大怪我を負ったジョッキーとその家族の現在の状況とこれから……SideBの物語
豪州で出会い、結婚
その日は子供達の習い事の準備や送迎に追われていた。
「そんな合間をぬってレース結果を確認していたら、夫が競走中止になっていました」
大丈夫かな?と思っていると、実父から電話が入った。かなり危険な落ち方だったと聞かされ、リプレーを確認した。
「実際、目を覆いたくなるような落ち方でした。『骨折は仕方ない。長い離脱になるかな……』と思いました」
小野沙織さんの実家は乗馬クラブを経営していた。そんな関係もあり、専門学校で馬について学ぶためオーストラリアに留学をした。
「学校の女性の先生が調教師もやっていて、彼女から日本人の見習い騎手がいると紹介されました」
2005年の話。それが藤井勘一郎との出会いだった。
2人は意気投合し、沙織さんは09年に藤井姓となった。以降、藤井がJRAの騎手試験を受けながらオーストラリアやシンガポール、韓国等で騎手を続ける姿を追いかけ続けた。ビザの取得がスムーズにいかず、長い間、別々の国で暮らす事もあったが、縁の下の力持ちとなりサポートし続けた。出会ってから15年が過ぎた2019年、藤井がついにJRAの騎手試験に合格すると、沙織さんは自分の事のように喜んだ。
「誰より本人が嬉しかったと思うけど、周囲が盛り上がっていました。彼の苦労する姿をずっと見ていたので、私も嬉しかったです」
事態が一転した日
20年がかりで掴んだJRA騎手の座に就いて、僅か4年目のこの4月、冒頭に記した事故に遭遇した。
「実父からの電話に続き義母からも安否を気遣う電話がかかってきました。その後、騎手クラブから連絡が入り病院に搬送されたと聞きました」
更にJRAの職員から「おって病院から連絡がいく」旨を知らされた。そして、かかってきた医師からの電話で「胸椎の骨折と脊髄に損傷があり、胸から下が麻痺している」と、伝えられた。
「最悪の事態を言われているだけで、回復する望みはあると考えたけど、正直すごく色々な感情がない交ぜになって複雑な気持ちでした」
その日のうちに緊急手術が施される事を聞き、すぐに福島へ向かう準備を整えた。
「10歳と2歳の男の子に7歳の女の子と、子供が3人いるので、実際に行ける手筈が整ったのは翌日になってからでした。面会出来るかも分からなかったけど、子供達を連れて新幹線に飛び乗りました」
走り去る車窓の風景を見ながら様々な思いが駆け巡った。
「自分の父も落馬で頸椎損傷をして『歩けなくなる』と診断された事がありました。でも、歩けるように回復したので、きっと夫も大丈夫と信じる気持ちもあったけど、同時にあんなに苦労してやっとJRAの騎手になれたのに、その彼がなぜ?と考えると絶望に近い感覚にも襲われました」
福島の病院に着くと、HCU(高度治療室)に入っているせいか、コロナのせいか、子供達の面会は許されず、沙織さんだけに短時間での面会が許可された。
「落ち込んでいる姿を見せないようにしているのか、凄く悲しいという雰囲気ではありませんでした。『落ちてごめん』という感じの表情で、それが逆に切なく思え、私が泣いてしまいました」
家族の現状
ほんの30分ほどの面会が終わっても、涙は止まらなかった。ただ、子供達の事を考えると、泣いてばかりもいられなかった。
「子供達を集めて状況を説明しました。1番下の子はまだよく分からない感じでしたけど、長男は相当ショックを受けたみたいで、その後も父の話をする度、泣いたり、その場を立ち去ったりしました」
一方、7歳の長女からは次のような言葉が発せられたという。
「パパがもし歩けないで帰って来ても車椅子で一緒に出掛けられるでしょ」
この言葉に沙織さんはハッとした。更に、オーストラリア時代の騎手仲間で、その後、香港での落馬事故により脊髄損傷をしたタイ・アングランド元騎手から届いたメッセージにも頓悟した。
「『失ったモノに固執するのではなく、持っているモノにフォーカスしなくてはいけない(Just have to focus on things that we have, not what we have lost)』という彼の伝言は胸に沁みました」
他にも共通の知り合いから続々と励ましの便りが届いた。
「ルメールさんは誰かに私の電話番号をきいたようで、直接連絡をくれて『困った事があったら何でも言ってください』とおっしゃってくださいました」
そういった周囲の言葉に後押しされ、少しずつ前を向けるようになると、改めて気付かされた。
「何より夫がショックだろうし、葛藤もあるはずなのにそんな姿を全く見せません。すぐにリハビリを始めたし、発言もポジティヴで、自分が彼の立場だったら真似出来ないだろうなって感服させられます」
思いが伝わったのか、長男も徐々に気丈に振る舞うようなったという。
「だから今はとにかく私も子供達3人も夫が帰って来るのを楽しみに待っています。帰ってきたら5人揃って行きたい場所を、皆で書き出しているんです」
そんなリスト作りの最中に、長女が言った。
「もしパパが馬に乗れなくなったら、私が代わりに騎手になる」
実現すればそれはそれでドラマだが、沙織さんはかぶりを振って答えた。
「ありがとう。でも、パパは大丈夫。きっと戻って来てくれるよ」
家族5人に笑顔が戻る日は、必ずやって来るだろう。沙織さんの力強い言葉を聞いて、そう思った。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)