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「ワン・ダイレクション」リアム・ペインさんの死はBBCがトップ級で報じるニュースなのか

木村正人在英国際ジャーナリスト
リアム・ペインさんの死を悼む英国のファン(写真:ロイター/アフロ)

■「アルコールか薬物の影響で攻撃的になっている男性がいる」

[ロンドン発]世界的な人気を誇った英国の男性音楽グループ「ワン・ダイレクション」(1D)のメンバーだったリアム・ペインさん(31)の転落死は日本のNHKでも報じられた。英BBC放送もトップ級のニュースとして報じた。

今月16日、ペインさんはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、宿泊先のホテルのバルコニー(高さ15メートル)から転落して死亡した。転落直前、ホテルは警察に「アルコールか薬物の影響で攻撃的になっている男性がいる」と通報していた。遺体から薬物が検出された。

ペインさんはアルゼンチンで開かれた1Dのメンバー、ナイル・ホーランさんのコンサートに姿を見せていた。1Dは2010年に結成され「ホワット・メイクス・ユー・ビューティフル」でデビューし、スターになった。15年に活動を休止、その後、ペインさんはソロで活動していた。

■「薬漬けで色褪せたボーイバンドの歌手が転落した」

BBCの元看板ニュースキャスター、マイケル・バーク氏は同ラジオ番組「トゥデイ」で国際報道がいかに変わったかを尋ねられ、「かつてはシリアスなニュースにもっと貪欲だった」と答えた。バーク氏は南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を徹底的に報道し、追放された。

バーク氏は「この番組が世界で起きた最も重要なことは、薬漬けで色褪せたボーイバンドの歌手がバルコニーから落ちたことだと決めたのは先週のことだった。こういうことに詳しい夜10時のニュースでさえ世界で起きたことの中で2番目に重要なことだと思っていた」と嘆いた。

コメントは死者への配慮を欠いているとして「過去にとらわれた恐竜」などの批判に直面した。その一方で「死者の悪口を言うつもりもファンの悲しみを軽んじるつもりもないが、このような重要な時期にペインの死をメディアが過剰に取り上げるのは馬鹿げている」との声もあった。

■1984年のエチオピア飢饉

ウクライナ戦争、イスラエル・ハマス戦争に端を発した中東危機、人口の半分である2500万人以上が支援と保護を必要としているスーダンの人道危機が高まる中、英国にとってペインさんの死は公共の電波を使って伝えるほど大切なニュースなのかとバーク氏は問いかけた。

エチオピアは2008年にも飢饉に見舞われた
エチオピアは2008年にも飢饉に見舞われた写真:ロイター/アフロ

バーク氏が手掛けたニュースの一つに1984年のエチオピア飢饉がある。日本の皆さんには英ロックバンド、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』のラストを飾る85年のライブエイドに関連付けた方が分かりやすいかもしれない。

推定で60万~100万人以上が亡くなったとされる飢饉を現地から伝えたバーク氏ら取材クルーの映像はアイルランドのシンガーソングライター、ボブ・ゲルドフやマイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、クインシー・ジョーンズら世界中のミュージシャンを動かした。

1985年ライブエイドが開かれたロンドンのウェンブリー・スタジアム
1985年ライブエイドが開かれたロンドンのウェンブリー・スタジアム写真:Shutterstock/アフロ

■「1000人のうち生き延びられる60~70人を選ぶ」

「1億人の飢餓を救う」をスローガンにロンドンと米フィラデルフィアで行われたチャリティーコンサート「ライブエイド」は1億2700万ドル、チャリティーソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」は6300万ドルを集めた。現在の日本円に置き換えると675億円だ。

「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加したライオネル・リッチーとシンディ・ローパー。ティナ・ターナーの姿も見える
「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加したライオネル・リッチーとシンディ・ローパー。ティナ・ターナーの姿も見える写真:Shutterstock/アフロ

バーク氏が訪れた飢饉の現場は想像を絶する凄まじさだった。当時、国際赤十字のエイドワーカーとして働いていた英国人女性クレア・バートシンガーさんは「1000人の飢えた子どもを目の前に食料を与えることができる60~70人を私が選ばなければならなかった」と振り返った。

1984年のエチオピア飢饉を振り返るクレアさん(左)とバーク氏(10月25日、筆者撮影)
1984年のエチオピア飢饉を振り返るクレアさん(左)とバーク氏(10月25日、筆者撮影)

バーク氏に「命を選択しなければならないのはどんな感じ」と尋ねられたクレアさんは「なんて馬鹿げた質問」と思った。しかし人間の極限状況をありのまま伝えたバーク氏の報道は文字通り世界を突き動かした。ベルリンの壁崩壊に並ぶニュースとして歴史に刻まれた。

ソーシャルメディア全盛の時代、ニュースは現場のジャーナリストや編集局のエディターの手を離れた。発信者一人ひとりがニュースを決め、それにBBCやNHKのような主要メディアが振り回される。悲しいことに私たちはまだ新しいニュースのあり方をつかめていない。

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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