「オリーブと桃」シリア人ジャーナリストの涙 孤立するシリア北西部からのSOS 福島が繋ぐ
今月6日発生したトルコ・シリアでの大地震による犠牲者が5万人を超えると国連機関が見通しを明らかにした。
内戦続くシリア北西部ではアサド独裁政権により人道支援が遮断されるなどさらに厳しい状況が続いている。
支援も情報発信も限られているシリア北西部。
そうした中、友人のシリア人ジャーナリストからメッセージが届いた。
知らなくてはいけない。当初は共に発信を続けていたシリア内戦。しかし、その後、様々な国際問題、国内問題が勃発し、私自身、伝え切ることができていなかった。
地理的な、物理的な孤立だけではなく、精神的な孤立を私も作り出してきたのかもしれない、そう思うと居ても立ってもいられない気持ちになった。
今、再び、現地ジャーナリスト達の力を借りて、この記事を書いている。
一人は、シリア北西部、イドリブ県の出身、現地で発信を続けるフォトジャーナリスト、Muhammad Haj Kadourさん。そして、もう一人は、日本とシリアの架け橋になるべく発信を続けるシリア人ジャーナリストNajib El-Khashさんだ。
二人の発信を8bitNewsでサポートしている。現地からの声をぜひ聞いてほしい。
■政治の話から始めなくてはならない悲劇
堀)
今日はシリア人ジャーナリストのエルカシュナジーブさんとつながっています。ナジーブさんよろしくお願いします。
ナジーブ)
よろしくお願いします。
堀)
トルコ・シリアでの地震は、国連機関も5万人以上の死者に上る可能性があると見通しを発表していました。特に日本にいると内戦が続いているシリア北西部の情報は限られていますし、そして支援がほとんど入っていないという情報も聞いています。まずシリア北西部の現場で何が今起きているのか状況を聞かせてもらえますか?
ナジーブ)
そうですね異常なことが起きています。それはもちろん、地震そのものが異常なものなんですけれども。でも、その後の人道支援が入らない理由が非常に異常だと思います。
地理的にシリアは地中海に面しているし、世界の十字路だと言われているところに何故、人道支援が入らないか。ネパール大地震のときには、山だから行けないとか、ロジスティックス的にとても大変だったということがあったんですけれども、何で私の故郷にはあんなに港があるのに、空港があるのに、道があって入れるのに、人道支援が届かないかという不思議な感じなんですが、でも本当は全然不思議ではないんですね。
それは政治が人道支援を防いでます。いろんな政治勢力が今、この危機を利用しようとしています。結局私はその政治の説明をするんですけれども、次の壁もあります。私は次にシリア市民団体に寄付してくださいと言うんですけど、「本当にそのお金届くんですか?」という疑問をよくもらいます。人間はそういう疑問も持つんですよね。
例えばトルコの場合は地震が起きたら、助けましょうと政府が動く。トルコも政治的にはいろんな問題はあるんですけれども、とは言っても地震が起きて2時間で、トルコ政府は非常事態宣言して世界からの支援を受けました。しかし、シリアの場合ではシリアアサド独裁政権は3日、3日間経ってから非常事態宣言したんですよね。
それはなぜかというと、シリア政府から見ると、この危機を利用して国連から政権にかかっている制裁を解除したいということで、あるいはシリア政権だけではなく、今現在のシリア中央政権がイドリブ地域北西部を支配してないわけですね。支配したいから空爆をしたり、たくさんの市民を殺してきました。
一方で、国際社会からも、今、シリアへの制裁に対する「オーバーコンプライアンス」という現象があります。要は例えば人道支援だから大丈夫だけど、結局世界の企業は怖いのか本当に大丈夫なのかで事務的な段取りも時間がかかるし、いろいろと複雑ですね。ですから結局先日、米国も臨時的にその制裁を外したわけですね。そういうメカニズムによって、人ががれきの下で死んでいくんです。
国連の支援についても、数年前からロシアが安保理での拒否権を使って、だんだんと町のそれぞれの入り口を防いで、結局一つだけになってしまった。地震が起きてから4日間してようやく支援が入ったんです。しかも、国連の支援は既に地震以前から決まっていた予定通りの量の物資でした。こんなに大きな規模の被災の中ではもちろん足りないです。
■地震だけではない、空爆で建物はボロボロだった
ナジーブ)
建物の話、インフラの話をしますと、シリア北部地域は10年以上、アサド政権軍やロシア軍から空爆を受けています。
ミサイルの空爆だけではなく、「樽型爆弾」という世界で一番、馬鹿な爆弾と言われていて、スマート兵器と呼ばれるような正規のミサイルはピンポイントで敵をターゲットするんですけれども、樽型爆弾はできるだけ多くの人を無差別的に殺すんです。ヘリコプターからそういう樽爆弾を落とし、大勢の人を殺してきたんです。当然、建物もぼろぼろです。
今回の地震で揺れたからボロボロなのではなくて、これまでの空爆によってボロボロなんです。北西部の人々は、半分壊れた建物の「檻の中」に住まなきゃいけない。他に選択肢がないから、もう壁がなくなったところで、ビニールで壁を作ってとか、屋根をビニールで作ってとか、ブリキで作ってとか、元々そういうような建物なんです。
ナジーブ)
こうした内戦が12年続いてきた。その結果、他のシリアの地域から大勢の市民、200万人ぐらいの方々が逃げてこの地域に入ってきたんですね。
内戦以前のイドリブという地方は、シリアの中ではとても穏やかな田舎の場所で、小さな町があちこちあって、緑にあふれていた場所なのに、今はもう人口密度がすごく高いんですよね。人口が密集していて、そして、難民がテントに入って、そして町の人々は壊れた。
皮肉なことに難民キャンプでテントに住んでいる人の方がラッキーですね。壊れて襲ってくる建物がないですからね。建物の中にいる人たちが、テントの中に住んでる人、つまり難民たちのところに逃げたわけですね。
しかし、さらに不幸が起きたんです。地震が起きたのはこの真冬の中で一番雨が多かった時期でした。この冬で一番寒かった夜、一番雨も激しかった夜に地震が起きました。それでオロンテス川が溢れて、みんなが集まっていたテントに流れ込んできたのです。本当に悲惨な状態です。
堀)
実際に現地で取材を続けているフォトジャーナリストのムハンマドさんが写真を送って下さったので、その1枚1枚を見ながらナジーブさんにさらにお話を伺っていきたいと思います。
ナジーブ)
ムハンマドさんは、ニューヨークタイムズと一緒にカメラマンとしてやってます。私はこの番組を通してとかずっと言いたいのは、シリア人は可哀想とか仕切り人遅れてるとか、貧しい国とかそういう存在じゃなくてシリア人はたくましいと私は思っています。
このこんな状況の中に生きている。その青年のムハンマドさんは自分で独学でデジタルフォトグラフィー、ドローンの撮影技術も自分でトレーニングして素晴らしい写真を撮影するようになりました。そのような青年が他にもいっぱいいて、みんなすごい頑張っています。そういう人材がシリアには居ます。
堀)
こちらは、地震発生から2日が経った2月8日に撮影された写真、イドリブ市内にある避難センターです。
ナジーブ)
イドリブ市というのは、イドリブ県の中心で、県庁があるところで、一番多くのシリアの市民団体が本部を置いているわけなので、多少の例えばテントとか、多少の重機とかはあります。地震の被害は比較的少なかったとはいえ、やはりたくさんの人が中心部のシェルターの中で過ごしています。
堀)
そして次の写真ですが、まさに地震が発生した、2月6日のアレッポ県、アターレブという場所で撮影された写真です。
ナジーブ)
これはもっと広いフレームで見ますと、周りも全部破壊されていて、破壊の仕方も本当に土に戻っている感じで、少し倒れているとかではなくすさまじい状況になっているのに、重機が2つしかないという事実を伝えています。非常に助けは不足しています。
そうした中でも、今ある重機を使ってなんとか瓦礫の下の生存者を救おうとしているんですけれども、全然足りないという状態です。この町では、初日だけで70人の遺体が掘り起こされたということですが、状況を見ると、この壊れた建物の下にまだまだ大勢の方がいると思われます。
そうした中、シリア人の怒りが増しています。
一つの理由は、トルコではこれまでの内戦で既に数百万人のシリアの難民がいます。今回の地震でトルコ国内で亡くなったシリア人たちの遺体がシリアへ送られてきます。本来は人道支援を待っているのに、トルコ側から来る車、来る車が死体を運んでいる。人道支援はせずに、遺体をシリアに埋めるために車で運ばれイドリブに戻ってきています。
ですから、シリア人としては、「私たちは死ぬために生まれた」みたいな感覚で、非常に精神的に追い詰められています。国境のそばで待ってるシリア人が次々となくなってしまった人たちの遺体と対面している。頭がおかしくなるんですよ。
堀)
言葉が出ないですね。そういう状況の中で死ぬために生まれたなんていうことでも、それだけこの12年間の間じゃ本当に国際社会がシリアの内戦解決のために本当に動きましたかと言われると、この状況を知っていながら、放置してしまった。
そして次の写真ですが、こちらは今お話のあったイドリブ県のサルマダ市で、同じく2月6日に撮影されたという写真です。
ナジーブ)
はい。これは「ホワイトヘルメット」というシリア市民団体ですけれども、今救済活動を始めているところですね。写真の遠くには水がいっぱい溢れているのが見えますよね。オロンテス川があふれたので、街の中に水が入りました。
ナジーブ)
さらに、この写真からは、地震の被害と空爆の被害の両方が見えます。こちらの大きな建物。壁に、所々銃撃の跡や空爆の被害の跡が残っています。これは地震で起きたものではなくて、そもそも空爆や戦闘でこのような状況の建物だったんですね。そうした建物が、今回の地震によって崩れたんです。
■国家間のプロパガンダの狭間で失われる人命
ナジーブ)
このホワイトヘルメットについてなんですが、今現在、世界で一番瓦礫から人を救済する経験を持っている団体だと思います。彼らは10年に渡って空爆された建物のがれきの下にいる人たちを救済してきました。以前の彼らは自身らを追ったドキュメンタリーの中で、日本の地震の話をしました。日本では大きな地震がありましたが「私たちは毎日50回地震が起きる」という比喩的な言い方をしていました。
地震と空爆の結果が似ているところがあり、将来的に世界のどこかで地震が起きたら、多分彼らが持っている技術と経験での支援はトップクラスだと思っています。
まさに、私にとっても誇らしい人材なんですけれども、今、私は日本で彼らへの寄付を呼びかけることにためらってもしまいます。
なぜかというと、シリア政権のプロパガンダとロシア政権のプロパガンダは一生懸命彼らの悪いイメージを描こうとしています。「彼らには本当にバックがついているんじゃないか」とか、「彼らはアメリカがお金を出して動画を撮ってロシアのイメージを悪くしている」とか、そういうようなことを言っています。
そういう言説に触れた人が、ホワイトヘルメットへの支援を躊躇してしまうということが起きています。でも、結局、その写真を見てホワイトヘルメットの資金源の話ばかり議論がされてしまい、今大切なのは、まず目の前の人々を救うために何ができるのかという行動であるはずです。
堀)
まさに、そうした中で、子供たちが地震の被害に遭い支援を待っています。この親子の写真に言葉がありませんが、これ以上に多くの人たちが犠牲になっているんだということですよね。
ナジーブ)
そうですね。このお父さんは子供二人を失って、まさに瓦礫から取り出された瞬間の写真です。この地域の人々は、内戦前、本当に平和な生活を送ってきたんですよね。しかし、内戦があり、地震が起きた、あちこちから悲劇が訪ねてくるとは思ってもなかったと思います。
この写真に、私がコメントをする必要もないと思います。
堀)
洪水が起きたという話がありましたけども、もう少し詳しく教えていただけますか?
ナジーブ)
この地域では、周囲が破壊され尽くしているのに重機が1個もないんですよ。さらに、洪水のせいで水が入ってきて移動がすごく難しくなっていますから、例えばヘリコプターとかも必要だし、進んでいるテクノロジーが必要だと思います。この建物の下にまだたくさんの、もっとたくさんの方々がいて、それはすごく失礼な話なんですけれども、現地では亡くなった方々の遺体が腐り始めています。
衛生的にも大きな問題です。水が入ると病気の発症がしやすいですし、この地域では実は最近コレラが発症してるんです。シリアからは完全にもうなくなっていた。30年くらい経ってるんですけれども。でもこういう状況なので、コレラとか他の病気で苦しむことになりかねないのです。衛生対応が非常に急ぎで必要なんです。水が入ってしまったということは、長期的に地域の方々の衛生環境が悪くなっていきます。
ナジーブ)
更に、この写真の後ろを見てください。豊かな農業の畑が見えます。これはオリーブの木なんですよ。このオリーブは世界で一番おいしいオリーブです。それは私がシリア人だから言ってるんじゃなくて、シリアのオリーブの生産量は非常に多い。その中でもイドリブのオリーブは一番おいしいとされています。私は東日本大震災で東北の取材をしているときに、福島の方がどれだけ福島のモモを誇りに思い、どれだけ自分の文化や自然に誇りを持っているかを知りました。シリアでもみんな他の平凡な生活に戻りたいだけですよね・・・。
すみません・・・。
(声を詰まらせ、目に涙を浮かべるナジーブさん)
ナジーブ)
本当はこういう話をしたいんですよ。シリアの素晴らしい農業の話、歴史のある文化の話。イドリブにはとても素晴らしい遺跡もありまして、すごく美しい遺跡で本当に日本の方は絶対好きだと思うんですよね。すごく美しいビザンチン時代のものです。本当に1週間過ごしても飽きない。アラブ料理もおいしいし、オリーブもおいしいし、美しい、本当に美しい風景がいっぱいありました。そういう生活を送っていた人たちが、政治の犠牲になってきたのです。
実は、今日で私の父が亡くなって2年の命日になります。
ナジーブ)
父は10年間くらいアルツハイマーと闘ってきました。シリアの内戦が始まった時に、彼のアルツハイマーが始まったのです。私たち生き残った家族は「お父さんはあの時にアルツハイマーになって良かったかもしれない。彼は仲間と頑張って国をつくってきた。その自分の国で、こんなことが起きてしまった。見てしまったらどんな気持ちだったか。却ってアルツハイマーの患者になってよかった」と、私たちはお互いに泣きながら、泣きながら言ったんです。
堀)
言葉が見つかりません。本当に何とかしなくては、そう思います。
■東日本大震災の被災地とシリアを結ぶ地道な発信
堀)
そうした中、ナジーブさんは、この10年以上の間、日本とシリアのかけ橋になって発信を続けてくださっています。今回の地震で、日本国内でも多くの人達がこの現状に何ができるのか、何かしたい、どうしたらいいのかと言う方も大勢います。改めてナジーブさんからメッセージをいただけないですか?
ナジーブ)
私は個人的に仕事の中で東北とのつながりが強いから、ずっと震災直後から集中的に取材してきました。今回は皆様にご協力をお願いして、本日から福島に向かって福島からシリアを支援します。寄付先は紹介させていただきましたが、もう少し長期的な支援も考えています。今のところはとにかく救援活動と物資支援なんですけれども、将来的には私は東北から、東北だからこそできる支援を行いたいです。
例えば、まだこの話は今は早いかもしれないんですけれども、将来的に東北で使われていた仮設住宅をもし可能でしたら、シリアに運んで使えるようにする。そして、そこに東北村とか日本村を作るという考えがありまして、今、それぞれの県庁に声かけをしています。
ナジーブ)
そして、岩手県大槌町にある「風の電話」も設置できないかと考えています。もしシリアとかトルコに実際に「風の電話」を立てて、亡くなられた大切な人と話せるという電話を体験してもらえるなら支えになると思います。
そして、「福島ひまわり里親プロジェクト」、種を使って人と人とを結ぶ、これもやりたいです。
ナジーブ)
みんな自分の庭でヒマワリをやって育て、その種子を相手に送って、また植えるというという活動です。
更に、私は地震の被災地には私がアラビア語に翻訳した福島の子供の絵本を印刷して配ったりもしています。これからも続けたいですし、東北の残りの2つの県、宮城県の絵本と岩手県の絵本を、これからは私が翻訳して、シリアの子どもやアラブの子供全体的に届けたいと思います。
ナジーブ)
長期的な支援によって、文化の側面も持っている支援によって、私は日本とシリアをつなげたいと思っています。ぜひ「NPO法人チームふくしま」のHPを調べていただいて募金にぜひご協力いただければありがたく思います。よろしくお願いします!
堀)
ナジーブさん、これからもまた共に発信をさせてもらえればと思いますので、ありがとうございます。これだけ多くの被害が広域にわたって出ているので、もう一回、東日本大震災、そしてその他のさまざまな災害で、日本でどうやって復興に向けて力を合わせてきたのかっていうのを多くの日本人も思い出して、それがまさに今、シリア・トルコへの支援を待っている地域で必要なんだっていうことも、私たちだからできることとしてちゃんと考えたいですよね。本当に力を貸していただいてありがとうございました。
ナジーブ)
堀さん。いつも本当に心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。
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インタビュー内でナジーブさんが紹介した寄付先のリンクはこちら。