核実験により海底に沈んだ戦艦「長門」空母「サラトガ」ビキニ環礁の核実験「クロスロード作戦」
ウクライナ紛争や中東など、近年は世界情勢に緊張が高まっていると言えます。本記事では、過去の第二次世界大戦の後に行われた核実験と、その犠牲となり海底へと沈んでいった軍艦をご紹介します。
■多くの軍艦が招集され核攻撃の標的に
第二次世界大戦が終了した後の1946年、アメリカはビキニ環礁で一連の核実験「クロスロード作戦」を実施しました。核爆発の威力を確認するため、アメリカやドイツ、日本の戦艦「長門」など、約70隻の軍艦が集められました。
そして、太平洋戦争から生き残った3隻のうちの1隻、アメリカ海軍の航空母艦「サラトガ」も招集されています。これらの軍艦たちは、核攻撃の標的として使用されました。さらに、生物への影響を評価するため、モルモットやマウスなど数百匹も用意されました。
■想定外の威力により、実験は2回目で中止に
1回目の実験「エイブル(Able)」では、空中から投下した核爆弾を高度158メートルで爆発させました。2回目の実験「ベーカー(Baker)」では、水深27メートルで爆発させます。この実験により、多くの軍艦や海水、サンゴ礁が放射性物質に汚染され、軍艦の外側を除染するのに多くの時間を要しました。サラトガも致命的な損傷を負い、7時間後に沈没する事態となります。
そして、予想外の放射能汚染の深刻さから、3回目に予定していた水中深くからの核爆発実験「チャーリー(Charlie)」は中止されることとなりました。
その後、サラトガを引き揚げる計画も立てられましたが、放射線被害の懸念から中止となり、今もサラトガは海底に眠り続けています。クロスロード作戦以降、アメリカ軍は67回の核実験を行い、日本の漁船が被爆する事件も発生しています。
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