スポーツ業界に広がる「やりがい搾取」 羽生結弦選手の周囲でも「ブラック労働」
近年、労働の「やりがい搾取」は、様々な場で問題になっている。
保育や介護、医療などのケア労働では、「利用者のため」と身を粉にして低賃金で働くことが一般的に求められがちだ。
「やりがいの搾取」はブラック企業の常とう手段でもある。
「お前はやる気がないのか」「利用者がどうでもいいのか」などと責任感に訴えかけられ、給与の未払いが横行するような職場も珍しくはない。
そうした中で、最近特に注目されているのが「スポーツ産業のやりがい搾取」である。その象徴が、来年開催される東京オリンピック。
オリンピックの運営には多数の「ボランティア」が必要とされているが、オリンピックは巨大企業の広告によって成り立つ民間のビジネスの側面がある。
それにもかかわらず、多数のボランティアを活用して経費を節減するやり方が、「やりがい搾取」なのではないかと指摘されているのだ。
このように、ケア労働と類似して、スポーツは選手や利用者に「共感」しやすい業種だといえるだろう。選手たちの努力や活躍の「支え」になればと、ついついブラック労働を受け入れてしまうという構造だ。
実は、直近ではフィギュアスケーターの羽生結弦選手の元指導者のスケートショップ店でも、ひどい「やりがい搾取」の被害が発生していることがわかった。
羽生選手といえば、言わずと知れた世界的な選手である。その元指導者ともなれば、スポーツ界の権威も相当なものだろう。
もちろん、そのスケートショップでは、実力のある「選手」のために仕事をすることもできる。
その「やりがい」たるや、計り知れないものだ。ところが、その労働実態は、壮絶なブラック企業だったという。
今回は、このスケートショップの事例をもとに、スポーツ業界の「やりがい搾取」問題を考えたいと思う。
スケートショップ店員が8か月も無賃労働をさせられた「やりがい搾取」事例
今回紹介するのは、仙台けやきユニオン が支援に取り組んでいるスケートショップの事案だ。
このスケートショップで働いていた労働者は、なんと8か月も「無賃」で働き続けていたという。
参考:「「NICE FIGURE SKATE」で従業員が8か月も賃金未払い!支払いを求めて団体交渉を申し入れました」(仙台けやきユニオンブログ)
当事者は、将来はスケートショップを開きたいという夢を持った20代の男性だ。彼は、自身も選手として、昔からスケートスポーツを愛好していたという。
前職はスポーツ関連とは別の仕事をしていたが、その時にこのスケートショップの店長から声を掛けられ、夢の実現に近づくと考え、転職した。
しかし、そこで待っていたのは「無賃労働」の日々だった。残業代どころか、基本給すら一切もらえなかった。
しかも、店を一人で任されることも多く、丸一日休憩もなく働きづくめだった。それでも、彼はスケートショップを開くという夢をかなえるため、この店で耐えた。
彼を支えたのは、まさに「やりがい」だったという。
彼は、子供達がスケート競技に参加する事、競技を続けて行くための環境を創る事を将来の仕事にしたいと考え、スケートショップの開店を目指していた。
そのため、道具のメンテナンスを重要視しており、この店でメンテナンスに必要な知識、技術を身に着けたいと考えていた。
実際に、スケートスポーツを支えるスケートシューズは「エッジ」が命。道具を売るだけではなく、研磨し続ける技術が必要だ。そもそも、そうした技術を持たなければ、靴を売ることさえできない。
もし腕の悪いスケート店にあたれば、それが原因で成績が伸びず、最悪の場合怪我につながることもある。
スポーツ選手を支える腕のいいスケート店を開く。これが、彼の目標だったのである。
その目的に近づく「やりがい」が、この店にはあった。このお店の経営者が有名であったことから、プロフィギュアスケーターやプロアイスホッケー選手、あのディズニーオンアイスのクルーも良く来ていた。
一流のアスリートのサポートができることに、強い喜びを感じていたのだ。
また、プロアイスホッケーチームの道具係の仕事や、インソールメーカーとの共同でのイベントなどもでき、整備の技術や運営のノウハウも学べたという。
さらに、使用者からは、「オリンピックの会場に一緒に行こう」と励まされたり、有名な先生の知り合いが多いから紹介する、そうすればお前もフィギュアスケート界で有名になれるという事も言われていた。
その一方で生活は苦しくなり、これまでの貯金を使い果たした後は、周囲から借金をしたり、ダブルワーク・トリプルワークで生計を立てていた。
その結果、身体的にも精神的にも追い込まれていったという。そして結局この職場を去ることになり、その後しばらくして、未払い賃金を請求するために仙台けやきユニオン に加盟して団体交渉をすることになったのであった。
こうした経緯を考えれば、使用者は、労働者の「やりがい」を意図的に利用し、全く給料を支払わずに働かせていたのは明らかだろう。
なお、彼は今回の違法行為について、ユニオンの支援を受け労働基準監督署に申告し、使用者は指導され、多額の未払い賃金の支払いを約束してもらったという。
「やりがい搾取」とは何か
そもそも、「やりがい搾取」とは何か。あらためて考えていこう。
「やりがい搾取」とは、経営者が金銭による報酬の代わりに労働者に「やりがい」を強く意識させることにより、その労働力を不当に安く利用する行為のことを言う。
現在社会的に議論になっているオリンピックのボランティアは、この「やりがい搾取」にあたる疑いがもたれている。
大会ボランティアは、「青春のど真ん中」などと打ち出し、「やりがい」が強調される宣伝動画などで募集された。
しかし、そこで待っている労働内容は過酷だ。
大会ボランティアは1日8時間程度(休憩・待機時間含む)で10日以上、都市ボランティアは1日5時間程度(休憩時間含む)で5日以上活動できることが基本条件。
仕事内容は、案内や競技サポート、運転手などだ。これらの仕事は本来的にはオリンピックの運営に不可欠な仕事であり、これを担うためには本業としての仕事や活動を大きく減らさなければできない。
仕事内容としても、「ボランティア」ではなく「労働者」として担うべき仕事であるのも間違いない。
また、この間の日本の夏の気温を考えれば、熱中症などの「労災」の恐れもある。
実際に、夏場は老人の労災が多く発生しており、大会本部は高齢者のボランティア採用を控えているともいわれている。
そのような過酷な労働の見返りとしては、1日たった1000円しか支給されないという。
このような働かせ方は、まさしく「やりがい搾取」である。
詳しくは竹下郁子氏の記事「東京五輪ボランティア問題、11万人“動員”はやりがい搾取か ── 支給は1000円のみ、不安な熱中症対策」などを参照してほしい。
ちなみに、大会組織委のホームページに掲載されている『役員及び評議員の報酬並びに費用に関する規程』には、役員報酬は月額最高200万円と定められている。
現場で汗水流して働くボランティアには報酬がないのに、あまりに不公平ではないだろうか。
参考:ビジネスジャーナル 2018年9月20日 東京五輪ボランティア、無報酬に批判→「時給125円」支給が物議…組織委役員は月200万
この五輪ボランティアや上に見たスケートショップに象徴されるように、スポーツ業界には労働の「やりがい搾取」が蔓延していることが懸念されるのだ。
スポーツクラブで働く男性の事例
実際に、スポーツ業界からの労働相談では、そのほかにも「やりがいの搾取」がうかがわれる事例が寄せられている。
例えば、競泳選手育成を担当しているコーチからの相談事例がある。
彼の休みは1ヶ月に1日あるかどうかという程度。設定上は、公休日が週2日あるが、その日も選手の練習があるため通常通り出勤しているという。
その分の出勤は、選手手当という形で月5,000円でまとめられている。休みが欲しいことを伝えると、店からは選手育成を担当している社員同士で話し合うか、もしくは選手育成を辞めろと言われた。
この事例では、選手育成という仕事をしている関係上、なかなか休みが取れず長時間労働になっている。
しかし、休みなく働いた分の手当てがほぼ払われていない。月に1日程度しか休みが取れないのに、休日出勤している手当が5000円では、明らかに違法な賃金未払いが発生している。
この事例に限らず、スポーツジムなどからの相談は多く寄せられているが、どれも過酷な勤務になっている。
このような仕事に就く人たちの動機は、自分もスポーツ愛好家であり、またスポーツ選手を支えることが好きな人が多い。その「愛好心」を利用される形で、「やりがい搾取」の労働条件が押し付けられている。
このような低処遇の労働条件が蔓延すると、労働者の心身がもたない。それは、先に紹介したスケートショップの事例をみてもよくわかるだろう。
「やりがい」自体は、人生を豊かにするために積極的に求めるべきものだと思うが、「やりがい搾取」問題は使用者がその「やりがい」を利用して不当に利益をあげるものだ。
このような「やりがい搾取」構造を放置すると、スポーツ業界としても担い手が不足してしまうなど、結局は業界全体に跳ね返ってくることになる。
日本のスポーツ界が躍進していくためにも、労働問題としての視点から「やりがい搾取」の改善をしていくことが必要なのである。
持続可能な「やりがい」を実現する
今回紹介した事例のように、「やりがい搾取」のせいで困っているスポーツ関連の労働者は他にも数多くいるとみられる。
今回紹介した事例のように、「やりがいを搾取されている」と思われる事例では、積極的に労働法上の権利を行使することが、搾取を防止する手段となる。
一人で権利を行使することは簡単ではないが、専門家に相談すれば解決の糸口をつかめる可能性はあるのだ。実際に、スケート店の事例では、未払い賃金の支払いが合意されている。
このように、適切な労働時間や生活できる賃金を求めることは、労働基準監督署やユニオンによって「法的」に支援される。
「やりがいの搾取」に困っている方は、まずは一度、労働問題の専門家に相談してみてほしい。
無料労働相談窓口
022-796-3894(平日17時~21時 土日祝13時~17時 水曜日定休)
sendai@sougou-u.jp
*仙台圏の労働問題に取り組んでいる個人加盟労働組合です。今回紹介したスケート店のケースを支援しています。
03-6699-9359
soudan@npoposse.jp
*筆者が代表を務めるNPO法人。訓練を受けたスタッフが法律や専門機関の「使い方」をサポートします。
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*仙台圏で活動する「労働側」の専門的弁護士の団体です。