民主化しても人間はすぐに変われない。映画『モデロ77』
独裁者が死んで、体制が一夜にしてコロリと変わる。が、人はそんな急に変われない。民主化に乗り遅れた人たちのお話である。
スペインって凄い国だ。
独裁国家だったのが一夜にして民主国家となる瞬間を彼らは生きている。独裁者フランコが死んだのは1975年11月のこと。そんな昔のことではない。
それまで、フランコ派と反フランコ派が普通に隣人同士として共存していたというのも凄いが、その力関係が一晩で逆転したというのも凄い。
元威張っていた方と、元息を潜めていた方は、翌朝どう挨拶したのだろうか?
歴史のお勉強としては「独裁者の死。民主化スタート」でいいが、人間はそんなにすぐに変われない。
特に、蛮行を許す側には、気持ちを整理する長い歳月が必要だったと想像する。
独裁時代に家族が殺された経験を持つ人は、私の周りにもいる。殺した方もご近所さんだったりする。そういう先祖代々の恨みをどう清算したのか、ちょっと想像がつかない。
■塀の中はフランコ時代のまま
『モデロ77』の舞台は、模範的な刑務所だったので「モデロ」(Modelo、スペイン語。英語ならモデル=手本、模範)と呼ばれた刑務所である。
とはいえ、職員によるリンチは日常茶飯事で、殴る蹴るの挙句に死んでも「事故死」で片付けられた。収容されていたのは殺人犯や泥棒もいたが、民主主義下では犯罪者ではない政治犯――労働組合員、共産主義者、アナーキスト――もいたし、同性愛者もいたし、物乞いもいた。
要は、独裁に都合の悪い人たちをまとめてぶちこんで世の中から見えなくし、必要なら存在自体を消してしまおう、という「独裁政権にとって模範的な場所」だったわけだ。
で、世の中の民主化が進む一方で、塀の中では独裁の延長が行われていた。一夜にして虐待慣れした職員のメンタリティが変わるわけがないし、外から彼らを監視する目も届かない。
ただ、民主化を訴える収容者にとって幸いだったのは、モデロが街のど真ん中――FCバルセロナのホームスタジアムから徒歩約15分――にあったこと。騒ぎを起こせば塀の外の人たちの目に嫌でも入る、ということで、この好立地を利用することが収容者たちの作戦となった――。
※モデロは2017年に閉所され今は観光スポットになっている。観光案内はこのページ。
■主人公とD.アウベスでは待遇が大違い
『モデロ77』の主人公は横領の容疑者。容疑者は本来、「拘置所」に入るはずで、有罪確定者が入る「刑務所」に入るのはおかしいのだが、そんな些末な配慮がされるわけはなく、凶悪犯も、容疑者も、民主主義下では塀の外にいるはずの人たちも、一緒にぶちこまれていた。リンチもあるし喧嘩もある反面、職員を買収すればドラッグもワインも手に入る、という日本人の常識ではちょっと考えられない世界である。
ところで、容疑者と言えば、あの強姦容疑で勾留中のダニエウ・アウベスと同じ身分なわけだが、その待遇には天と地の差がある。
アウベスがいるのは畑の真ん中にある1984年オープンの近代的な拘置所兼刑務所で、採光も通風も良くショップ、娯楽室、図書館、ジム、体育館、プール、陸上トラック、各種スポーツコートや散歩できる庭園を備えている。
主人公がいるモデロは1904年オープンで、権威的にそびえ立つ教会のドームのような塔が特徴。狭くて暗くて不衛生でダニやゴキブリだらけで、ジムやショップもあるはずなのだが映画には出て来なかったので、使われていなかったのだろう。
主人公たちが過ごすのは部屋の中とギャラリー(回廊)、コンクリート打ちっぱなしの殺風景な中庭だけ。塀の外でも人権が制限されていたが、塀の中では人間扱いすらされていない……。
民主化後の拘置所と、独裁を引きずった刑務所にはこれだけの差がある。これが半世紀の時の重みだろう。
ストーリーは実際にあった事件、実在の人物にヒントを得たものになっている。とはいえ、刑務所ものの作品はいくつもあって既視感を覚えるのも確か。見終わって、敗戦後の日本もこんなふうだったのだろうか?と想像せずにいられなかった。治安維持法による服役者は民主化でどう救済されたのだろうか。
※写真提供はサン・セバスティアン映画祭