アストラゼネカ社を遠ざけ始めたEUと、イギリスのワクチン優先確保疑惑。日本政府の不可解な対応
欧州委員会は、アストラゼネカ社による納品の大幅な遅れを受けて、2月1日、ワクチン接種戦略の一環として、同社の研究所から距離を置くことになったと発表した。
アストラゼネカ社は、2021年の第1四半期に1億用量の約束をしていたのに、25%しか保証することができなかった。
欧州委員会の衛生局長、サンドラ・ガリーナは「そのため、欧州委員会は現在、ビオテック・ファイザー社とジョンソン・エンド・ジョンソンが製造したワクチンに目を向けている」と強調した。AFP通信が報じた。
同時に、同社のワクチンを、65歳以上の高齢者に投与することを反対する動きがある。
ドイツ、スウェーデン、ポーランドに続いて、フランスも、投与に反対する国となった。「現在のデータに基づくと、この年齢層で効果を評価することはできない」という立場である。(後述:スイスはワクチンの認証そのものをやめた)。
これは欧州連合(EU)の機関である欧州医薬品庁(EMA)の勧告とは逆の見方である。「勧告」だから、各EU加盟国は、必ず従わないといけないものではないので、各国政府が独自に判断している。
これらの背景には何があるのだろうか。
EUからワクチンを英国にまわした疑惑
ここ最近、前ははっきりとは言わなかったEUの怒りの原因を、『ル・モンド』をはじめ、明確にフランスの報道が言うようになってきたという印象がある。前にも報道でちらっと書かれることはあったのだが。
それは「EU側は、EU内(欧州大陸)で生産されたアストラゼネカ社のワクチンすらも、同社が内緒でイギリスにまわしていたと疑って怒っている」である。
同社がそのようなことをするとしたら、背後に政治の力、つまりイギリス政府とジョンソン首相の意向があると疑うのが、当然の考えだろう。
もしそうなら、日本も同社とイギリス政府に同じことをされていたということになる。日本は同社と1億2000万回分の契約を結んでいる。それが遅れているのは、イギリスにワクチンをまわすことを優先した結果ということになるからだ。
日本政府が「EUの規制を懸念」などとEUに文句をいうのは筋違いで、むしろイギリス政府にこそ「契約と約束を守れ。日本にちゃんとワクチンをまわせ」というべきだということになる。
そもそも読者のみなさんは、「おかしい」と思ったことはないだろうか。
アストラゼネカは、イギリスの会社とみなされている。イギリスはもうEUを離脱している。それなのに、なぜ同社のワクチンを日本が購入するのに、EUの規制に異議をとなえる顛末になるのだろうか、政治的に苦情をいうのなら、相手はイギリス政府じゃないのかーーと。
工場の場所が問題
これには一つの説明がある。
同社のワクチン工場(ラボ)は、ヨーロッパでは英国に2つ、EU内に2つある(ベルギーとオランダ)。
そしてEUと同社の契約によると、この4つの工場が契約の対象になっているだけではなく、何か問題が生じた場合に、アメリカにある5つめの工場が稼働可能ということだ。
EU側は、イギリスからやってきた変異株に苦しめられている。それなのに、イギリスでは薬局レベルですらワクチンの投与が始まり、どんどん普及しているのに、EUにはまわそうとしないーー。EU側が怒るのは無理もない。
それでも、EU加盟国の中では、政治家も市民も「英国工場でつくられたワクチンを英国国内にまわすのはわかる、仕方がない」というように冷静で、イギリスに同情的な見方が圧倒的多数派だろう。
しかし、欧州大陸のEU内の工場でつくられたワクチンすら、秘密裏にイギリスにまわしているとしたら、話は別である。だからEU側は激怒したし、「そうだとしたら、迂回地になっているのは北アイルランドにちがいない!」となってしまったのだ。
いかにブレグジット交渉で、EU側とイギリス政府との信頼関係が無くなってしまったかわかる、象徴的な出来事だというべきだろうか。
この説が正しいとすれば、すべての状況に納得がいく。
アストラゼネカの弁明
アストラゼネカのCEO、パスカル・ソリオ氏(フランス人)は一生懸命弁明していた。
フランスの24時間ニュース局『BFM』の報道によると、「ネットワークの中で最も生産性が低い拠点は、欧州に供給している拠点であり、正直、わざとやっているわけではない」「最高のサイトでは、生産性の低いサイトのバッチあたり3倍の量のワクチンを生産してきた」と言っていた。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、欧州工場での生産が遅れているのは、フランスのノバセップグループに属するベルギーの生産拠点だという。細胞培養の収量が予想を下回っているためだと報道していたという。
この生産量は、アストラゼネカの予想を3分の1、下回るらしい。ワクチンの収量は、数週間かかる播種のステップに応じて、サイトによって大きく変化するそうだ。
他の理由としては、製造工程を複雑にして危険を伴うものにしているのは、下請けを使ってより多く、より早く生産する義務があるからだという。
「技術移転と呼ばれることをしなければなりませんでした。そこで、それぞれのパートナーのところに行って、プロセスのトレーニングをします。ものづくりの研修です。中には初めての人もいます。彼らはワクチンの作り方を知らないので、他の人と比べても効果が薄いのです」
いきなり900万本も追加
ところがである。
EUが強硬に一致団結して怒り、ドイツやイタリアの政府など、訴訟も辞さない構えを見せた。そして、EU内でつくられているワクチンに対して、規制と透明性のメカニズムをつくることにした。
そうしたら、同社はあっさり900万用量も余計にEUに渡すことになった。それでも契約数には全然足りないが。
ここで疑問を感じるのは当然だろう。
そんなにいきなり、物慣れない初めての人たちの腕があがるのか。そんなに早く、工場の生産数は1週間くらいで向上するのか。できるのなら、なぜ今までやらなかったのか。
効率よく生産していた英国工場でつくられたワクチンを、EUにまわしただけなのだろうか。
しかし、ここで「そもそも論」が生じる。
それほど欧州工場の生産が乏しいのなら、EUはイギリスとのケンカに対して、「EUと購入契約を結んだ製薬会社がワクチンを域外へ輸出する際は、申告と許可が必要」などというメカニズムをつくる必要がないではないか。(EU側はこれを「ワクチン輸出の透明性の欠如の問題に対応する」と説明している。後述)。
EU内の工場は、英国内の工場に比べればいまひとつなのは本当だとしても、それなりの量は生産しており、同社はそこのワクチンもイギリスにまわしていた、その背景にはイギリス政府がある。だからこのようなメカニズムが必要だったーーというのが自然だろう。
そう考えれば、日本政府が懸念を発言するのも、ある程度納得がいく。
欧州工場でつくられている分は、予定より少ないとはいえ一定の量があり、それが(も)日本政府の購入分の中に含まれていた。でも、規制をかけられたら、日本が買える分がなくなってしまうのではないか・・・という心配である(日本政府は、同社とどういう契約なのか、ちゃんと詳しく説明するべきだ。記者も政治家も、政府に突っ込んで質問するべきだ)。
このように「EU内で生産された分も、イギリスにまわしていた」ならば、すべてがきれいにつじつまがあうのである。
それにしても、日本政府はイギリス政府や同社には何の苦情も公に言わないのは不思議である。どのみち、英国工場で多くが生産されているのは確実なのだ。
ちゃんと契約しているのだから、「すぐ送れ」と言わないまでも、懸念の一つくらいは公に発表するべきではないのか。EU側には言うのに、イギリス政府には何も言わないのか(どちらにも言う、どちらも言わないなら、まだわかるのだが)。
透明性の問題
この問題が「透明性の問題」とするEUの見解は、納得がいく。
二国間のなかで内密に話をしていると、外に話が出にくい。内々に何かを約束して、仮に破られても、文句は言えなくなる。それに、一国が何かをこそっと内密にやっても、わかりにくい。すべては闇のなかだ。
EUはそういう性質に大変厳しい目をもっている。27カ国が集まっているので、そういうことができないのだ。このEUという組織は、三言目には「透明性」である。
変なたとえで恐縮だが、ある人が、誰か一人に1000万円借りれば、お互いの心一つでなんとでもできやすい。こっそり何かを決めることも可能だ。でも、27人集まっている1つの組織で、それぞれ(1000万円÷27=)約38万円ずつ借りれば、そう簡単に勝手なことはお互いできないのと、同じ理屈だ。
27人の組織のほうは、一つの組織を維持するために、常に足並みを揃えようとする。一人が「38万円を返さなくてもいい」などと言いだしたら、絶対に返してほしい人もいるのだから、組織にとっては問題だ。また、ある人にはすぐに返したのに、別の人にはちっとも返さないのも問題だ。この組織では、27人の38万円の返済の経緯や理由を、常にオープンにする必要がある。
これと同じ理屈で、EUという組織の維持には、透明性が不可欠なのだ。「透明性」は「公表」とつながる考えだ。実際には、そうそう上手くいくものではない。それでもEU内では「しなければいけない」という意識は高く、かなりの努力をしている。
イギリス政府&アストラゼネカ社と日本政府の内々のワクチン交渉の内容は、表に出る可能性は少ないが、EUは政策となって表に出やすい。
今回、EUの立場が27カ国の組織ではなくて1カ国だったら「購入契約を結んだ製薬会社がワクチンを域外へ輸出する際は、申告と許可が必要」などというメカニズムをつくって発表する必要などなかったのだ。今回イギリスが行ったとみなされるように、こっそりと陰で行えばいいのだ。言い訳はなんとでもつけられる。このような類のことは、イギリスに限らず、日本でも他の国でも始終行われている。
EUのかなりマシな「透明性」ゆえに、今回のように日本政府が、イギリス政府との交渉は何も言わないくせに、EUとの問題は公に話したということが起きるのだと思う。
しかし人々は、隠されたイギリス政府との交渉内容は気にかけることもなく、表に出たEUに対してだけ騒ぎ、EUに対して誤解を抱く。イギリス側の報道だけを見て、事態を判断する。
大変残念なことだと思うし、アメリカと並ぶ巨大な存在に対して、こんなんで日本は大丈夫なのだろうかと、心底不安になる。
ブレグジットとアストラゼネカの苦悩
長くなったが最後に、もう一つアストラゼネカ社の言い分を書いておこう。
同社のCEO、パスカル・ソリオ氏(フランス人)はいう。
「私たちは、実際にヨーロッパを公平に扱ってきたと思っている」と断言している。「私はヨーロッパ人だ。私の魂にはヨーロッパがある。スウェーデン人である我が社の会長は、ヨーロッパ人です。我が社の財務責任者はヨーロッパ人です。私たちの経営陣はヨーロッパ人です。だから、ヨーロッパをできうる限り全力で扱いたいと望んでいる」。
前の原稿にも少し書いたが、同社は、北欧最大級の製薬会社であったスウェーデンのアストラ社が、1999年にイギリスのゼネカ社を買収・合併してできた会社である。
1995年、スウェーデンはEUに加盟。そして、以前はEUの欧州医薬品庁(EMA)はイギリスにあった。このことは、合併によるアストラゼネカ社誕生と、本部をスウェーデンではなくイギリスに決定したことに、大いに関係があるに違いない。
しかしイギリスのEU離脱が決まり、欧州医薬品庁は2019年にオランダに移転した。そのため、イギリスにあった欧州中の関連企業や団体も、ごっそりオランダに移転。
離脱は国民投票で決まったものの、どういうふうに離脱するのか内容が定まらないなか、すべての関連企業と同じように、同社も不安な年月の中で、予防に全力を尽くした。
医薬品は、関税はもともとないので関係ないが、問題は相互認証問題である。大雑把にいうのなら「薬や医療機器が、イギリスでは使用許可されても、EU内ではOKにならないのではないか」という問題だ。
同社はイギリスへの投資を中止した。英国で既に保有していた科学機器の一部をスウェーデンで複製、新しいラボをスウェーデンに設立し、試験のキャパシティをスウェーデンで複製していた。すべてスウェーデンで行えば、EU加盟国だから、今までどおりで済むからだ。
コストも時間も、さらにストレスもかかる仕事だ。これらを進めたのは、スウェーデン人の会長(前CEO)だ。同社の中では、社員たちが「これからどうなってしまうのか」という大きな不安を抱えていたという。
そして結果的に、同社はEUには遠ざけられてしまった。これが同社の今後の戦略に、どう影響を与えるだろうか。
日本では同社製のワクチン9000万回分を、製薬会社JCRファーマが国内で製造することになった。また同社は昨年夏、日本国内の支店・営業所の67カ所を、全て閉鎖することを決めていた。
ともあれ、有力な市場である日本にも、間違いなくブレグジットの影響は及んでいるのだろう。