タカラヅカ再始動、花組新トップスター・柚香光のお披露目公演『はいからさんが通る』
7月17日、コロナ禍によって130日の間休演していた宝塚歌劇が花組公演『はいからさんが通る』で再び幕を開けた。新トップスター・柚香光のお披露目公演である。
できる限りの感染拡大予防対策を講じ、客席数も通常は2550席のところを座席間隔を1席ずつ空けて半分に減らしての公演再開だ。劇場に足を運ぶのが難しい人も多い中、18日には動画配信サービス「タカラヅカ・オン・デマンド」による初のライブ配信も実施。千秋楽にもライブ配信および全国の映画館でのライブ中継が予定されている。
ご存知『はいからさんが通る』といえば大和和紀作の人気漫画である。大正ロマンの香りの中で繰り広げられる、「はいからさん」こと花村紅緒と「少尉」こと伊集院忍の恋物語だ。これをタカラヅカが舞台化した。タカラヅカ版は原作の全編をうまくまとめ上げたような形になっており、1幕では親の決めた婚約に反発していた紅緒が婚約者の忍に心惹かれていく過程が、2幕ではシベリア出兵から思わぬ形で帰国した忍と紅緒の紆余曲折が描かれる。
じつはこの舞台、2017年に同じ花組の柚香光・華優希のコンビですでに上演している。ただ、このときは大阪・シアタードラマシティと東京・日本青年館での上演だった。今回はこれを宝塚大劇場・東京宝塚劇場バージョンにリメイクしての上演となる。
このような形での再演は珍しいのだが、今回観て「さもありなん」と納得してしまった。とにかく、新トップコンビにぴったりの作品なのである。幕開け、竹刀を振り回して登場し、自転車に乗り舞台を走り抜けていく紅緒(華優希)。初演時もはまり役と言われたが、今回はさらに明るく強くしなやかに、信じる道を真っ直ぐ歩み続ける紅緒像を作り上げた。
この「はいからさん」を見守る忍(柚香光)の目線がどこまでも優しく温かく、思わずときめいてしまうのだ。その軍服姿も漫画から抜け出てきたよう。加えて今回は、忍が密かに抱える孤独な部分もちらりと描かれ、そこに飛び込んでくる紅緒が彼にとっていかにかけがえのない存在であったかも切実に伝わってくるようになった。
トップコンビの持ち味に合った作品で二人の恋の行く末をドキドキしながら見守るのはタカラヅカならではの醍醐味だが、その意味で今回は最高のお披露目公演になったと思う。
2017年から続演のキャストも皆、それぞれ進化していた。忍の戦友としてシベリアで共に戦う鬼島森吾(水美舞斗)はさらに野性的に色っぽく、島国日本に収まりきらないスケールの大きさも感じさせる。紅緒に想いを寄せる藤枝蘭丸(聖乃あすか)は一見頼りなげな中にも歌舞伎役者としての華を感じさせ、メイド姿から藤娘まで、変化(へんげ)を楽しむ余裕も感じられた。
いっぽう初演から配役が変わり今回が初挑戦となったキャストも、それぞれ初演と一味違う役作りが新鮮だ。原作では忍と共に女性ファンからの熱い支持を集める青江冬星。今回演じる瀬戸かずやは、てらいのない直球勝負で紅緒と向き合う。あの「決め台詞」も嘘のない誠実な感じで心に響くのが、この人の作る冬星の魅力だと思う。音くり寿演じる北小路環は、お嬢さまながらも激動の時代を地に足つけて生きていく姿が頼もしく、思わず付いて行きたくなる環さまだった。
そして、忍のキャラクターをより深く描くのに一役買ったのが、今回膨らませて描かれる高屋敷要(永久輝せあ)の存在だ。忍とは対照的に自由奔放に生きる高屋敷を、雪組から組替えしてきた永久輝が伸びやかに演じた。持ち前の天真爛漫さで、登場した瞬間に舞台がパッと明るくなるようだった。
この他にもあちこちで個性的な登場人物が目を引くのは、漫画の一コマでお気に入りのキャラクターを見つけたときのような楽しさがある。
フィナーレの男役群舞に「大正バージョン」と「浪漫バージョン」の2パターンがあるのも今回ならではのお楽しみだ。「浪漫バージョン」では、男役の制服ともいわれる黒燕尾による群舞に花組の男役魂が感じられ、軍服姿の「大正バージョン」は柚香率いる新生花組らしいスタイリッシュな衣装デザインと振付が印象的だった。
また、パレードでは通常「シャンシャン」と呼ばれる小道具を手に大階段を降りてくるのが常だが、今回はメインキャストのみ、それぞれにちなんだ小道具を持って降りてくるのも新しい趣向だった。最後に再びキャラクターが勢ぞろいする感じが嬉しくて、漫画を原作とした作品ならではの工夫だと思った。
さて今回、大劇場バージョンになって進化したなと感じたことが二つある。
ひとつは大劇場ならではの華やかな場面が増えたことだ。たとえばメイドがずらりと居並ぶ伊集院家の様子や豪華な園遊会、浅草オペラのスター・田谷力三らも登場する浅草の街の賑わい、そしてモダンガールが元気に歌い踊る2幕最初の「大正デモクラシー」の場面など。舞台上の人数はいつもより少なくソーシャルディスタンスも意識されているようだが、それでも元々が大舞台なのでそれなりに華やかである。
そしてもうひとつは、上記とも関連するのだが、大正という時代が持つ様々な側面が重層的に描き出されることで、その中で息づく登場人物一人ひとりの生命力が増したことだ。
この作品で描かれるのは、1918(大正7)年から関東大震災のあった1923(大正12)年までの6年間である。大正デモクラシーといわれてモダンガールが闊歩した時代、浅草オペラに人々が夢中になった時代。いっぽうで社会主義思想が弾圧され、戦争の足音が忍び寄ってきた時代。大劇場バージョンからは、そんな大正という時代の持つ明暗の両極がよりシャープに伝わってきた。そして、その中をそれぞれのやり方で生き抜く登場人物たちに、たくましさを感じた。
今の時代もまた、先行きが見えない中で不安を数え上げたらきりがない。でもそこから敢えて希望をすくい取って歩んでいかなければ。きっと『はいからさんが通る』の登場人物たちがそうだったように。…そんなメッセージも感じたのだった。