対立を、さらにエスカレートさせるとみられます。
市場経済を無批判に信奉する人はともかく、グローバル化が格差の増大などの弊害をもたらしたことは、否定の余地がないでしょう。また、自国の独立を目指すナショナリズムそのものは、良いものでも悪いものでもなく、いわば自然なものといえます。
その一方で、全体の秩序を生み出す意志と能力をもつ国がないなかで、反グローバリズムで一致するナショナリスト連合が主流となれば、ナワバリ争いがこれまで以上に激化することも確かといえます。今後、勢力圏の奪い合いにとどまらない「紛争なき発展の余地」を見つけ出せるかどうかは、人間が19世紀から多少なりとも進歩したのか否かを見極める試金石になるといえるでしょう。