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朝日と安倍首相・産経に往復ビンタされる日本人の痛み 慰安婦報道・第三者委報告

木村正人在英国際ジャーナリスト

記事取り消しが遅れた4つの理由

朝日新聞の旧日本軍慰安婦報道を検証する第三者委員会(中込秀樹委員長)が22日、報告書を公表した。

虚偽の「吉田証言」について8月の特集で一部の記事を取り消した際に謝罪しなかったのは経営陣の誤りと認め、池上彰さんのコラム掲載拒否は木村伊量(ただかず)前社長が実質的に判断したと指摘した。

研究者の現地調査で1992年に吉田証言の信用性に疑問が投げかけられたにもかかわらず、今年8月の特集まで記事の取り消しが遅れた理由について報告書はこう総括する。

(1)当事者意識の欠如

(2)引き継ぎが十分になされていない

(3)訂正・取り消しのルールが不明確

(4)社内で意思疎通が十分行われず、問題について活発な議論が行われる風土が醸成されていなかった。東京編集局と大阪編集局の相対的独立が継承されてきた。

8月の特集で謝罪しなかったのは拡大常務会、経営会議懇談会の判断で、池上コラムの掲載拒否は木村前社長が掲載に難色を示したことが大きく影響していた。

「編集」が「経営」に屈した格好だが、両者の分離について、報告書は「合理的な範囲で経営幹部が編集内容に関与すること自体はあり得ることである」との考え方を示す。

インターネットの浸透で新聞が生き残りをかけた戦いに突入する中、木村前社長はそれまでの社内コンセンサス型経営体質を脱し、取締役会への権限集中を図っていた。

8月の特集は、企画から紙面に至るまで「危機管理」という側面が先行しすぎた。経営幹部の「社を守る」という大義の下、編集現場の決定がことごとく覆され、読者や社会が納得する内容にはならなかった。

池上コラムの掲載拒否は「国民の知る権利に応える報道機関の役割や読者の存在という視点を欠落させたものだ」と報告書は批判した。

安倍政権による河野談話の見直しが行われた場合、過去の報道姿勢が問題になる。他メディアの批判で読者からも慰安婦報道に対する否定的な意見が寄せられ、販売部数や広告にも影響し始めた。こうした危機感が経営陣にあった。

今回の一連の騒動が朝日の自己防衛から始まったと改めて知り、深い脱力感を覚えた。慰安婦報道が日本を糾弾するのではなく、日韓関係の改善を見据えてのものだったら、こんなことにはなっていなかっただろう。

慰安婦問題をめぐる混乱をさらに大きくした騒動は朝日の面子と販売・広告の収益を守るためだったとは。まじめに生きている日本人をバカにするのもいい加減しろと言いたい。

データから見た慰安婦報道

115ページもある報告書で光ったのは、東大大学院情報学環教授の林香里委員の調査「データから見る『慰安婦』問題の国際報道状況」である。

朝日が取り消した吉田証言記事16本が韓国紙5紙の報道に及ぼした影響(掲載日から8日間)を調べたところ、慰安婦関連記事は193本。うち日本の媒体を引用した記事45本で、回数は延べ57 回。共同通信13 回、朝日9 回などだった。

朝日を引用した9回のうち吉田証言を取り上げたのは1回(韓国日報)。韓国日報は調査対象となった期間中にこの1回を含む計4回、吉田証言を取り上げており、朝日が取り消した記事との関連性が強くみられたという。

神戸大の木村幹教授によると、朝鮮半島下の慰安婦強制連行をデッチ上げた吉田清治氏の報道は韓国の翻訳が1980 年に出版され、朝日の報道は2年後。「朝日が韓国に影響を与えた可能性はほぼ存在しない」(木村教授)という。

東亜日報役員待遇・大記者の沈揆先(シム・ギュソン)氏も「吉田清治さんの言葉は、いろんな証言があって、その中で一つぐらいだと私は思うんですよ。この慰安婦の問題にすごく深くかかわった外交官が言うのは、自分も、一回も(吉田証言を)文章に書いたこともない」とヒアリングに対して答えている。

林委員は端的な結論は「朝日新聞による吉田証言の報道、および慰安婦報道は、国際社会に対してあまり影響がなかった」ということになるかもしれないという。「慰安婦問題への朝日の報道の影響の存否をめぐる議論は、慰安婦問題の一部でしかない」とも指摘する。

朝日と慰安婦の問題は重なっているものの、「すべて」ではなく「一部」でしかない。それを「すべて」のように論じる政治家やメディアは韓国の反日ナショナリズムと応酬しあう形で複雑な慰安婦問題をさらにややこしくしてしまっている。

安倍首相と産経が引っ張る慰安婦報道

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大手4紙の慰安婦報道の記事数をまとめた上のグラフ(報告書から抜粋)を見ると、かつては朝日の専売特許だった慰安婦報道は、朝日批判という形で産経新聞のお家芸になっていることがわかる。

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日本の慰安婦報道は韓国を凌駕している(報告書から抜粋。上のグラフで濃い実線が韓国の報道量、薄い実線は日本を示す)。1990年代は朝日がリードし、2000~10年代は安倍首相と産経が牽引役となり、報道量も飛躍的に増えた。

国際的な影響という面で河野談話、村山談話の見直しを掲げていた安倍晋三首相のインパクトは朝日をはるかに上回る。当たり前のことだが、海外メディアで取り上げられやすい一国の政治指導者の言動はそれほど重いということだ。

慰安婦という過去の問題を現在の問題にしてしまっているのは、皮肉にも安倍首相本人だ。海外の慰安婦報道の震源地は朝日ではなく、朝日を批判している安倍首相である。

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欧米の主要10紙を対象に慰安婦を取り上げた記事を調べると、安倍首相発言の引用が96回と、2位の橋下徹・大阪市長の21回を大きく引き離していた。

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言及頻度も安倍首相は1141 回(報告書から抜粋、斜線の棒グラフ)と高く、小泉純一郎首相の200 回、村山富市首相の155 回を圧倒していた。

安倍首相に近い保守・右派が慰安婦問題について発言すると、安倍首相への言及もあるためだ。林委員は英語圏で活躍する知日派知識人の言葉を引用している。

「日本はまず、自己防衛をやめるべきだ。河野談話を継承し、韓国にまだいる元慰安婦たちに補償をするべきだ。仮に不当な批判を世界からされていたとしても、政治家ならば国益のことを考え、日本のイメージをよくしたければこの問題についてこれ以上、発言するべきではない」

「河野談話の修正、朝日新聞への攻撃がむしろ、日本のイメージを失墜させるものだ。米国の専門家グループでは、日本の保守や政府に大いに失望をし、批判的だ」

「河野談話を撤回したり、修正したりしようとした06年、07年の動きが、米国での日本のイメージを悪い方向に変えた」

「安倍政権が、強制連行の有無や性奴隷という表現、軍の直接的な関与の有無にこだわるのは本当に愚かなことだ。安倍さんの考えを外交官に実行させようとする動きは、日本の名誉を回復するどころか日本の評判を悪化させている」

特に最後の下りは注意を要する。ロンドンでの国際議論でも、東京から来た日本の外交官が「安倍政権に右派の影響は一切ありません」と説明して英国の知日派からごまかしているように受け止められていた。

セックス・スレーブ論争は避けよ

林委員は報告書の中で「米軍慰安婦についても、その根底には、日本軍慰安婦と同類の問題が見出される。韓国政府は、米軍基地周辺に外貨獲得のために米軍のための慰安所を推進した。慰安婦問題は、日本による朝鮮半島の植民地支配の問題であるとともに、戦後韓国の近代化と急速な経済成長の歪みとしても浮かび上がってくる」と指摘している。

元在ジュネーブ国際機関代表部公使を務めた美根慶樹氏は第三者委員会のヒアリングにこう答えている。

「おそらくそういう運動(女性の権利保護)を積極的に進めようとしている人たちは、あれはセックス・スレーブだったと言うと思いますし、米軍がやったことも、あれもセックス・スレーブだったと」

「韓国軍がベトナムでやったこと、あれはひどいセックス・スレーブだと言うと思います。『セックス・スレーブ』という言葉は適当でないというところに、この闘いのポイントを、焦点を当てていくというのは危ないと思う」

菅義偉官房長官は日本政府として「性奴隷」という言葉の不適切さを「国際社会にしっかり説明していく」という。しかし、安倍政権と保守・右派の反論は火に油を注ぐ結果となっている。

安倍首相も報告書熟読を

朝日が当初はアジア女性基金の「基金方式」に否定的で、批判を積極的に取り上げた結果、基金方式を評価していた韓国側も態度を硬化させた経緯がある。

国際大学長の北岡伸一委員は次のような個別意見を述べている。

「女性基金に対して当初取られた否定的な態度は残念なものだった。日韓基本条約によって、個人補償については解決済みであり、それ以後の個人補償については、韓国政府が対応すべきだというのが日本の立場である」

「この立場と、人道的見地を両立させるために、政府はアジア女性基金という民間と政府が共同で取り組む形をとり、国家責任ならぬ公的責任を取ることとしたのである。これを否定したことは、韓国の強硬派を勇気づけ、ますます和解を困難にしたのである」

いったい朝日の慰安婦報道は何が目的だったのか。吉田証言以上にアジア女性基金をめぐる報道が日韓関係に与えた影響は深刻だ。

筆者は、朝日と安倍首相・産経が激しく対立してきた国内の慰安婦論争を鎮めることが先決だと考える。これまで日本が積み上げてきた村山、河野談話、アジア女性基金の取り組みを海外に向けて丁寧に説明していくことから始めよう。

「韓国側の一方的な主張のみが既成事実化していくことに焦燥感を抱く日本人は多い」(北岡委員)が、韓国が日本を糾弾するのを止めて日韓関係の改善に動き出すときを辛抱強く待つしかない。

来年の戦後70年に向け「安倍談話」を出すにしても、村山、河野談話を踏まえたものでないと、中国につけいる隙を与えるだけだ。今回の報告書には重要なヒントがいっぱい詰まっている。安倍政権も報告書を熟読し、来年の終戦記念日に海外に向けて発信できる普遍的なメッセージを練り上げなければならない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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